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【短編小説】夢が終わる前に

 きらびやかな電飾に彩られた街路樹。身を寄せ合いながら歩く恋人たち。あと三十分ほどで日付も変わるが、この夜はまだ賑わいを見せる。クリスマス・イヴ。

 まぶしい夜の街並みを、ナツミとユキは一定の間隔を保ちながら、駅へと向かって歩いていた。そのふたりの間を、一瞬、鋭く乾いた冬の風が通り抜ける。
「あー寒。やっぱりファミマでおでん買っときゃよかったな」
 ナツミは黒いライダースジャケットのポケットに片手を突っ込み、縮こまって缶チューハイを一口すすった。
「まだ入るの⁉ シメのラーメン、大盛りにしたのに」
 風でなびいたストレートの黒髪を直しながら、ユキは細縁眼鏡の奥の目を見開く。
「そりゃあね。さっきトイレで全部出したから」
「ナツミ……。もう二十六なんだから節度守りなよ! 没収!」
「ぎゃー!」
 妙に得意げな顔で嘔吐したことを告白するナツミの手から、ユキはすかさず缶チューハイを奪い取った。反動でわずかに飛び散ったしぶきが、ユキが着る薄桃色のロングコートの袖に着地する。
「ちょっともう……。一カ月お酒禁止だよ!」
「ねえ冗談だから! ママみたいなこと言わないでよお。吐いてないから。冗談冗談。へへへ」
 強奪された酒を取り返そうとするナツミ。しかし足元がおぼつかない。よろめきを抑えきれず、そのままユキの胸にとずんと顔をうずめた。
「もう、まだフラフラじゃん……」
「へへ。あったかい。またおっきくなったね」
「またふざけて。……ちょっと休憩しようか」
 ユキはため息を漏らしながら、ナツミの丸みを帯びた金髪を優しく撫でた。

「そういえば私さ、また逃げられちゃったんだよね」
 道路沿いにある誰もいない公園。木製の三人掛けベンチで、紙巻きの煙草をふかしながらナツミがつぶやいた。左隣で自らのふくらはぎをタイツ越しに揉みほぐしていたユキは、その言葉に意表を突かれた様子で、咄嗟に聞き返す。
「え! 逃げられたってどういうこと? 誰に?」
 深刻ぶった顔で薄い煙を吐き出すナツミ。その横顔を見つめるユキの目は徐々に潤み、赤みを帯びていく。
「夢だよ、夢」
 ナツミは携帯灰皿に吸殻をしまいながら言った。
「夢?」
「うん。寝てるときに見る夢」
「なにそれ、変なの。びっくりした」
 呆れながら背もたれに寄りかかるユキだったが、その声は微かに揺れていた。
「え! ユキ泣いてる? かわいいねえ」
「泣いてないよバカ!」
 茶化されたユキは、ナツミの肩を軽く小突く。途端に、身を刺すような風が吹き、ふたりはどちらからともなく体を寄せあった。
 ユキは着ていたロングコートからおもむろに袖を抜くと、その左半分で自らを、右半分でナツミを包み込んだ。
「ユキのにおいだ」
 不意にかけられたコートの胴体部分に、ナツミは鼻を密着させる。においを嗅いでいるだけと見せて、ひそかにその鼻を擦りつけ始めたのをユキは見逃さない。
「ちょっと! 鼻水拭かないで」
「バレたか。へへへへ」
 ユキはかじかんだ手でカバンから取り出したポケットティッシュを、何も言わずナツミの胸にぐっと押し付けた。

 一着のコートの中で、ふたりは先ほどまでより小さな声で会話を続ける。
「で、夢に逃げられたってどういうこと?」
「なんかさ、すっごくいい夢見てた気がするんだよ。でも目が覚めたらさ、十秒もしないうちにどっかいっちゃったのよ。いい夢だったことは覚えてる」
「ああ、そういうことか。でもよくあることじゃん」
「そうなんだけどさあ、たぶんめちゃくちゃいい夢だったから悔しくてさあ」
 ナツミは小さくため息をこぼしながら、ユキの肩に頭を乗せた。
「あ、あれじゃない? ケンタッキーのサイだけ食べ放題」
「うーん、却下」
「却下って何よ。……そうだ、バイクでチーターと鬼ごっことか」
「え、めちゃくちゃ楽しそうじゃんそれ。でもたぶん違うんだよなあ」
「じゃあヒロトとデュエット」
「それはさあ……よすぎるよ。もうそれでいいや」
 ふたりは静かに肩を揺らした。
 それからやや沈黙が続いた。寄り添っていながらもすれ違っていた互いの呼吸音が、ゆっくりと重なっていく。

 しばらくして、ナツミはゆっくりとユキの肩から頭を持ち上げた。そして、顔に枝垂れた髪を横に流しながら口を開く。
「ねえ、今この瞬間が夢だったらどうする?」
「出た、ナツミのオカルト話」
 からかうように微笑むユキの顔を、ナツミは真剣なまなざしで見つめる。
「ねえ、どうする? このベンチも、風も、においも、布団の中で見てる夢だったら」
 ユキは黙り込んだ。まっすぐ正面を見たまま。それでもナツミの目はユキの横顔を捉え続ける。
 ユキは一度、深く息を吸い込んだ。冷たく張り詰めた空気は、体内を巡って、薄雲のように。そして、こわばった小さい唇をナツミの唇のもとへと運んだ。
「これが答えでいい?」
「何それ。粋じゃん」
「てか冗談じゃなかったんだ、吐いたの」
「やめろ」
 この時、突然降りだした白雪に、その恋人たちは見向きもしなかった。

「あちゃー、今度はふたりして逃げられちゃったね」
 ふと腕時計に目を落とし告げるユキの顔を、ナツミはきょとんとした表情で見る。
「え?」
「……終電」
 時計の針は、すでに十二時半を越えていた。
 ナツミはしばし考えるような素振りを見せた後、膝をぽんと叩き立ち上がる。
「よし、ホテル行こ」
「直球……」
「いいから早く行くよ。……夢が終わる前に」
 ナツミのその言葉に、ユキは少しばかりの恥じらいを見せながら、右手を差し出した。
「……うん。夢が終わる前に」
 
 その後、ふたりは湯を沸かさんばかりの熱をベンチに残し、公園を去った。


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