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Half My Life 〜 僕の半生(5)

僕は強盗という罪で懲役3年執行猶予5年保護観察付きという判決を受けた。
相手はタクシーの運転手だったが、強盗という罪で執行猶予が付いたのは金額が少額なためであった。

しかし、拘置所を出てからも僕の閉塞感は続いた。

この頃、近所にある保護司の家に月に何度か通いながら新聞の営業の仕事をしていたが、上司と折り合いが合わずに辞めた。

当時の僕は一度前科が付いて経歴が汚れると、二度でも三度でも同じようなものと考えたのかもしれない。

2002年春、僕は車の窃盗などの罪で懲役2年の判決を受け、執行猶予中だったので前の刑と合わせて5年間、函館少年刑務所で服役する事になった。

少年刑務所という名称だが実際は若い人から老人までいて出身地は北海道と本州半々ぐらいだった。
それは当時の社会事情が大きく関係していた。
当時の受刑者の数は過去最高を記録していて、本州で犯罪を犯した受刑者でも本州の刑務所だけで受け入れることができず、刑務所が6ヶ所ある北海道が本州の受刑者も引き受けねばならなかったのである。
少年刑務所なのに年齢に関係なく収容されていたのもそういう事情があったためと思われる。
しかし、函館の刑務所は基本的に初犯の受刑者しか服役しない初犯刑務所で、最高でも懲役7年の受刑者しかいなかった。

2007年1月、僕は仮釈放を6か月貰って出所した。

弟は地元に立派な家を買って、女の子供を二人儲けて暮らしていた。

父親は僕が出所する数ヶ月前に作業現場で脚立から転落し、脳挫傷で病院に入院した。
僕が出所した時はまだ入院していたので見舞いに行ったが、喋ることも体を動かすことも出来ず、ただ点滴を繋がれて生きていて、体は痩せ細り、植物人間だった。

僕は出所と同時に函館の更生保護施設で生活していた。
食事は出るが、自分の小遣いは自分で稼がなければいけなかった。
この間、施設の職員から紹介してもらった前科がある人間でも受け入れてくれる建設関係の会社に登録して様々な現場で働いた。
その会社の仕事で数ヶ月間、北斗市にあるセメント工場の巨大な炉の中の清掃作業の仕事などもした。

2007年4月、ある派遣会社に登録していた時、ゴールデンウィーク期間中のみのアルバイトとして大沼という観光地にあるホテルの仕事をした。
そのホテルの人から長期で働かないかという誘いを受けていたので、施設からそのホテルの寮に引っ越し、5月中旬から働いた。

2007年6月中旬、僕の父親が亡くなった。

そのすぐ後、僕は何故かマイコプラズマ肺炎という病気に罹り、10日間入院せざるを得なかったので、二度も仕事を連休せざるを得なかった。


2019.5.18 加筆修正

2020.7.26加筆修正

2023.7.12加筆修正

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