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気になったニュース~芸術祭相互支援体制作り~

ネットで中日新聞の記事を見かけた。
あれ、北川フラムさんじゃないか。

海と山の幸でもてなす「ヨバレ」の風習に、華やかなキリコ祭り。急峻(きゅうしゅん)な山々と切り立つ海岸線。大阪と北海道を結ぶ海運船「北前船」がもたらした文化の混交…。「著しく過疎が進んだ地域に、日本列島の縮図ともいうべき自然と文化がある。“さいはて”の地だからこそ、最先端の芸術祭ができると思った」。人口約1万2千の珠洲市は「本州で最も小さな市」ながら、北川さんにはそのすべてが魅力に映った。

 地元の経済団体の打診がきっかけで始まった芸術祭。ただし道のりは平たんではなかった。2020年に開催予定だった第2回は、コロナ禍で翌年に延期した。23年秋の第3回は、同年5月の地震の影響により3週間遅れで開幕。会場が液状化で使えなくなったり、一部の作品が損傷したりした。それでも回を重ねるごとに知名度が上がり、第3回は前回を超える約5万人が訪れた。無事閉幕し、これから記録集を出そうという矢先に、今回の震災に見舞われた。

 芸術祭後も市内の各地で常設展示していた作品の多くが被災した。廃校のグラウンドに設置した牛嶋均さんの野外作品は、土台ごと崩落。ひびのこづえさんの作品があった保育園の旧園舎は避難所になった。芸術祭の今後について、北川さんは「まったく考えられない」という。

 それでも北川さんの元には、今も支援や寄付の問い合わせが絶えない。「ニュースに映る被災地を、5万人もの人たちが実際に歩き、地元の人たちと交流した。そのリアリティーはとても大きい。奥能登、珠洲は単なる記号や地名ではなく、心を寄せる場所になっていた」。アートが生んだ「輪」は、6年間で着実に広がっていたと感じる。

 長年地域と現代アートをつなぐ活動に取り組んできた北川さんは、「(能登半島と)同じことは日本中どこでも起こり得る。これからは各地の芸術祭のネットワークを大切にしなくてはいけない」と語る。他の芸術祭のスタッフを能登半島の現場に派遣したり、奥能登国際芸術祭のスタッフを他の芸術祭で受け入れたりして、相互の支援体制づくりを進めていく予定だ。

 出展した作家の中にも、住民と連絡を取りながら支援や協働の方策を探る動きがある。「従来の芸術祭とはまるで違った形にはなるかもしれないが、何かが生まれてくる可能性を強く感じる」と北川さん。「この先も地域の活動に伴走しながら、できる限り寄り添いたい」

中日新聞WEBより

アートが生んだ輪。

アーティストと地域の方たちの輪。
それが作品という形になっていて見えるかされ、それをサポートするひとがいて、訪問者が見に来るんだと思う。

『何かが生まれてくる可能性を感じる』との記載があるが、わたしは芸術祭という枠を超える拡がり、地元、アーティスト、サポーター、来訪者の関係がごちゃ混ぜになるイメージを持っている。
勝手な想像だが、社会は元々『ごちゃ混ぜ』で出来ているんだ。

北川フラムさんが目指したいものは、そんな関係のある地域じゃないか。
上手く表現出来ないけど。

『ごちゃ混ぜ』はとても大切で、そこは"一般社団法人えんがお"の活動と重なる部分が多いと思っている。

漠然と思っているだけだが、一度走り出したら止まらない気がする。
それは、楽しいからだ。

そう、わたしが楽しいと思うことが待っている。
それは、これからわたしが体験することに違いない。

では。

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