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noteの用途

って書いて、ちょっとニヤニヤした。アホか。
私は一体 noteで何をしたいのだろう。
今はカウンセリングにかかっていないけれど(保護者として受けたことはあるけど、そもそも自分のためにカウンセリングを受けたことはない)、昔だったら「あ、これ次のカウンセリングで話してみようかな」「あ、これ誰かに聞いてほしいかも」って思うようなことを。書いて、放流して、誰かに読んでもらって、自分でも読んで、それで自分でもう一度受け取って、そうして少しずつ昇華していければいいと思う。

37年間、母がこの世を去るまで、私は母の愛玩児で、搾取児でした。父は私が19の時に、一足先に人生をリタイアしました。自分が母親になって、見える世界が変わって、それでも母との関係は立派な共依存で、精神科に入退院を繰り返す母の介護をして、母が人生を終える瞬間を看取って、自由になって、もう一度見える世界が変わりました。生まれて初めて自分で自分の進路を選択して、38歳で学校に通って、「消えたい」と思うことが減りました。

私はとてもラッキーなのだと思う。母から逃げることはできなくて、世間体を優先して、母の望む[優しい、親孝行の、よくできた娘]を演じ切った。母が文字通りこの世を離れてくれたから、私は自由になれた。私はあの人が嫌いだった。怖かった。改めて、そう思うことが増えた。それでいいのだと思った。

タグ付けはしたものの、毒親とか、アダルトチルドレンとか、そういうジャンルに属するのだと思うけれど、私はその言葉たちがあまり好きではない。親を恨むとか赦すとか、そういうことではなくて、それは母を看取る前に済ませたプロセスなので、今はもう、自分が自分としてどう生きるのか、どう生きていくのか。

突然ふと、空から降ってくるように思い出す過去の記憶。思い出。それが事実だったのか、私の思い込みだったのか、私が生まれ育った家族は解散してしまったから、もう確かめる術はないけれど、ここにポツリポツリと書き落としていくことで見えてくるものがあるかもしれない。noteに語ることで、noteに、あなたに、自分に、聴いてもらう。聴いてもらって、自分を見つける。そういう風に使ってみようかと思います。

思考を整理して[ひとまとめの文章]にする練習をしています。気になった歌詞、言葉、出来事など。