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モネが過ごした時間や記憶を、鑑賞することで受け取っている

モネを摂取したい。

―表現が正しいのかは微妙だけど、読了後にそんなことを思った私。

それはつまり、

美術館でモネの作品を心ゆくまで鑑賞したい、味わいたい。

そういう意味だ。

原田マハさんの「モネのあしあと」を読んでいる最中、私には思い出したことがある。

それは昨年、一人旅と題して訪れた、香川県直島の美術館のうちのひとつ、地中美術館。

入口
撮影可能エリアはここまでだった。

そこで見た、モネの連作である「睡蓮」を見た時の感動が想起され、心がぐわあーっとなった。館内の写真撮影は禁止されていたため、写真はないが。それ以上に、あの感動は私の心の中で、今もしっかりと、生き続けている。

他にも、国立西洋美術館で常設展示されている「ポプラ並木」や「舟遊び」「ウォータールー橋」を以前に見た時の感動や、アーティゾン美術館で見た「黄昏 ベネツィア」に一目惚れした時のこと、などなど。

陽を浴びるポプラ並木
ウォータールー橋
舟遊び
睡蓮
黄昏 ベネツィア

美術館を訪れる度に、心の深奥部で対話してきた、絵画達。私は読中、彼らに思いを馳せていた。

美術作品とは、時間と記憶がすべてパッケージされた、アーティストからのメッセージ・ボックス、いわば過去からの手紙のようなもの

原田マハ モネのあしあと p.126

最後にこの一言で締めくくった作者。私は思わず唸ってしまった。「うわあ、やられたあ~!」と思った。

私はモネの作品から、モネが過ごした時間や記憶を、鑑賞することで受け取っているのではないか。そんなことを考え感じた。

もうこんなの、また訪れるしかないじゃん。モネの作品と対話しに、私はまた美術館に行く。それまではまだ、生きる。

読んでくださってありがとうございます。

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