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【連載短編】『白狐』10

 私と八尾君が付き合い始めた時、私たちはお互い高校2年生だった。
 高校生にも恋人がいることがそんなに珍しくない時代のことで、校内にもそれなりに成立しているカップルもいた。私たちの高校は色恋沙汰が好きな人が多くて、恋愛事情がどこからともなく耳に入ってくるような、そんな学校だった。単純にそれが楽しかったというのもあるが、もっと言うと人を好きになることにものすごく無邪気だったんだと思う。
 みんな随分と無邪気に人を好きになった。私も同じように八尾君のことが好きだった。私の友達も、冗談か本当か分からない口ぶりで「この人しかいないかも」と言ってみたりしていた。
 当然、徳島の田舎町の高校というコミュニティの狭さとその時期特有の娯楽の不足がこのような状況を生んでいたのは言うまでもない。それでも、当時の私たちの恋愛はとても無邪気だったと思う。限りなく無邪気で、どこまでも無責任だった。
 八尾君とは2年生で同じクラスになって、卒業の直前まで付き合っていた。
 付き合おうと言ってきたのは八尾君の方だった。生まれて初めての恋人だったし、両想いも初めてだった。
 付き合う前は気付かなかったが、八尾君は結構女の子に人気のある人だった。
 部活はしていなかったが(中学まではサッカーをやっていたらしい)、本を読むのが好きで図書委員をやっていた。運動部に特有の攻撃性を感じさせない、清潔感のある文学青年といった見た目で、物腰も柔らかく、顔立ちも整っていた。校内の大人しい女の子の中にはなんとか彼と接触しようと図書館に通い詰める子も何人かいた。
 もちろん私も幼かったから、それに嫉妬することもあった。それでも、彼は浮気なんてできる程器用な人間には見えなかった。実際にそういうこともなかった。
 八尾君と付き合っていた頃について、覚えていることは意外に少ない。
 当時、学生の恋愛らしいことは一通りやった記憶がある。一緒に下校した。キスもした。デートもしたし、処女も捧げた。でも、あまり覚えていない。そのすべては、確かにそうだったはずだ、としか言えないようなただの事実になっている。
 具体的に何を話したかとか、どこに行って何をしたかとか、何を見たかとか、その時何を思ったとか、当時の私たちを包んでいた空気とか、触れた肌の温度とか、感触とか、匂いとか。何も覚えていないのだ。
 私の中には箱のように存在している事実が残っているだけで、その中身を覚えていない。私は事実を知っているだけで、思い出を覚えていないのだ。
唯一覚えていることは(知っていることではなく)、彼と白狐を見に行ったことだ。
 カップルでその姿を見ると、二人は永遠に結ばれるという噂のあった、あの白狐を探しに行ったのだ。
 私はその噂については半信半疑だったが、八尾君のことは好きだったから、噂が本当に越したことはないが嘘でも別に損ではないと考えた。
 白狐を探しに行こうと誘ったのは私の方からだった。八尾君は、話を聞いて浮かない表情をしていたのを覚えている。
 私たちは学校の近くにある、噂の神社に行って鳥居をくぐった。
 ここまでは覚えている。ここからが覚えていない。
 白狐を見たのかどうか。見ていないから彼とは結ばれなかったとも言えるし、見たのに結ばれなかったとも言える。でも、見たかどうか覚えていないから、結論は出せない。
 卒業を直前にして、私たちは別れた。彼は進学で京都に出ることになっていて、私は地元の専門学校に進むことになった。進学で離ればなれになることが決定的な理由になったのかは分からないが、とにかく私たちは別れた。
それ以来、私たちは一度も会うことがなかった。私もはじめは同窓会に参加していなかったし、八尾君に関しては一回も来ていない。お互いに連絡をとることはなかったし、私も噂程度に彼のことを聞くだけだった。
 その間に、私は結婚して、章斗が生まれた。息子が私と同じ高校に入学することになった時は、思わず笑ってしまった。
 何故笑ってしまったのかは、今でも分からないままだ。

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