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【連載小説】『晴子』1

 晴子。これが私の名前だ。
 でも、私はこれまで、自分の名前に納得がいったことがない。厳密に言うなら、自分にこの名前が付いていることが、昔から腑に落ちないのだ。別に、晴子という名前自体に問題があるわけではない。晴れやかな子なのか、周りを晴れやかに照らす子なのかは分からないが、それでも、それを命名した者の祈り自体は理解できる。
 実際、これまでも私と同じ名前の人間とは何人か出会ってきた。彼女たちはとても朗らかで、確かに周りを照らすような存在の人だった。その度に、その晴子たちに対して、「お似合いの名前をもらえたのね。」と感じてきた。でも、私は、自分がその名前に相応しい生き方をして、そのような祈りを体現している人間とは、とても思えないのだ。
 別に自分のことを特段朗らかな人間だとも思わないし、周りの人間を晴れやかに照らしてきた覚えもない。私に晴子という名前が付いていること、私が晴子であることが、どうしても奇妙でならない。名前が板についているような感覚になったことがない。まるで、サイズの合わない靴で歩かされているような、そんな気分になる。
 幼稚園や学校に通っていた時、自己紹介のために自分の名前を言う度に、いつもこう思っていた。——ああ、そういえば私はこんな名前だったな。名乗る時にはいつも、名前が私から離れて宙を浮いているような感じがした。それをどんなに掴もうとしても、手からすり抜けていく。仮に掴んでも、それが私に似合わない。
 名前が私を離れて浮遊している感覚は、思春期になると嫌悪感に変わった。中高生の頃は、自分の名前が嫌いで仕方なかった。この名前を付けた親を憎んだりした(それを名付けたのが父親だったということもあり、思春期特有の異性の親に対する苛立ちも相俟って憎しみもひとしおといった感じだった)。
 思春期を越えると、その嫌悪感も落ち着いてきた。大学進学で家を出て、大人になり、自由が利くようになると、名前がどれくらい重要で、どれくらい重要でないかの分別がつくようになってくるのだ。重要かどうかというより、執着すべきかどうか、と言うべきだろうか。
 晴子と名付けられた私の思い出には、常に傘が付きまとっている。中学の修学旅行でとある遊園地に行ったときは大雨が降った。別に私自身は遊園地が特別好きなわけではなかったので構わなかったが、周りの同級生は口々に文句を垂れていた。他にも、はじめて恋人ができた日も、成人式後の同窓会を一人すっぽかして他の店ではじめて飲んだくれた時も、そして、今も。
 今日も朝から雨が降っていた。予報に反して、雨は一日中降り注いだ。最悪の一日だった。それは雨が降っているからではない。いつも通っているバーで、ろくでもない男に絡まれたのだ。先から水が滴り落ちる傘を畳んで振って、傘立てに勢いよく突き刺した。これがアイツの急所なら、どんなに良かったか。
 急にカウンター席の隣に座ってきた馬鹿な男が私に酒を奢るとしつこく掛け合ってきた。男は私と同年代で、歳は30前後と見えた。ノーネクタイでスーツをきっちり着た、ビジネスマン風の身なりをしていた。私は何度も断ると、彼は怒り出した。
「なんだよ!女のくせに可愛げのない!黙って奢られときゃいいだろ!」
 もう既に酔っていたのかどうかは分からなかった。もしくは、もともと正気ではない奴だった可能性もある。
「もういいよ。言っとくけど、調子づいて恰好つけてんのか知らねえけど、てめえも大概ブスだかんな。」
 こう私を罵って、彼は店のボックス席の方に移動しようと足先を転じた。
 私は、ボトルキープしている自分のティーチャーズの瓶をカウンターの角で叩き割った。中に残っていたウィスキーはあたりに弾け散った。ボトルネックを掴んで、鋭く砕けた瓶をアイツに突きつけてやった。やり返してこないと思っているからあんな態度をとってきたのだろう。女だからって、見くびってもらっては困る。
 男は叩き割った瓶を持って向かってくる私に恐れ慄いていた。こんなに分かりやすい脅迫をこんなに文字通り受け取られると、却って面白くないものだと、私は思った。
「な、なんだよ。なんか文句あんのかよ?」
 男は、今度は圧のない声に変わって言った。あんなことをしておいて、文句がないと思っている時点で正気ではない。
「もういいわ。あなた、面白くない。」
 そう言って、私は割れた瓶の尖った部分を、彼の頬に引きずらせた。彼の頬に少し、赤い線が浮かび上がった。
「なんなんだよ?おい!てめぇ!」
 去っていく私の後ろで、男が喚き散らす。でもこれ以上向かって来る度胸もないみたいだ。面白くない、という一言は、あの手の男が一番嫌う言葉だということを、27年も生きていれば学ぶものだ。
 私はウィスキーまみれの自分の席に戻って、会計分の札をカウンターテーブルに叩きつけて帰った。店員は冷静に私に降りかかった状況を察し、いつものように、穏やかに頭を下げた。アイツがまた来るようなら、もうあの店に行くのはやめよう。
 今日みたいに一人で酒を飲んでいると、声をかけられることも少なくない。当然、中には紳士的な立ち居振る舞いで私に話かけてくる人もいる。たまに気まぐれで、そういう人と話してみることもあるが、大概は実りある会話が交わされない。
 気が向いて、私の名前のことについて話してみることがある。そんな私を励まそうとしてか、人の名前と天候との間に、科学的因果関係はないと言う人もいる。そんな人には「あなたは聡明な人ね。そう言ってあげるから、この言葉に気を良くして、どこかへ行ってちょうだい。」と言うことにしている。そう言うと、大体の人は困惑の表情を浮かべて、あるいは怪訝そうな表情をしてどこかへ行く。ある人は気を悪くして私に向かって来ようとした。
 このように、私は心理的な意味においても、晴れを呼び込むような女ではないということが分かると思う。これに関しても、学生時代から変わらなかった。私に晴子は、どう考えても似合わない。だからといって、これをどうやって、誰に説明すればいいというの?
 玄関で、靴と一緒にストッキングも脱ぐ。下着のギリギリまで、スカートの中に忍び寄ってきた外気が直に触れて心地いい。すぐにシャワーを浴びたかった。梅雨時のじめついた時期だった。
 風呂場で裸になったとき、手に切り傷があるのに気が付いた。きっと、バーでウィスキーの瓶を叩き割った時にできたのだろう。不思議だ。そう思う。家に帰るまで手は何にも隠されていなかったのに、家の風呂場で裸になるまで、見えたはずのその傷に気付かなかったのだ。
 シャワーの湯が、傷に沁みた。

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