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ソクーロフの太陽(2005年:監督:アレクサンドル・ソクーロフ)【お上、映画紹介の希望がありまして「あ、そう」謎の生命体が出てくる映画が妙にリアルだと話題に「君、それを先に言いなさい」(ホントか?)】

昭和天皇が出てくる映画を紹介したので、
じゃあ今度はロシアの映画監督ソクーロフの映画。
テーマは同じ。

日本人にとっては不快だとコメントされることが多い作品だ。
私は別にキライじゃない。面白かった。文芸として観ちゃう。

だいたいのあらすじは、
(ネタバレ、入ります!)
以下は映画の描写ですのでよろしく。










終戦直前から直後。
昭和天皇がマッカーサーと握手するまでの物語。
舞台は以前に紹介した「終戦のエンペラー」とだいたい同じだが、
あれは周囲を描いたのに対して、
こちらは昭和天皇その人に迫っている。

昭和天皇の本来の姿は、
生物を愛する生物学者で、暇さえあれば研究したいと思っている学者だ。
学問を愛している人だ。

ところが終戦の時、彼はまだ「現人神」として崇敬されている。
自分を崇敬してくる人のために「現人神」を演じ続けなければいけない。

それでも多くの人が「天皇」のために死んでいくのに対して、彼は演技を続けなければいけない。やがて戦争が終わると、今度はアメリカとの「和解のシンボル」になることを期待される。やはり演技を続けなければいけない。

しかし彼の本文は学問を愛する学者なのだ。
できれば学問の世界にだけ住んでいたい。
しかしそれは許されない。

ラストエンペラーの溥儀を連想させるところがあるが、
あれは退位後の姿なのに対して、昭和天皇は義務を放擲することなく、最後までバランス感覚を維持する。

結論から言うと、昭和天皇は決して義務から逃げることなく「天皇」としての役割をこなしきった。
もちろん学者でもあった。
しかしこの両立は、本質的に誰にも理解されない苦行なのである。
苦しみ。
しかしその苦しみを外に漏らすことはない。
「天皇」だから。

そんな「陛下」の口癖は「あ、そう」である。
実は雅な言い方なので、我々の印象ほど乱暴な言葉づかいではないのだが、
まあ「あ、そう」なんである。
しかしこれは「陛下」になってる時のセリフだ。

学者になると彼は人間に戻る。

米軍から、日系アメリカ人の連絡役がつけられる。
(確かそんな感じ)
彼は、米兵ではあるが、天皇への崇敬は親世代に叩き込まれている人物だ。

彼は周囲の期待に応えて、和解のための握手をマッカーサーと行う。
「現人神」は「人間」に貶められたが、彼が気にすることはない。
元より演技なのだ。
しかし周囲はそうではない。
米兵の青年は米兵なのに苦悩し、
握手を撮影した映写技師の青年だったか、は自決してしまう。

陛下「もちろん止めたんだろうね?」
米兵「いえ」
・・・・・・

陛下「あ、そう」

「陛下」は最後まで「陛下」の役割を演じきったのである。
他に、できることはない。

どれだけ苦痛であっても、
生きていくことを辞めるわけにはいかない。
生きるとは、そういうことなのだ。
別に彼のような立場ではなくても。

結論。
アート映画としては文句なく合格!
ネタバレはなにとぞご容赦を。
ことさら日本を描いたというより、もっと普遍的なテーマに切り込んだ作品だと私は考えています。

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