かがみの孤城【エッセイ】
お互い違う生活をしている中で、似たような不安や葛藤を抱いていた子がいた。毎日のように会っていたのは、僕もその子も、それぞれ自分の未来のことで悩んだり、今のことで苦しんだりしていた時期だった。
いつも会っていた場所は、本来、2人でしっかり勉強をしなくちゃいけないところだ。でも僕は、その子とは勉強することよりも「話すこと」を最優先にしていた。お互いの悩みや不安はもちろん、他愛もない話をすることも大切だった。
心の内をさらけ出して、心の底から笑える時間は僕にも、その子にも、そこしかなかったのだ。その子といる空間と、それ以外の「外での生活」とは僕にとって全くの別物になっていた。
ある日その子から「今日は行けない」という連絡があった。理由は「合唱コンがあって疲れちゃったから」とのことだった。僕はとても嬉しかった。「合唱コンに出られて本当によかった」と。外の生活で力を使ったら、ここに来られなくても良いと思っていた。
またある日は「学校休んじゃったけどここには来れたよ」ということもあった。その日外で何も出来なくても、ここに来てくれただけでその1日は100点にして良いと思った。
僕もその時期、ベランダへ出て外の匂いを嗅いだだけで気を失いそうになるくらい、外へ出るのが怖いときがあった。でもちゃんと、時間が来ればそこへは行けた。それは本当に不思議な、何かに引っ張られているようだった。
もちろん僕も外の生活で無理をすると、そこへ行けなくなる日もあった。でもそれを、仕方ないし当たり前だと思えるようになっていた。そこへすら行けないくらい気分が落ちる時がお互い必ずあって、でもそれは外の生活を頑張れた証とも思えていた。
何かを頑張れたら、何かが頑張れなくなる。そうするとどうしても「頑張れなかったこと」に落ち込み、焦って、自分を責める。だからもう「頑張らなくていいや」と諦めてしまえば、少しはラクにやっていけることに気付いた。
あまり調子が良くなかった日、僕は気が張りつめているのを誰にも気付かれないように隠して過ごしていた。
そんな日の、その子の第一声は「あ、今日しんどいでしょ?」だった。
その子のその一言は、どんな凄腕のマッサージ師よりも僕の身体を一瞬でほぐした。
この子には何も隠さなくていい。そして何も隠せないし、何でも気付いてくれる。でも、ホッとして泣いてしまいそうになっているのだけは必死に隠した。
毎日のようにいろんな話をしていく中で、その子の悩みや不安に対して僕はいろんな言葉をかけた。心が少しでも軽く、少しでもラクになってほしくて。でも話せば話すほど僕の方こそ、心が軽くなっているのに気付いた。
そのことを心療内科の先生に少し話したら「まずその子のことを自分のことのように大事に考えられてるね。だからその子にかけてあげてる言葉は、同時に自分自身にもかけてあげてるんじゃないかな」と言われ、確かにそうかもしれないと思った。その子に話していたことは、よく考えたら僕が誰かに言ってほしかったことだったりした。
その子が外の生活で頑張れたら自分のことのように嬉しかったし、僕も外の生活でしんどくなっても、その子がいるあの場所があるのは大きな救いだった。
「かがみの孤城」があるとしたら、僕にとってのそれは「バイト先の個別塾」だ。
それぞれの違う生活がある中で、唯一誰にもわかってもらえない弱さを出しあえる場所。外の生活を忘れて笑い合える場所。それがどれだけラクになれる場所だったか。
もし僕が何の悩みも不安もなく元気いっぱいだったら、その子とは正面からしっかり向き合えずに、より苦しい思いをさせてたかもしれない。「合唱コン行けたんなら塾にも来れるだろうよ」って冷たく当たってしまっていたかもしれない。もしそうだったとすると本当にゾッとする。
そして逆に、もしその子がいなかったら、僕は気が張りつめて、どこにいても、何をしていてもずっとしんどかったかもしれない。1番気が張って苦しかった塾講師のバイトを早々に逃げ出していたと思う。
「朝、校門まで行ったけど怖くなって休んじゃった」
その時の「怖さ」を僕は知っている。
「外の匂いがすごく怖く感じる時があるんだよね」
その「怖さ」をその子は知っている。
お互いの弱さを塾に持ち寄って分かち合うことで、僕たちはもう一度外の生活に戻ることが出来たのだ。
この作品はどうしても約8年前の、この時期のことを重ねて読んでしまう。
その子は高校に上がると演劇を始めて、公演がある度に僕を招待してくれた。公演を観ながら、新しい世界で頑張っている姿に心を打たれ、帰り道には「僕はいま頑張れているかな?」と自分自身に問いかけていた。
何かに悩んで、立ち止まって、頑張れなくなった時、僕はこの本を開いて「かがみの孤城」を経由してあの時の「個別塾」へ向かう。そうすれば「焦らなくてもいいし、頑張らなくてもいいんだよ」とあの時の2人が思い出させてくれて、少しだけ前に進むことができるのだ。
これは大袈裟ではなく、僕の20代前半を生かしてくれたのは、紛れもなく7歳下のあなた。僕はあなたに勉強を教える立場にいたはずのに、7歳下のあなたからとても大きくて、大切なことを学んだ。そして、2人で生きる力を分け合ったあの時間があったから、お互いここまで生きてこられたのだ。
僕はそろそろ30代を迎える。あなたはあの頃の僕の年齢をとうに超えた。それでも、今もなお、繋がりがあるということが本当に尊くて、嬉しい。
これからも僕はこの作品に何度も何度も触れるだろう。
この先の生き方を考えるために、一度そこへ帰ってみる。
この作品は、そのための入り口なのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?