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第2章 ぐらつく2つの道-1

Vol.1
 「おはようございます。」
ミーティング会場で有るキャンパス内のカフェに着くと、もう既に3人がいた。3人はそれぞれスマホをいじりながら雑談をしていた。
「遅いぞ、セレン。また彼女とイチャイチャしてたんだろう。」
軽い冗談を真っ先に飛ばしてきたので白弓 勝。僕に目黒のお店を紹介してくれた先輩である。この毎度毎度の絡みが昔は苦手だったが最近では慣れてしまった。慣れとは恐ろしいものである。それから、菓子パンを咥えている巨乳美人である餓虎 黒奈。黒奈はいつも菓子パンを食べているのに全く太らない。全て胸に養分が入っている感じだ。(…Hカップはあるんじゃないか。)未来とはまた違った感じでどちらかと言うとクールな印象を与える。そして、最後のひとりがいかにも体育会系のガタイをしている剣崎緋志。緋志はレッドソウルの異名を持っており、高校時代はサッカーで無双していた。大学入学後は、プロのスカウトも蹴り、今は僕らと同じサークルに所属している。個性的なこのメンバーが集っているこのサークルも異質と言えば異質である。僕もその異質の一人だろうか。
「イチャイチャなんてしてませんよ。それより場所決めの方は進んでいるんですか。早く進めないと先輩卒業しちゃいますよ。」
「まあ、焦るなって。企画はちゃんと進んでいる。名前も決めたぞ。」
菓子パンを食べ終えた黒奈が割り込んできた。
「予算の方も上々よ。クラウドファンディングの希望金額も達成済み。勝先輩の営業力というか顔の広さには驚かされますよ。」
「黒奈ちゃんに褒められちゃうと先輩もっと頑張っちゃうよ。」
ニヤニヤしながら先輩は答えた。黒奈はそんなことはお構いなしに、もう一つの菓子パンを食べ始めた。
「餓虎、最近食べ過ぎじゃないか。菓子パンはカロリーが高いんだ。糖質の塊だぞ。もっと高タンパクなものを食べるべきだ。」
剣崎が呆れ顔で黒奈に指摘した。僕も食べ過ぎだと思っていたがこうもストレートに言えてしまうのは見習いたいものだ。
「別に大丈夫よ。むしろ罪悪感を感じながら食べ物を食べる方が太るわよ。それに、そんなこと女の子にストレートに言わないほうがいいわよ。そんなんだから、せっかく顔も良くてスポーツもできるのに彼女ができないのよ。」
黒奈の右ストレートが剣崎の溝落ちに二重の意味でクリーンヒットした。黒奈は、一見すると身長も一五〇センチと小柄で華奢であるが警察官の父を持つためか、幼い頃から護身術を携えていた。その成果、バリバリの体育会系である剣崎ですら逆らえないほどの戦闘力を持っている。少し、偏食なところを除けばほとんど完璧な女性である。
「すぐ暴力を振るうところはよくないぞ餓虎。いててててて。」
苦しそうな剣崎の姿を横目に、「言葉のナイフを私に向けるからよ。」
と一括した。おお怖い。僕は無意識に彼女から距離を取った。
「相変わらず、黒奈ちゃんは痺れるね。先輩にもやってくれない?」
白弓先輩がまたふざけた。しかしまあ、たまにこの人はMなんじゃないかと思うことがある。いろんな人にイジられたいのか、茶々をすぐ入れてはツッコミを待っている。この間も、黒奈におっぱいの形が良くないといくら大きさが有っても燃えないという持論を展開していた。その後、黒奈に黒奈ちゃんの形を確かめさせてとかいうふざけた事を言って軽く罵られていた。まあ、そういう変態?的な要素はあるもののやるときはやる男であるため、みんなから信頼されており、黒奈も尊敬している。
「腕の関節外してあげますね。」
無機質な黒奈の声に流石の先輩も恐怖したのか話題を変えた。
「まあ茶番はさておき、そろそろ本題に移ろうか。会場の下見を一度行いたいんでみんなで行こうと思っている。場所は、秋山溪谷なんだけどみんなの土曜日の午前10時に三限茶屋に集合でお願い。現地までは、俺が車出すんで安心して。持ち物は追って連絡する。何か質問ある。」
「何時終わりですか。バイトをいっそのこと入れないほうが良いですかね?」
僕は、自分のバイトのシフトを入れるのが明日までであったのを思い出し、慌てて質問した。
「うーん。何時になるか正直わからんところだな。色々確認することもあるだろうし。シフトを入れないほうがいいな。」
「了解です。じゃあ、入れないでおきます。」
「頼むわ。じゃあ、詳細決めてくか。」
こうして僕たちは、ミーティングを進めた。ミーティングはすんなりと進んでいき、無事に終了した。僕は、二限以降の講義に出席し、バイト先に足を運んだ。

「お疲れさまです。」
「お疲れ様。今日はまた一段と夏の香りがするね。花達も良く水を飲んでるよ。」
僕は、店内に入るときれいな紫陽花に水をあげている男が僕に話しかけてきた。この男は、不死川 翠。僕のバイトしている花屋の店長である。花の気持ちを汲み取っている発言をよくする変わった人物である。背が高く、ひょろっとしている体型なのに、僕よりも重い肥料や鉢を軽々持ち上げる力を持っている。翠さんは、花屋としてだけでなく、アーティストととしても有名であり、数あるフラワーアワードで章を受賞し、日本では文部科学省大臣賞を昨年は受賞しており、世界のMIDORIと言われている有名な人だ。
「暑いですね。翠さん、なんか花と友達みたいですね。」
「友達だよ。いや、恋人に近いかな。愛おしいから花の事を知りたくなったり、一番美しい形に飾ってあげたいじゃない。セレンくんもそうだろ?君の彼女を美しく彩ってあげたいと思わない?。」
「僕の彼女は、お花みたいに慎ましくないですよ。どちらかというと騒がしいです。」
「騒がしい花だっているよ。ツリガネソウって花なんだけど、初夏に咲く花で、白や薄いピンク、紫の花が咲くんだけど、形が風鈴みたいに膨れた形をしているんだ。教会の鐘に似ているから“感謝”って花言葉があるんだけどすごくたくさん花をつけるもんだから、鐘がいっぱい鳴るとうるさいだろ?だから、“うるさい”っていう花言葉もあるんだ。うるさい花も可愛いだろ?」
「確かに、まあ僕の彼女には少し似合わない花ですよ。」
苦笑いを浮かべながら僕は、ロッカールームに入った。荷物をロッカーにしまっていると、さっきの翠さんのこの話で未来からネックレスをプレゼントすることを思い出した。僕にも少しは、花を飾る気持ちがあるみたいだ。まあ、このバイトを始めてもう一年が経とうとしている。それなりに翠さんの感性に影響されたのかもしれない。それは、未来にもか。そう思いながらロッカーで着替えた。
ロッカールームから出るとスーツを着たサラリーマンと思わしき人物が店に入ってきた。「いらっしゃいませ。」と僕が言った。
「花束ひとつ見繕ってくれませんか?」
「少々お待ちください。」と彼に言うと僕は奥にいた翠さんに声をかけた。彼は、少し緊張していたのか落ち着かない様子だった。翠さんは、お客さんの要望や花束のシュチュエーションを聞き、イメージを膨らませていた。どうやら彼は、プロポーズを今夜行うらしい。大学生から5年付き合っている彼女へ送る花束を買いに来たという。花屋に入るのも初めてらしく、落ち着かないらしい。そんな彼に、優しくそして花にまつわる小ネタを挟みながら翠さんは、薔薇のドライフラワーと薔薇の生花を上手く組合せ、ブルースターをその周りを囲うようにした赤と青のコントラストが素敵な花束を作った。数分にして完成した作品であったが、素人の僕から見てもとても綺麗だった。何か中毒性があるようなデザインでずっと見ていられるそんな花束だった。彼は、花束を受け取るととても喜んで店を出ていった。翠さんは花の心を読むのも得意だが、人の心を掴むのも上手い人だと改めて感じた。
「素敵な花束でしたね。」と僕がいうと、翠さんは静かに言った。
「かぶれるくらいの愛で棘を包んで。そう直感したんだ。二人の恋は、愛に昇華するためには痛みを越えるくらいの刺激が必要なのさ。」
「何言ってるんですか。」
僕はよくわからなかった。翠さんは笑いながら花の状態をチェックしていた。こういうところも翠さんの魅力であることは確かである。詩人的な要素はやはりアーティスティックの所以なのかもしれない。
「そう言えばセレンくん。君、彼女とそろそろ半年記念日ってい言ってたよね。花束作ってあげるよ。」
「え。いいですよ、そんなわざわざ。たかが半年記念日ってだけですし。」
「もう僕のインスピレーションは君達の花束を表現しているから。ボーナスだと思って貰っておいてよ。」
「ありがとうございます。未来もきっと喜びます。」
突然のサプライズに僕は驚いたのと同時に、翠さんが表現する僕と未来の花束がどんなものになるかとても気になった。そこにはどんなテーマがあるのだろうか。僕は、バイト中ずっとそのことを考えていた。
「セレンくんみてるとね、いい作品のアイデアがいっぱい出るんだよ。」
翠さんは、よく僕にこういう。「僕がどういう意味ですか。」と問い返しても教えては貰えない。自分は、凡庸な人間であると心底思っているので不思議でならなかった。
 そうこうしているうちにバイトは終わり、家に帰り着いた。今日の夜は、なんだかお酒が飲みたい気分になった。未来はまだ帰ってきていない。今日は、バイト先の飲み会だったと言っていたっけ。僕は、冷蔵庫から適当なおつまみを取り出し、ハイボールの缶と一緒にベランダに出て初夏の風に当たりながら緩いハイボールを口に含み部屋から見える景色を見ていた。東京の街は、夜も眠らない。アルコールが身体に回ってきた。なんだかカフカの小説が読みたくなった。本棚からカフカの短編集を取り出し、僕はペラペラと読んで行った。この時、ラグナロクはそんな僕を本棚から何かを訴えるように見つめていた。のかもしれない。

ー土曜日。お茶の水駅前。
「おーい。こっちこっち。」
 白の普通車から先輩が笑顔で手を振っていた。僕は先輩の方へ歩み寄って行った。みんな既に乗っているらしく僕が最後だった。僕達は、早速秋山渓谷へ向けて出発した。都心のビルの森がだんだん木々の森に変わって行く。クラクションや排気ガスを感じなくなり、鳥や木々の囀り、土の匂いを感じている。非日常的な世界へ没入していく感覚だ。
 僕は、未来にもこの空気を吸わせてやりたいもんだと思った。未来に今日はサークルで秋山渓谷に行くというと、少し渋い顔をして気をつけてねとだけ言っていた。虫が苦手な彼女には、渓谷というものがあまり良いものには感じないのだろうか。景色だけでも持って帰るかと思いスマホで写真を撮って帰ろうと思った。
 車内は、先輩がポルノグラフィティのミュージック・アワーを流しながら剣崎が助手席で変な踊りをしていた。騒がしい人たちだなと思って横にいる黒奈に目をやると相変わらず菓子パンを食べていた。
「今日はなんの菓子パン食べてるの。」
黒奈に尋ねると、粒あんバターコッペパンといった。
「何処か遠出するときはいつもこのパンにしているのよ。甘すぎないのがいいわよ。一口食べてみる。」
黒奈が僕に粒あんバターコッペパンを渡した。僕は、一口食べてみると黒奈の言った通り、ちょうどいい甘さにバターのえん味が丁度いい塩梅でたまらなく美味しかった。
「めっちゃ美味しいね。バターのえん味とあんこの甘さが丁度よくて後を引くな。あと、このパンが香ばしくて香りも楽しめるね。どこで売っているの。」
「セレンくんって意外と食レポとか好きなの。めちゃくちゃ語るじゃない。売ってる場所は私のバイト先よ。目黒のお店。今度いらっしゃいよ。サービスしてあげるわ。」
黒奈は微笑みながらスマホを見せつつ僕に言った。
「今度お店にはお邪魔させてもらうよ。あんまり食レポとかしたことないんだけどな。まあ、高校生の頃ファミレスで食レポとか友達にさせられてたからかな。無意識にでてるのかも。」
「何それ、めちゃくちゃ面白いじゃない。今度フレンチでも一緒に行って食レポしてもらおうかしら。」
「いや、それはやめてくれ。恥ずかしい。」
黒奈が僕をからかっていると、続け様に運転席の先輩が「浮気は良くないぞ。」と茶々を入れてきた。
「浮気じゃ無いですよ。先輩は運転に集中してください。」
僕は、呆れ顔で言った。全く、このくらいで浮気なんて言われたら世の中の男女は浮気しかしていないことになるぞ。と内心思いながら適当に流した。
 そうこうしていると、会場地となる渓谷に着いた。車が走り始めてから1時間くらい経っただろうか。御茶ノ水駅は軽く汗ばむような陽気であったが、ここはとても涼しかった。
「綺麗な水ね。やっぱり1時間かけてこんな山奥に来るだけのことはあったって感じね。」
「確かに黒奈ちゃんの言う通り、ここなら丁度胃良さそうだね。じゃあ、管理人の人がいるからその人のところへ挨拶に行こうか。」
先輩に先導されて、僕らは寂れたプレハブ小屋へ入っていた。プレハブへ入るとイルカのような鼻をした中肉中背の顎髭を立派に蓄えた40代の男がタバコを咥えて本を読んでいた。
「こんにちは。電話でお話させていただいた白弓勝です。笛吹さんいらっしゃいおますか。」
「あー、はいはい。アンタが白弓さんか。まあ適当にすわってくれ。」
思ったよりも高い声で古びた皮のソファーに案内された。四人が座るには少し窮屈そうだったので、剣崎が俺は座らなくていいよ。と言ってそのまま立っていた。左から先輩が座ってぼくが真ん中、最後に黒奈が座った。先輩は僕らを笛吹さんに軽く紹介してくれた。
「えーと、こちらの女性が餓虎黒奈。こちらの立っている男が剣崎緋志。そして、こいつが月喰セレンです。」
僕の名前を言うときだけなぜか肩に手をやってきた。痛いんですけどと僕が言うと、軽く笑いが起こった。
「私の名前は、笛吹光です。どうぞよろしく。ところで月喰さん、珍しい名前だね。ご実家はどこ。」
「九州の田舎ですよ。苗字以外は普通の家です。」
「へー。でもまあ、名には意味が必ずある。そういう天職的なものがあるといわれているよ。きっと何かあるんじゃないかなと思うよ。」
タバコを灰皿に置いて、笛吹さんは剣崎の方を向いて続けた。
「剣崎さんは、タバコ苦手なのかな。すまんね。」
「あ、すいません。スポーツやっていたんで少し気になって。それにしても。よく気づきましたね。俺、顔に出てましたか。」
「顔には出ていないけど、呼吸が極端に弱くなっていたからね。」
驚いた、そんな些細なところに気づくなんてなんて鋭い男なんだろうか。そこへ先輩がすかさず質問をつづけた
「すごいですね。その技術どこで磨かれたんです?」
「何も鍛えたわけじゃない。音だよ。剣崎さんの呼吸音を聴き分けただけだよ。昔から耳だけはよくんてな。」
「なるほど、先天的なものなんですね。あ、だからこの渓谷でかんりのお仕事されているんですね。都心じゃ煩すぎるから。」
「白弓さんは、鋭いな。あんな雑音まみれの場所じゃ頭イカれちまうよ。こう言う静かな場所で過ごしたくてね。この土地の地主に頼んでここのの管理を住み込みでやらしてもらっている。」
先輩は笛吹さんとすでに打ち解けていた。さすがとしか言いようがない。
「ところで、白弓さん。君らがやるサウナフェスだっけ。そちらにはどのくらいの規模でやるんでしたっけ。」
そう、笛吹さんが言うように僕らのサークルが企画しているのは、サウナフェスである。サウナフェスとは、サウナ好きのサウナ好きのためのフェスである。そんなコンセプトで始まったフェスである。最初は、僕と先輩がサウナであったのが発端だった。思えば未来に似た運命的な出会いであった。

 僕と先輩が出会ったのは、今日のような夏を感じさせるような日だった。僕は、九州から都心に出て来たばかりで正直圧倒されていた。街を歩けば群衆・群衆・群衆。人ゴミとはよく言ったものだ。ゴミゴミした空気に嫌気が差していた。どこか落ち着けるところを欲していた。そんなとき、とある声優さんがYouTubeでサウナに行っている動画を見た。「これだ。」直感的に僕は、サウナに魅力を感じた。早速、近所のサウナ施設に足を運んだ。受付を済ませると中に案内された。サウナに入ると熱気と蒸気で圧倒された。中の温度は、90度となかなかの暑さだった。お客さんは、僕と同じ大学生くらいの人が一人だけだった。1分、3分、3分30秒、3分35秒・・・。だんだんとしんどくなってくる。早く出たいが5から10分程度を目安に出るの事がサウナの入り口に書いてあった。こんなところで出るわけにはいかなかった。汗が目に落ち沁みる。身体が悲鳴を上げている。4分50、51、52、53、54、55、56、57、58、59秒、5分ー。僕はよろめきながらサウナの外に出た。近くの椅子に力なく座った。僕が冷蔵庫で萎れた葉野菜みたいになっていると、先に入っていた大学生が水風呂に一目散に入っていった。僕は正気の沙汰とは思えなかった。水風呂なんて普通の時ですら凍えるほど冷たいのに、サウナに入った後に入ると温度差で死んでしまうのではないのか。そんな疑問を感じた。しかし、彼は最初こそは冷たそうな顔をしたもののその後は天国のような顔をしていた。そして5分くらい経っただろうか。彼は水風呂から出て黄色のポカリスエットを飲み、生ビールを飲んだサラリーマンのように「ぷはー」といって僕の隣にドサっと座った。
「君、もしかしてサウナ初心者。」
彼は、かなり脱力した声で僕に話しかけてきた。
「そうです。今日が初めてです。youtubeで見て試しに来てみたんです。」
「やっぱりね。水風呂入らなかったろ。水風呂入らないと整えないよ。」
「’’整う’’って何ですか。」
僕は、この男が何を言っているのか全くわからなかった。’’整う’’という聞き覚えのない言葉に僕は驚いた。
「’’整う’’って言うのはね、いわば至高の状態。身体の力が抜けて浮いているような感覚になる現象でサウナの醍醐味だよ。サウナはねまず身体を温める。自分のギリギリくらいなところまで身体を温めることで汗がたくさん出て血行が良くなるし、筋肉の強張りが解消されるんだよ。その後、水風呂で身体を急激に冷やすことで、毛穴が引き締められて身体の体温が逃げにくくなる。自律神経も活発になることで活力が出るんだ。最後にこういうベンチで休んでこれらの負荷から解放してあげることでストレス解消とかの効能がある。あと、これだな。」
彼は、手に持った黄色いポカリスエットを僕に見せてきた。
「おろぽって言うんだけど、ポカリスウェットとオロナミンCを混ぜたドリンク。サウナ後のこいつが堪らないんだよな。」
なるほど、黄色いポカリスエットはオロナミンCの色だったのか。僕は疑問が一つ解けた。だが水風呂に入ることに対して抵抗があった。
「水風呂って冷たくないんですか。」
「最初はね。でも暫くすると衣って言って身体の周りと冷たい水との間に層ができて冷たさを感じなくなるんだ。まあ「百聞は一見にしかず」「百見は一考 にしかず」さらに、「百考は一行にしかず」って言うだろ。とりあえずやってみよう。俺も今日はあと一周するつもりだから。」
「お、お願いします。」
こうして僕と彼はサウナを1周することになった。再び、僕らはサウナの扉を開けた。
「じゃあ、10分間くらいで。」
僕は、彼の言葉に返事をして、ゆっくりと入った。一歩足を踏み入れた瞬間から額から汗が滝のように流れ、目を開けるのもかなりしんどい。しかし、この男は自分のいつものポジションについて座ると目を瞑り、水面が凪るような落ち着き様だ。何と言う精神力だろうか。僕には真似できない。僕も目を閉じる。湿度の音がする。頭の中にノイズが走るような感覚で集中なんてできっこない。
「そろそろ10分かな。じゃあ君も、水風呂に行くか。」
その号令を聞いた瞬間、僕は一目散に扉から出た。
「しんどい。しんどすぎる。」
心からの声が溢れた。そして、水風呂へ進む足は止まり、心の準備ができないでいた。すると彼は、僕が吐いたネガティブに後ろから背中を押した。僕は水風呂に無理矢理いれられた。
「うわあっ。冷たい冷たい。死んでしまう。」
僕は喚きながら身体をバタつかせた。それを横目に彼は爆笑していた。
「お前、反応が面白いな。あと、あんまりあばれるなって、羽衣ができないだろ。」
「とは言っても、冷たくて。どうしようもないなんですようー。」
僕は、身体を体育座りの姿勢にして縮こまった。少しでも水に触れる面積を小さくしなければ。そう思った。耐えろ耐えと言い聞かせながら。2分くらい過ぎた頃からだろうか。何だか冷たさが消えていた。何かを纏ったようなそんな感覚になった。
「あれ、冷たくなくなっている。」
「言ったろ。これが羽衣よ。さあ、そろそろ上がってベンチタイムだ。」
僕と彼は、ベンチに座った。彼は、オロポを差し出し僕に飲ませてくれた。喉が乾いてることを忘れていた僕は、急にその欲望が押し寄せてきたせいか遠慮なく半分くらい一気に飲み干してしまった。最高だった。糖質が自分の身体を巡りATPに変わっていくのを感じるかのようだった。それに、何だろうこのとてつもない脱力感は、今までに感じたことの無い感覚に僕は襲われていた。横目で彼を見ると同じように脱力していた。
「これが”整う”ってやつなんですね。想像以上に気持ちいいです。」
「だろ。なんて言うかな。サウナの暑さを超えた先にあるこの気持ち良さがたまんないんだよな。あと、オロポ上手いだろ。」
「はい。めちゃくちゃ上手いでうす。ATPの合成かんじました。あと、半分くらい飲んですみません。」
「ATPって、その感想お前理系かよ。いいよ、もう一本あるから。それ全部やるよ。」
そう言って、彼はオロナミンCとポカリスエットを取り出し、手慣れた手付きでオロポを作っていく。僕らは、20分くらいずっと脱力していただろうか。全裸でベンチに座る僕らはたわいもない会話をずっとしていた。

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