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入院は高齢者から「生きる意欲」を奪う

とある朝。
診療所に出勤した私に、スタッフから「入院中のJさんが、転院でなくて自宅看取りの方針となったようで、退院日を決めたいそうです。」と報告があった。

Jさんは私が10年近く訪問診療している患者さん。
診察の終わりにいつもコーヒーを勧めてくれる優しいおばあさんだ。
元気だった彼女も90歳を超えてからは徐々に弱り、1か月前に体調を崩して病院に入院していた。
幸い病気は治癒し状態は落ち着いたが、Jさんは全く食事がとれなくなり衰弱して寝たきりとなってしまった。
主介護者のKさんは、自営の仕事をしながら寝たきりの母を看られないと判断し、最期まで預かってくれる療養型病院へ転院する方針になったと人づてに聞いていた。

元々Kさんは、Jさんの介護に限界を感じていたはず。
なぜ、急に自宅退院に方針転換となったのか。
ほどなくして担当のケアマネジャーからの連絡でその理由が判明した。
衰弱した病室のJさんを見て、「声をかけても反応が無いし、あと数日しか(命が)持たないんじゃないか」と心配になったKさん。
Kさんが相談したケアマネジャーが「数日しか持たないなら、自宅で看られますよ!」と提案し、あっさり自宅退院が決まったらしい。

・・・いやいや。
Jさんが数日で死んじゃうなんて、誰が決めたのか。
病院の主治医は「低め安定」と説明している。
数日内に亡くなる見通しなら、転院調整なんてしないし。
慌てて退院して長期戦となれば、Kさんが疲弊してしまうのは目に見えている。
本当に「余命数日」なのか、この目でJさんの状態を確認しようと病院に面会を申し込んだ。

病院のソーシャルワーカーの案内で病室を訪ねると、Jさんはすっかりやせ細りベッド上で目を閉じている。
腕の点滴を自己抜去し、病衣の袖が血まみれになっている。
看護師に伝えると、「こちらの言うことを聞かない問題患者」という目でJさんを一瞥し、ため息交じりに衣服の交換を始めた。

看護師たちの対応が終わり、落ち着いたところで彼女の耳元にゆっくりと「Jさん、〇〇診療所のもずきちです」と話しかけると、彼女の眼が開いた。
私をしばらくぼんやりと眺めていたが、(あら、先生)とにわかに目に力が戻り、笑顔になって手を上げる。
「自宅に帰る準備のために来ました」と話すと(ありがとう)と手を合わせる。
「ご自宅で、またコーヒーをご馳走していただけますか」と問いかけると(もちろん)とJさんは頷く。
それを見ていた病院のソーシャルワーカーは、「こんなに反応があるんですね。普段と全然違います。」と驚いた様子だった。
遅れてきたKさんも、目を開け笑顔のJさんを見て驚いている。
「何も食べてくれないから、Jさんもう長くないって皆から言われていますよ。お腹空かないのかしら?」と話しかけると、(いやいや)とおどけた表情を浮かべ、Kさんが差し出したチョコレートに手を伸ばした。

あらためて私からKさんへ、見通しが数日内でなくもう少し長いと思われることを説明した。
Kさんは数日内でないことに安堵したと同時に、自宅に帰れると聞いて活気が戻ったJさんの反応に驚き、一旦は自宅に返してみようという気になったようだった。
私たちは退院後にKさんが疲弊しないよう、いざという時に預かってくれる先を探しておくことにした。

推測するに、Jさんは自宅に帰れないと分かるやがっかりし、生きる意欲を失ったのだろう。
「どうせ自宅に帰れないなら、生きている意味はない」と食欲も失せたと想像する。
病院スタッフは入院前の本人を知らないし、入院をきっかけに衰弱が進む高齢者ばかり見ているから、食べられない高齢者に対しては点滴するだけで、家族には「もう回復しない」と安易に説明しがち。
病院の医師・看護師は「病気を治療する」ことに専念するあまり、病院という環境や自分たちの判断が時に高齢者たちの「生きる意欲」を失わせていることに気づかない。

一方で、患者が元気な頃から診ているかかりつけ医。
その人や家族の人生にずっと伴走してきたから、その人となりや家族背景、思考の癖、死生感などを把握している。
入院によるダメージから回復の見込みがあるか。
本当に最期が近いのか。
本人は今、何を望んでいるか。
家族の介護を望んでいるのか、家族に迷惑をかけたくないと施設を望んでいるのか。
今の身体の状態で家族が介護できるか。
家族に介護や看取りの覚悟ができているか。
本人や家族との対話を大切に、お互いの気持ちを汲み取りながら最善の方針を模索する。

医師を目指して勉強した故郷の風景。

高齢者にとって、入院というイベントは多大なストレスとなる。
高齢者はただでさえ老いや病と闘い、辛い辛いと言いながら必死で生きている。
「若い人に迷惑はかけたくない」と、生きる意欲をあっさり捨てる高齢者のいかに多いことか。

自宅に帰れる、孫に会える、好物や美味しいものが食べられる。
大好きなあの場所に行ける、家族の中で役割を持てる。
そんなご褒美が待っていないと、高齢者の生きる意欲は簡単に消えていく。
入院中の彼らが元気に退院できるよう、「もうちょっと頑張ってみよう」と思えるような声掛けや対応が、病院や私たち社会に求められているように思う。

今週自宅退院が決まったJさん。
自宅に帰ることができて良かったね。
家族に囲まれ、穏やかな日を過ごせますように。
Kさんが自宅に返す選択をして良かったと思えるよう、二人を多職種でサポートする日が始まる。

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