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乳製品と人の関わり

さて、今回は食文化の切り口から、歴史や地理的なことを少し書いてみたいと思います。

今回取り上げる食材は「ヨーグルト」。
日本でも、健康食品としてお馴染みですね。
ヨーグルトというと、日本では「ブルガリア」のイメージが強いです。
これは、明治乳業株式会社の「明治ブルガリアヨーグルト」という商品が大ヒットしたこと、
大相撲でブルガリア出身の琴欧州関

が活躍し、ブルガリアヨーグルトのCMにも登場したことも一因でしょうか。ちなみに琴欧州関、今は鳴門親方として活躍

されています。

序、明治ブルガリアヨーグルトについての小話

明治ブルガリアヨーグルトの誕生は1970年にさかのぼります。
1970年と言えば、大阪万博が開催された年です。
大阪万博に出展していたブルガリア館

で供されていたのがプレーンヨーグルト
※プレーンヨーグルトとは、硬化剤(ゼリー化)やショ糖などを加えていないヨーグルト。今風に言うと「生ヨーグルト」でしょうか。

それを食べて感激した明治乳業のスタッフがその味に感動し、商品開発がスタートしました。

そして、日本初のプレーンヨーグルトとして発売されたのが「明治プレーンヨーグルト」


あれ?ブルガリアじゃない?と思うのですが、「ブルガリア」は国名なので、商品名に勝手につけるわけにはいかないんですね。
当初、ブルガリアは国名使用を許可してくれなかったのですが、明治乳業の熱意に押されて1973年、国名使用を許可。
晴れて「明治ブルガリアヨーグルト」

が誕生します。

ちなみに、ブルガリア政府と明治乳業は長いお付き合い。
本場ブルガリアと同等以上の品質を保つために、定期的にブルガリアから乳酸菌を輸入しています。
もちろんこれにもブルガリア政府の許可が必要。
菌類ですし、管理が難しいことからそう簡単には許可は下りないようです。
これらのこだわりは大阪万博での感動から生まれているんですね。

明治乳業が
「明治ブルガリアヨーグルトはヨーグルトの正統」
と言い、駐日ブルガリア大使も
「単なるイメージやブランド名としての『ブルガリア』ではない」
と発言する辺り、絆とプライド、信頼関係を感じますね。

そして、日本で「ヨーグルト(を含む乳製品全般)はヨーロッパのもの」というイメージが強いのは、もう一つ、日本における乳製品の歴史も関係しています。
まずはその辺りを少し掘り下げてみましょう。


1、日本における乳製品の歴史

実は、日本における乳製品の歴史はかなり古い時代までさかのぼることができます。
それは古墳時代(3世紀半ば~7世紀頃)です。

しかし不思議なのは、古代日本は「牧畜(多数の家畜を集団化して飼育、生活の多くを家畜に依存する)」文化があまり見られない民族なのに、牧畜民の食文化である乳製品の利用がなぜ始まったのか、という点です。

この時代は、厩戸王(聖徳太子)

の活躍でも見て取れるのですが、大陸文化を積極的に取り入れた時期でもあります。
その時に、仏教などと共に伝わったのが搾乳の技術と乳製品です。

記録に残る最初の乳製品は、6世紀中頃の渡来人が天皇に献上したというのもの。
渡来人は天皇に「牛乳」を献上、「和薬使主」の名を賜っています。

当時の東アジア地域では、乳製品は滋養ある食品として薬のような使われ方をしていました。
「和薬使主」という名前からも、当時の乳製品が薬として認識されていたことが伺えますね。

また、乳製品にはほのかな甘みがあります。
「甘味」のある食品が珍重されていた時代ですから、そういった意味でも乳製品は大変に人気がありました。
ただ、とても貴重品なので、乳製品を手に入れることができるのは皇族や一部の貴族に限られていたようです。

そしてその人気ぶりから、飛鳥時代には日本独自の乳製品が誕生します。
それは「蘇」

当時の製法は失われています(上のものは製法を推測した復元品)が、「乳を煮詰めた乳製品」のようです。
ただし、単に煮詰めただけでは腐ってしまいますので、上の写真のようなさらに加工を加えたものという説が有力です。

いずれにしても「美味しいもの」だったようで、律令制度の中では東国や摂津国などからの重要な献上品となり、都の貴族たちの間で大変な人気を博していたようです。
しかし鎌倉時代以降、戦乱が激しくなり、律令体制による支配が終焉に向かうと蘇の生産はストップしてしまいます。
あくまでも朝廷への献上品であり、庶民が口にするものではなかったからですね。
さらに社会的に見ても、仏教が広まったことで哺乳類を食用とすることが激減したため、乳製品の利用も根付かなかったと考えられています。
その後江戸時代中期に至るまで、乳製品の記録は日本の歴史から消えてしまいます。

そして、江戸時代中期の享保12(1727)年、8代将軍徳川吉宗がコブウシ

を輸入し、薬として濃縮乳の製造を始めたことで、日本でも乳製品製造が復活します。
しかし、栄養失調や結核などの病気に効く「妙薬」という扱いで、やはり上級の武士や貴族のためのものでした。
それにしても吉宗公、本当に色々なものを導入していますね。
やっていること(気象観測とか)を見ると、かなり理系な将軍です。

結局、庶民が乳製品を口にするようになるのは、最初に日本に乳製品がもたらされてから実に1300年後の1860年代以降になってからです。

幕末になり開国すると、横浜や神戸などに外国人居留地ができます。
そこでは乳製品の需要があったため、アメリカやヨーロッパの技術を使った乳製品の製造がスタートします。

明治3(1871)年には東京で最初の牛乳店がオープン、その翌年には「乳母いらず」というキャッチフレーズで哺乳瓶が発売され、さらにその翌年、缶詰に入った練乳(コンデンスミルク)が、地方で利用できる乳製品として紹介されるなど、全国的に乳製品の認知度が高まっていきます。
※英語表記では「condensed milk」なので「コンデンスドミルク」が正しいのですが、コンデンスミルクが一般的な呼称なので、記事中ではそのように表記します。

ちなみに、コンデンスミルクは、地方において母乳の代用品として重宝されていました。さらにもう少し時代が進んだ大正6(1917)年には、和光堂が国産の粉ミルク「キノミール」を発売し、コンデンスミスクに代わる母乳の代用品となりました。
1900年頃にはガラス瓶に入った殺菌済み牛乳の宅配がスタートし、牛乳や乳製品は庶民のものとなっていくのです。

この急速な普及の背景には、明治政府の近代化政策も関係していました。
「殖産興業」「富国強兵」を実現するためには、欧米人のような強く逞しい肉体が必要である。
そして、そのためには欧米の食文化(肉食と乳製品の摂取)を導入するべきである、というのが当時の明治政府の方針だったのです。

ところで、この時に普及した乳製品はどれも「飲む乳製品」です。
これは、当時の日本の主食はまだ米食であり、チーズやバターなどについてはほとんど食卓での出番がなかったため。

この日本の「飲む乳製品」の文化の流れで開発されたのが「カルピス」

です。
カルピスが発売されたのは大正8(1919)年。
カルピス株式会社創業者の三島海雲

が、モンゴルの乳酸菌飲料をヒントに開発した商品で、この大ヒットにより、日本でも発酵乳文化が普及していきます。

さらに戦後、食生活にも大きな変化が訪れます。
それは、「食の欧米化」。パン食や副食の増加が、バターやチーズの需要を押し上げていきます。
また、戦後すぐの学校給食で脱脂粉乳が出され、乳製品に対する心理的なハードルがさらに下がったことも一因です。
つまり、「食べる乳製品」の普及はここから始まったのです。

最初に普及が始まったのはバターやチーズです。
これは、主食や副食の材料として、あるいは酒の肴としての需要があったためですね。
バターはその後、1950年代以降日本に入ってきたマーガリンとの競争にさらされることになります。

そして1970年代に入り、ヨーグルト(デザートや健康食品として)の需要が高まります。
1970年代以前は、ヨーグルトは硬化剤を加え、ケーキのような食べ方をすることが多かったのですが、先述の通り、1970年に明治乳業株式会社が発売した「明治プレーンヨーグルト(当時)」が大ヒット。健康志向の波に乗り、爆発的に普及します。

日本における乳製品の歴史、意外に長いものですね。
ただ、やはり現在の日本における乳製品の文化は「開国後」や「戦後」のもの
乳製品はヨーロッパ(やアメリカ)の文化だ、という多くの日本人の感覚は、この辺りからも来ていると考えてよさそうです。


2、「ヨーグルト」が誕生したのはどこ…?

さて、ヨーグルトは先述のように発酵系乳製品の代表格なのですが、その生まれはいったいどこなのでしょうか?
何となくブルガリアのイメージがあるのですが、世界の牧畜文化を見てみると、どうもそうではなさそうです。
というわけで、人と乳製品の付き合い、そしてヨーグルトの誕生について、少し掘り下げてみたいと思います。

・人が「牧畜」を始めたワケ

そもそも、人が「牧畜」を始めた理由としては、「気候的・地形的に十分な耕作が困難である」という点が挙げられます。
牧畜では、有蹄類・哺乳類の反芻動物(草食)を多数飼育することで、生活を成り立たせます。

人間が消化吸収できない植物の「セルロース」をエネルギー源として活動できる反芻動物を利用して、その変換したエネルギー(乳や肉、毛など)を利用するということです。
反芻動物にはウシ・ヤギ・ヒツジ・キリン・バイソン・シカ・ヌー・アンテロープ・ラクダ・ラマが含まれます。
つまり、ここでいう牧畜は、豚や鳥などの飼育は含まないことになります。

牧畜が最初に行われたと考えられるの新石器時代はおよそ1万年前、場所は半乾燥地帯(西アジア=現在のトルコ辺り)です。

そして、搾乳が始まったと考えられているのが8000~9000年前。ただ、このタイムラグは「搾乳していた証拠がない」ということなので、もしかしたら今後、話が変わるかもしれません。

ところで、牧畜民は「肉をたくさん食べる」というイメージは、少し事実と異なります。
牧畜では、一年を通して十分な飼料を確保する必要があるため、もし肉だけを目的にするのであれば牧畜より狩猟の方が効率が良いのです。
むしろ牧畜の目的は、搾乳にあると考えた方がよさそうです。

家畜はできるだけ殺さず(食肉にするのは去勢した雄と、乳が出なくなった雌にほぼ限られる)、選抜した優秀な少数の雄と多数の雌を確保して頭数を増やしていくことが生活の安定につながります。

乳は豊富なカルシウムやミネラルを含み、完全食品に近いものです。
人々は、これを(言い方は悪いですが)横取りすることで、食料の確保を図ったのです。


・なぜ発酵乳を作ったのか

発酵乳を作るようになったのはやはりそれなりの理由があります。
毎日、食料として十分な生乳が確保できるのであれば、それを飲めば良いだけの話ですよね。

ちなみに、家畜を飼育していても乳を利用しない地域もあります。
例えば、他にジャガイモや豆類の栽培などで栄養源(特にカルシウム)が確保できるアンデス高地はその典型例でしょう。
逆に考えると、乳を積極利用している地域は、それに栄養摂取を大きく依存している(=確保できなければ飢餓につながる)ということになります。

しかし、1年間を通して家畜が乳を出すのか、というとそんなことはありません。
乳は「子どもに与えるもの」なのですから、子育ての時期以外は出ないですよね。
子育て以外の時期には搾乳はできませんから、その時期の食糧を確保する必要があります。
そういった需要から生まれたのが、発酵による保存技術です。

まず、生乳は加熱殺菌した上で乳酸発酵させることにより、保存性のあるヨーグルトに加工されます。
牧畜民は、生乳をそのまま摂取することはほとんどなく、ヨーグルトを食します。
ヨーグルトは、さらに蛋白質や脂肪分を分離し、長期保存が可能なバターやチーズに加工され、搾乳できない時期に備えるのです。
他にも乳製品の加工技術はありますが、この方法がもっとも古くから存在していたと考えられます。

つまり、ヨーグルトは「乳製品の母」とも言える存在なのです。

さらに言えば、生乳は大量の「乳糖(ラクトース)」を含んでいます。ところが、多くの人は大人になると、乳糖を分解できなくなってしまいます(乳糖不耐症)。
発酵乳は、乳糖を発酵のプロセスで排除し、大人でも消化吸収ができるようにしている、という側面もあります。

3、ヨーロッパにはどのように伝わった?

西アジアで生まれた発酵乳の技術は、北・中央アジア、南アジア、そしてヨーロッパに形を変えて伝わっていきます。
ここでは、ヨーロッパへの発酵乳の伝播について見てみましょう。

ヨーロッパで古くから発酵乳文化が根付いた地域の一つはブルガリアでした。
ブルガリアの地形は国土の3分の1を山岳地帯が占めています。
ちなみに、バルカン山脈(スタラ・プラニナ)とスレドナ・ゴラ山脈にはさまれた一帯は「バラの谷」と呼ばれる薔薇の一大産地です。

この地域では、夏は冷涼な山地、冬はエーゲ海沿岸に家畜を伴って移動する移牧が行われていました。
ブルガリアの人々が作る乳製品を見てみると、ヨーグルトの他に、バターやチーズも見られます。
これらの文化は、発酵乳文化発祥の地である西アジア(トルコ)から伝わったものだと考えられます。

ここで面白いのがチーズです。
チーズを「熟成」させるという他地域にはない工程が見られるようになります。
ブルガリアは気温が低いので、ゆっくり熟成させるという工程が可能になったんですね。
多くのヨーロッパのチーズが「熟成」という工程を経るのは、気候的に熟成が可能であったこと、そして熟成したチーズの美味しさに気づいてしまったからです。
また、ヨーロッパの他地域で見られる熟成チーズ(ハード系)の歴史もあるのですが、それはまたの機会に。


さて、ヨーロッパでヨーグルトが人気を博するようになったのは、ある人物の著書がきっかけでした。
その人物はロシア帝国の微生物・動物学者、イリヤ・メニチコフ

彼は1907年、著書『長寿の研究』の中で、ヨーグルトを摂取することにより、腸内細菌による自家中毒が抑制され、老化を防止できる、ということを、実験や調査に基づいて述べています。
この調査の対象は主にブルガリア。彼のブルガリア旅行での見聞がこの著書の完成に大いに貢献したのです。
1908年、食菌作用の研究においてノーベル生理学・医学賞を受賞したことから、ヨーグルトの健康への有用性が広く認知されるようになり、ヨーロッパにおけるヨーグルトブームにつながるのです。

彼の功績を讃えて、5月15日は「ヨーグルトの日」とされています(明治乳業が制定)。

「乳製品の母」として長い歴史を持つヨーグルト。
今日、「ヨーグルトの日」に、その歴史に思いを馳せながら楽しんでみてはいかがでしょうか。
ひょっとしたらその乳酸菌、ご先祖(?)は数千年前の菌かも…。

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