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映画「ノスタルジア」 アンドレイ・タルコフスキーの内的宇宙と映像詩

30年ぶりくらいにタルコフスキーの映画を再び観た。

アンドレイ・タルコフスキーは旧ソ連出身の映画監督で、亡命後は祖国に戻ることなく1986年にパリで生涯を終えている。

「ノスタルジア」は、タルコフスキーの中でも一番好きな作品だ。
18世紀ロシアの音楽家であるサスノフスキーの足跡を辿りイタリアに滞在している、主人公の詩人・ゴルチャコフは、信仰心の厚さから世界の終末を信じ7年間も家族ぐるみで家に閉じこもっていたドメニコという男と知り合う。
イタリアを案内しゴルチャコフに付き添うエウジェニアは、ボッティチェリの描くヴィーナスのような美しさと俗っぽさが同居しているような女性で、それとは対照的に、自分の妻はピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産の聖母」に似ているとゴルチャコフはドメニコに語る。

久しぶりに観返してみると、20代で観た時にはあまり現実感がなかった感情や出来事、登場人物の行動が、今ならもっと分かる部分もあった。
ゴルチャコフは、祖国を家族を愛しながらもそこから去り帰ることができない、タルコフスキー自身であり、タルコフスキーの父親でもある、重層的な構造で描かれている。
異郷にあり、遠く離れた祖国に想いを馳せる郷愁。
あの頃の故郷は現実にはもう何処にもない、という望郷の念。
これは日本を離れて長い自分にとっても、今、心の奥底で感じている心情と重なる。

そして、晩年のタルコフスキーのテーマでもあった、"救済"と"自己犠牲" が、この作品でも描かれている。
ドメニコはゴルチャコフへ「私はエゴイストだった。自分の家族を救うことしか考えていなかった。全ての人を救うべきなんだ、世界を」と語り、ドメニコの家の壁に書かれていた1+1=1という数式は、ゴルチャコフとドメニコの同一性を示しているかのようだった。
タルコフスキー最後の作品「サクリファイス」の主人公・アレクサンデルは自分の家に火を放つが、「ノスタルジア」では、人々から狂信者と見られているドメニコが自分自身へ火を放つ。
どちらも、奇行を重ね狂いながらキリストの真理を追求する聖人である瘋癲行者ふうてんぎょうじゃ ロシア語では"ユロージヴィ"が、暗に示されているのではないだろうか。

瘋癲行者ふうてんぎょうじゃとは、

キリストの受難を自発的に追体験するため、痴愚者を装うロシアで特に愛される聖人ですね。西欧には、地位や富、家族を捨てて聖人になる人がいますが、瘋癲行者は、さらに人間の証である知性までも捨てる、そして狂いを装うというよりある意味で完全にクレイジーになってしまう人たちです。

安岡治子さん談



とは言いつつ、タルコフスキー作品に関しては、頭で理解するということを私はすでに放棄している。
メタファーや意味に捉われ過ぎるよりも、ただただ、映像詩と彼の内的宇宙を、自分の感じるままに味わいたい。

タルコフスキーがよく用いる "水" のイメージ、激しく降る雨、温泉、水たまり、廃墟のようなドメニコの家に雨漏りする水、沼、など全編を通して様々な "水" が、ここでも描かれている。
そして、蝋燭に火を灯す儀式、ドメニコが燃えあがり炎に包まれる "火" のイメージ。
霧、影、光の映像美ーー


ゴルチャコフの身体はイタリアにありながら、魂は時空を越え、家族の居る懐かしき故郷へと瞬時に還る。

冒頭の、朝靄に包まれた風景の中に佇む、妻、息子、娘、母、白い馬、沼地の映像は、具体的な場所を思い描かなくとも、誰しもの心の中にあるノスタルジーという感覚を呼び覚ます。

ラストの、廃墟と化したサン・ガルガーノ修道院跡に雪が降りしきる情景は、幼き頃の故郷へと、私の心までも飛翔させるのだった。






「ノスタルジア」 4K修復版が1月26日〜上映されるそうです。
ご興味のある方は、この機会にぜひご覧になってみてください。



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