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初心に帰る道には、萩原浩と私の20年。忘れられない一冊と忘れられないバストを添えて。

今朝、いつもの通りInstagramを開いた。画面に出てきたその本は、私の忘れられない一冊だった。その人の感想は、

何度も笑いをこらえきれず、涙目に。ユーモアとの絶妙なバランスがまた良かった。

と書いてあった。

やっぱり誰かに笑いを与えている。
それはやっぱり私を初心にさせる。

今週末は私にとって大事な人達に会う日だ。
それは自分の気持ちをあっという間に20年近く戻してくれる大切な時間だ。

そういう時に、こうした自分の大事なものをふと目にするということを、私は必ず無視しない。

それは自分にとっての気付きと自分の物語だと思っているからだ。何をナルシストに語っているのだと自分でも思うがそれでいい時もある。これは、私の問題だ。

今現在読みたい本。進みたい文学が、ある程度の道標として自分の中に座標がある。私は、SNSを知るまで周りに読書の話をする機会もないままに今の年齢を迎えている。

地元でも誰1人として私が本を好きだとは知らないと思うし、興味もないと思う。周りに読書が好きな人がいない環境は、何をどっから手に取ればいいかもわからないまま、ただそこにあるものを意味なく漠然と読んでいただけだった。

私は、大卒でもないし文学を専攻していたワケでもない。だけど本が好きで読書は自分とは切り離せない。自分の表現を見つけたいと本気で思っている。

この本を読んだのは、18か19歳。
その時の気持ちのまま残します。

何者かになりたくて、なれるものと思って行動していたと思う。

全員皆平等に全ての可能性に満ちているとか、誰でも成功は傍にあるとか。自分が生きている狭い世界には、そういう言葉が溢れていて、それが自分にも必ず降ってくると思っていた。

前向きな言葉ばかりで人を啓発しようとしているものだけが目に映り、自分に何も起きない事にイライラしていた毎日だったと思う。

怒りどころも何もわからない。

結局、誰も何もしてくれねーじゃないか。

自分には、何も起きない、起こせない事に気付いていたが無視する強さもなくイライラしていただけだと思う。

自分は人と違う。そこにある、世間一般というものの壁の向こうには猛烈に行きたくなかったと思われる。

自分の中に確固たる指針が出来てくるのは、もっと大人になってからであり、自分を左右させるような出会いがあってからだ。

「楽しいか楽しくないか」

これを、突き詰めて物を考えるようになるのも、もっともっと出会いを重ねてからである。

底が深い人としての器を作るには、挫折の繰り返しが必要だと思う。この時の私は、挫折したくもないし、することすらあり得ない人生だと当然の如く考えていた浅いヒビだらけの器時代である。

私は、本の再読はほとんどしない。

というか、出来ない。

それは、本当の意味での本好きではないのだと思う。読書好きな方々の記事や感想を読むとそれが伝わってくる。

なので、ずっと自分の手元にある本は入れ替え制で5冊のみであった。

だけど最近は、読書好きな方々との出会いや気持ちの変化で少し増えている。そういう変化する自分が、現状に満足していないみたいで好きな部分でもある。

そんな中にこの本は、一番長くキープされて置いてある。

だから、これが名刺代わりの一冊でしょう。

理由なんて一つだけなんです。

「笑わせてもらったから」

これです。

「くだらない」

当時くだらない事をカッコいいと思い、自分が一番面白いと思いながら私が何より恐れていたのは、

人の「なにか」で「笑う」こと。

不意打ちにでもあったかのように初めて小説で笑った。それだけに受けた衝撃はとても大きかった。

同時に価値観を覆されたもの。

小説で笑ってもいいんだ。というのは当時の私からすれば、まずあり得ないこと。

「文章で人を笑わすって最高にカッコいい事だ」

これは、その時に純粋に芽生えた心。
これに間違いなく私は、救われた。

著者は40歳を越えてデビューしたことをその時に調べて知った。

20年。

20年後自分も面白いと思われるような、何より自分が面白いと思える生き方をしていたいと思ったのを思い出す。

「くだらない」と言って今後も笑いたい。

今、私は40歳。

作家の文章は、その人自身が影響を受けた作家の葉脈を受け継ぐように表現していくのなら、私の葉脈は萩原浩からの葉脈を大事にしたい。

なんのはなしですか

これだけ書いて結局は、大きめなバストの子と付き合っていた頃の事を思い出し、悪くなかったねと思っている自分にビックリしながら初心に戻る金曜日。


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