折原圭

短編小説が置いてあります。

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マガジン

  • トンチンカン

    昭和30年頃の北海道。鍛冶屋を中心とする連作短編小説です。 トンチンカン。ズレと鉄がテーマです。長さは5000字前後

最近の記事

もんどりうって世界が(9995文字)

1/7 恋心とか異性への興味とか、そういう出口が必ずあるものだ、と思っている人が多すぎた。 あの子が休み時間に席を立つのも誰かと話をするのも何か理由があるはずで、その理由の大部分は恋心や異性への興味に帰結するはずだからと、私の一挙手一投足から恋心や異性への興味の気配を探ることに余念がなかった連中がいた。 恋心も異性への興味もあったけれど、あなたたちじゃないのと、当時の私は声に出さず、それこそいちいちの行動によって示さなければならなかった。恋心や異性への興味を動機としない行動

    • 距離とゴミのあるべき(10069文字)

      1/9 mから始まる覚えられんほど長い名前がついた小さな惑星のテラフォーミングが万全になりつつある今、人間の格差は物理的な距離に表れるようになった。 際立って金持ちのヤツ、際立って美しいヤツ、際立っておもしろいヤツ、際立って賢いヤツが順々に見出され、地球から9900万キロほど離れたm星付近を周回する国際宇宙ステーションに移送され、さらにそこから順次m星に着陸し、刺激と安心と優越感を抱きながら第二の充実した人生を過ごす。一方で、その他大勢の一般人ははるか彼方で暮らす天上人の人生

      • 冗談がへたくそ(9999字)

        1/12 駅の扉にさわるのが嫌だった。 田舎の古い駅だ。分厚い本のような取手の赤色は赤というより小豆色で、赤になりたがっているのは分かるがなりたがっているだけ、という感じがした。上部が掠れてくすんだ金属が見えている。そこに手をかけるのが嫌だ。今まで何万回と触られた扉に手を沿えるのが嫌だ。 そういうことを言ってしまってから後悔した。 小堺真紀と学校帰りの坂道で出くわしてそのまま一緒に駅に向かった手前、僕が真紀のためにドアを開けたあとだった。真紀は頼んでもいないのにドアを開けてお

        • トンチンカン

          あの家にまつわるあの家の人達の記憶は薄く、今やほとんどすべてが音の存在です。 あの家の工場の職人たちと話したことはある。職人たちと家族の飯炊きをしながら掃除や風呂焚きまでこなす忙しそうな奥さんと話した束の間の時間も、その風呂を借りたことも覚えている。塗炭を張り巡らせた、大きくて、わりに薄身の印象がある作業場から立ち昇る煙は深い黒で、夏の表通りではまだ舗装されていない道路の上を自転車が過ぎる度に黄色い土埃が舞う。黒煙と黄色い土埃を視線で貫けば、均一の、薄い青が広がっていることも

        もんどりうって世界が(9995文字)

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        • トンチンカン
          折原圭

        記事

          秋風(10012字)

          1/12 旅×エッセイをテーマに掲げるウェブメディア「kikou」にいくつかの文章を寄稿している。「紀行」をローマ字で書いただけか、大丈夫なのかと思ったけれどなかなかファンがいるらしく、運営はおそろしく順調らしいから世の中はよく分からん。 編集長の長沢ブン太の本名は長沢文雄で、特に親しかったわけではないが大学のゼミが一緒だったものだから、編集長としての彼に世話になっている今も俺は普通に文雄と呼んでいる。 文雄は俺が書いたもの、書こうとするものをろくに読まないし考えない。読んで

          秋風(10012字)

          こおりの塔(5243字)

          透明なコップいっぱいに氷を入れる。横からしばらく眺めて、シンクに捨てる。そんでまたガシャガシャカラランと氷をコップにぶち込んで、眺めて、捨てる。何がしたいんだよって俺は思う。思うから聞く。氷の形が気に入らないんだと。 うまく氷が積み上がらないと、俺の娘は何も飲まなかった。 「小さなお子さんは脱水症状があっても自分で気づけないこともありますから、お父さんお母さんがよく見ててあげてくださいね」と、脱水症状になんかなったことなんかなさそうなみずみずしい肌を持つ看護師に言われたと

          こおりの塔(5243字)

          悪魔の境界(10144字)

          1/12 ある休日、明日香より遅れて目がさめた僕は、なんだかいつにも増して一人ぼっちだった。 とにかくスマホが見つからない朝でもあった。その時点で何かが違っていた。 覚醒しきらないまま枕元をごそごそ手で探っているうちに、明日香が友達と予定があるから明日は9時には出かけると言っていたことを思いだし、ということは、今は少なくとも9時過ぎているなと予想を立てたが、その推理が簡単すぎることに自分でちょっと笑った。 予想するまでもなく、スマホの液晶を確認するまでもなく、目が覚めた時点で

          悪魔の境界(10144字)

          ピンクとむらさきのくべつ(4998字)

          膝裏をつたう汗に風をとおすように柚香は、聡よりもすこし強く日焼けした足を、ゆったりとバタつかせている。 小高い、山の中腹にある公園の、小さくも大きくもない楡の木のした、不自然なほどに人がいないそこで、いつか誰かが置いた汚い木製のコンテナに二人で腰掛け、かれこれ10分ほど無言のまま座っていた。 日差しから逃れるためか、今は姿の見えない学友の冷やかしを避けるためか、自分自身判然としないまま聡は立ち上がり、楡の木の股に指先をかけはじめる。 別の小さな股につま先をひっかけ、腕のちから

          ピンクとむらさきのくべつ(4998字)

          クイニ―&アマン(9992字)

          1/12 クイニー&アマンは猫の兄妹だ。 なにを隠そう私が名付け親だが、クイニーとアマンを実際に飼っているのは友人の優理であり、私は名を付けたものの養子縁組の手続きが済んでいるので決して子を抱くことはできない親のような心境。 それにしても、親であれば子に名を付けるのが普通なのだから、わざわざ名を付けただけの親という点を強調するような言葉を自分で使ってしまっていることが実はナチュラルに親権を放棄、と言うより、実の親は私ではないと自覚してしまっていることを物語っていたりはしないか

          クイニ―&アマン(9992字)

          蓼と黄金虫(10028文字)

          1/9 ゴールデンウィーク初日、昭和の日の午後3時、私は一人職員室で、6月の頭に控える小中合同運動会のプログラムに合わせた放送の進行表(の叩き台)を作っている。 連休中の宿題、なのだそうだ。 入場行進曲、2分23秒、児童・生徒の整列が終わるまで繰り返し。 「放送コメント:                               」 2/9 北海道の春は遅く、桜前線はまだ届かず、世間は五月病で騒ぐか騒がないかという時期に、私はやっと緩んできた寒さにようやく深く息を吸え

          蓼と黄金虫(10028文字)

          GPPG(9980文字)

          1/9 高校は一日前から冬休みに入っていた。 朝早く目が覚めたのは私の体がまだ通学モードで自然に目が覚めたというわけではないと思う。 終業式の日には調子に乗ってすごく夜更かしをしたし、朝寝坊する気満々で携帯のタイマーも切った。だから冬休み初日は昼近くに起きた。ところが冬休み二日目、やはり夜更かしをしたにも関わらず、早い時間に目が覚めた。胸騒ぎのようなものが体の奥で芽生えてそのままお腹へくだり、くすぐったさに近い何かを感じたのだった。 その感覚はまるでクリスマスの朝、目が覚めた

          GPPG(9980文字)

          おかえり(10032字)

          1/8 できるだけいつも通りに「ただいま」って言ってみて、と部長に言われてハッと気づいたのだけれど、一人暮らしをはじめてからというもの僕はただいまなんて言った記憶がなくて、いつも通りの「ただいま」の言い方が分からない。 「ただいまー」って実家に帰った感じをイメージして適当に言ってみるけど、それ本当にいつも通り? って聞かれて、そういえばたまに実家に帰ったってただいまなんて言うだろうか、いつからか、帰ってもおかえりじゃなくていらっしゃいって言われるようになってて、いらっしゃいと

          おかえり(10032字)

          カプセル(10095字)

          1/9 脇に畳んで置いてあるシーツも枕カバーも無視して、こりゃ、棺か? とつい独り言ちてしまうほど狭いベッドスペースに這い上がり、疲労困憊の立野はとにかく潜りこむ。 仰向けに寝がえりを打ち、手探りでヘッドランプの灯りをつける。電球色のライトが頭痛を抱える立野には眩し過ぎる。一瞬視界を失い、目を凝らすとようやくベッドスペースの天井が見える。無骨な鉄筋コンクリートの梁が手の届くところにあり、田の字の空白の部分には薄い布が張られ、一応建物の中に走るダクトや断熱材の類は見えないように

          カプセル(10095字)

          ポニアトフスキーのおうし座(9984字)

          1/8 空白の一年が始まるその瞬間、僕がふと想像したのは、ある女の人が海に向かって婚約指輪を放り投げる姿だった。誰々のばかやろーとかって叫んで海に放り投げた指輪はふわふわっと、さほど回転もせずに宙に浮かんで、一瞬だけ海の中に生きる生き物全ての注意を奪ったことを誇るかのように光り、そして思ったよりもだいぶ浅いところに着水する。女は放った指輪が波に流されてここまで戻ってきてしまうかもしれないと思いながら、万が一そんなことになってももう一度拾って捨て直すなんて決まりの悪いことをせず

          ポニアトフスキーのおうし座(9984字)

          えんぴつ男と憂うつ女(9971字)

          1/7 見るからにうすら寒いロビーだった。 私の洋服がひらひらとし過ぎていたのかもしれないけれど、それにしてもあの日の気温は低く、よく覚えていないけれど、外では雨も降っていたと思う。 だから私は外になんか出たくなくて、階段の格子にお猿さんのようにしがみ付き、階下のフロントに立つ女の人と、その女の人の目の前にある、壮大に青と白のモザイクタイルが埋め込まれた固そうな床を吐きそうになりながら眺めていた。 実際その日、私は既に一度吐いていた。 今日は一日お外を見て回るのだから少しでも

          えんぴつ男と憂うつ女(9971字)

          趣味の警察

          10077文字 1/13 毎夜21時から一時間、大崎康夫は一日も休まず、自家用車を用いて町内の自主パトロールを行う。 基本的には毎夜一時間と決めているが、大崎の気分がそわそわとするとき――大崎曰く、嫌な予感がする夜――は、2時間、3時間と町を巡ることもある。 2/13 大崎康夫の本来の顔は、町の小さなパン屋の店主である。  他の地域の例に漏れず急激な過疎化が進む木通(あけび)町という小さな町の、それでも駅に近い比較的賑やかな立地に店を構え、やはり盆正月以外は一日も休ま

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