インド物語−アグラ⑨−

コナン・ドイルに「四つの署名」という作品がある。財宝を巡る人間関係のもつれが奇妙な殺人につながっていた、という事件をシャーロック・ホームズが鮮やかに解決する話なんですが、そのなかにインドのとある城を舞台にした回想シーンがありまして。

その広大なアグラ城にやってきた私は城内を散策している間、ずっとその小説を思い返していた。

インドの上空を流れる雲を見て風の匂いを嗅ぎ、草が陽光に反射して眩む目線の向こうにシャーロック・ホームズの影を探して「あぁ、この台座で彼が佇んでいたんだな」とかなんとか。

いわゆる聖地巡礼みたいで、武将オタクだった松尾芭蕉が歴代の戦地を旅したように、人気映画の舞台に集まるアニオタのように、現実世界よりも想像の世界に没頭しながら現実世界を歩いていたわけです。

ひとりごちて不思議な感傷に浸りました。

それで日本に帰って小説を読み返してみたら、舞台は確かにアグラなんだけど、私が城だと思いこんでいたシーンは実は廃墟の要塞という設定だったです。

しかもホームズはアグラには行っていません。

ずいぶん昔に読んだものだから、記憶は曖昧の舞いを踊っていました。

なんてこった。

ありもしない影を探して見つけた気になって一喜一憂したりして。あぁ。恥ずかしい。穴があったら入りたい。あの時間は一体何だったのか。

この手のうっかりを色々とやってしまう私の中でもなかなか楽しい失敗の一つですが、今でもアグラ城の思い出はシャーロック・ホームズと共にあります。

四つの署名は素晴らしい読み物です、本当に。

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