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大晦日のひとり言:少し繊細な、大きな子供と小さな大人へ

ノータイトルド・ドローイングプロジェクト『さいたまトリエンナーレ2016』
鉛筆による23mの壁画の一部

少し繊細な、大きな子供と小さな大人へ

ある日の展示会場での観客からのご相談。

地獄の苦しみに悶え瀕死の時どうするか?

『地獄というのは自分の中にあり、どんなに恵まれている環境にいても、自分の気持ち次第で牢獄や地獄にいるかのような苦しみに変化してしまうもの — 全てはあなたの心次第で、余計な事は考えず目の前の現実に対し懸命に立ち向かっていけば、いずれ自ずと道は開ける。時に忍耐は必要である。』

例えば上記のような認識について — 一見最もらしい見解ですが、果たして本当にそうでしょうか。地獄と感じる以上、本人にではなく環境そのものに大きな問題があるのではないでしょうか。そもそも時と場所を選ばすして努力が報われるのか — もしかしたら全てが徒労に終わる可能性も否定出来ないのでは….? 上記の認識は、個人の心身の平和のためではなく、実は組織や保守的な社会のためにあるのかも知れません。

一般的に美徳とされているものが、悪習である場合が多くある。

何かが確実に自身を蝕んでいると感じでいる以上、出来れば原因を突き止め「余計な」しがらみを振り捨て、脱獄するが勝ちなのではないか、と心底私は思います。日本人は真面目で、その真摯な生真面目さが裏目に出て、気が付かないうちに取り返しのつかない所まで心身共に深く蝕まれ、自分を見失う事も少なく無い。ミレニアル世代である私自身、耐えに耐えた結果、一見普通に生活をし、仕事もまともにこなしているのですが、記憶がごっそり抜け落ちているという事が数ヶ月継続した経験をしました。打ち合わせで記録した議事録を見て、前後を含め一切記憶に無いどころかその後の対応も記憶にない。その間コミュニケーションにトラブルは特に無く、議事録も論理的に纏められており、私と言う名の別人が替わりに仕事をしていたとしか思えない。その事に気がつき、その環境を離れ一年くらいして突如記憶が回復した事があったのです。

劣悪な環境に耐えるより、自分の思い描く人生を生き、自身の考える成功を掴むには新しい環境に移る方が健康的であると思います。もしも、その事で責任を感じるなら煉獄で仲間と一緒に焼かれるのではなく、移動先で力を付けリゾートのビーチ位の場所を新しく作り、同じ様に苦しむ人間から肩の荷を下してあげれば良いのではないかと思うのです。

自分自身が壊れたら、守りたいもの、大切な人達を支えられなくなってしまうからです。

芸術祭会場での5ヶ月間の壁画作品のプランニング。一度展示会場の壁に直接作品を
描いてから一度全て消し、小さな紙に書き起こし修正点を洗い出す作業。

作品でも、日常の事象でも、物事を俯瞰し本質を捉え、未来を見据えるためには「何故」を徹底的に考える必要があります。そのために既に存在するルールや前提条件を疑う事は大切な事です。

  • 「何故」地獄と感じるのか?

  • その環境下で耐えるに値する価値とはどの様なものか?

  • 何故そこに価値があるのか?

どんな人間も、意思の強弱に関わらず想像以上に周りの環境に左右されます。環境は人間を変え、人間は環境を作るからです。

また、どんなに才能のある人間も、環境が腐っていればやがて心が蝕まれる。
地獄のような環境で我慢しろというのは、自我を捨て、社会の歯車の一つとして迎合する — つまりアイデンティティを捨て、足並みを揃えて周りの人の役に立てという事ですが、同時に社会において唯一無二の存在では無くなるという事でもあります。

人と同じ事をしていたら、唯一無二の存在にはなれない。

凡庸な人生 — 目標がなく、ただ過ぎゆく時間を見つめるだけの人生で良ければそれで良いですが、もし何か胸の内に譲れない事や願いがあるのなら、自分にしか無い唯一無二の普遍性を見つける必要があります。そのために自らを奮い立たせ、立ち上がり、新しく物事を始める事に死ぬまで遅いという事は決してありません。

何があっても、叩き潰されても立ち上がる勇気を持ち、継続する事が、最終的に欲しいものを手に入れることに繋がるのだと思います。それは思い描いた形とは異なっているかも知れませんが、想像を超える奇跡的な出会いと希望が必ずあるものです。そして、人は希望を見出し自分自身を強く信じる時、どこまでも強くなれる。そうして自分自身で道を切り開いていく事で強い自信と実績、本当の意味での成功に繋がるのだと思います。作家活動を通しそういう人を私は沢山この目で見て来ました。

ノータイトルド・ドローイングプロジェクト『さいたまトリエンナーレ2016』鉛筆による23mの壁画。芸術祭の最終月の写真

あまり堅苦しい事を考えず、肩の力を抜いてふんわり生きて行けたらいいけれど、今までにない新しい価値観を創出し突き抜けるには、そうもいきません。腹を括り独立独歩でナタで荒野を切り拓いて行かなければならない事が多くある。更に、一世であったり、家庭が裕福で無い場合、人脈も資金も全然足りないため周囲の人間の倍以上努力しなくてはいけません。

初めは100人中、何人か味方してくれたらまだいい方だと思います。
今日の友は明日の敵という事も多々あったりすると思います。

嫉妬の嵐の中、誹謗中傷で死んでしまいたいと思う事があるだろうし、
大切な人を失ったり、今まで努力をして積み上げてきた全てが崩れ落ち、絶望感から抜け出せない事もあるかと思います。

絶望感に襲われた時、自身を肯定し希望を見出すまでに
地に足を着け、自分自身が誰なのかを問う—

もう駄目だと限界を感じる一歩先に可能性が広がり、奇跡は日々の努力の先に必ず用意されているものです。

少なくとも、自分の人生はそうであり、
私の知っている多くの人々の人生も同様です。

もし、地獄の様な状況に身を置く事でメリットがあるのなら、それは今まで知らない内に耐えてきた現状に対して、もう満足できない位成長した証である事だと思います。困難は乗り越えるためにあり、絶望や地獄の様な経験を通しその先の喜びを知る事で、自分自身が大きく変わり、周りに影響を与え、小さなうねりがやがて大きなうねりになるのだと思います。最終的に無駄な経験は一つもありません。しかし、それはあくまでも全てが終わってからの事で、進んで不健康になる必要はないのです。精神一つで驚くほど人間は強くなる事が出来ますが、体には限界があります。無理は禁物です。

余談ですが、かくなる私もプロフィール写真の眼帯はファッションでなく、展示会直前の搬入で3日間徹夜をし、プレス撮影で 疲労とアレルギーで瞼が腫れ、片目が完全に開かなくなったため止むなく隠しているという状況なのですが、6時間後にはスタッフがカモミールの茶葉を含ませたものを眼帯の内側に貼ってくれたおかげで無事腫れが引き、展示会のオープニングで眼帯を外す事が出来ました(本当にありがとうございます)。ここに記載している事は自分への戒めでもあります。

最後に


自分は成すべき事がまだ全然達成出来ていませんが、不確実な現実の中、共に成長しそれぞれの道を見つけるトリガーとなればと思い制作を続けています。

不定期で芸術家という枠を超え、一人の人間として心から伝えたい事、良く聞かれる事、下らない事を書ける範囲で色々な形式で書いていこうと思います。
今回展示会にいらっしゃった方からご相談され、お答えした内容を抜粋して掲載致しました。拙い文章は、、、生温かい目で成長を見守って下されば幸いです。

拝読いただきありがとうございます。

よい新年をお迎えください!

MOMOKO 
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文武廟。道教のお寺。香港での展示会の空き時間に撮影

六韜三略(太公望呂尚著、以下抜粋)  

十過
1. 勇にはやって死を軽んずるもの
2. 短気でせっかちなもの
3. 欲が深くて利益を好むもの
4. 仁がありすぎて厳しさに欠けるもの
5. 智はあるけれど臆病なもの
6. どんな相手も軽々しく信用するもの
7. 清廉であって人にもそれを要求するもの
8. 智がありすぎて決断できないもの
9. 意思が強くなんでも自分で処理するもの
10. 意思が弱くなんでも人任せにするもの

五材
1. 勇 勇気や豪胆さ(恐れず前に進む姿勢)
2. 智 知識や知恵、洞察力(先見の明)
3. 仁 仁徳や人格
4. 信 信頼 (自身の信頼構築、人に嘘をつかせないこと)
5. 忠 実直、誠実(責任を持つと同時に本質を見失わない事)

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