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負けても、痛くても、切なくても、寂しくても、いつか終わりが来る場所でも、それでも【6/8オリックス戦⚫️】

「きらきらのやつ、ぴんくもあるのかなあ・・?」と、君がきらきらだよという顔をして、むすめがつぶやく。去年は雨の中、「さむい・・ひじき(ねこ)さわりたい・・・」とつぶやいて、パパと早々に退散したむすめが、今年は大張り切りでボディペイントの列に並ぶ。

「レディース」のために仕掛けられたあらゆるマーケティングにしっかりはまり、心底楽しそうにしている6歳女子を見ていると、素直さというのは人生を楽しむ上での最強の武器だよなと思う。つい、そういうものに身構えがちな35歳はちょっと反省する。

・・・まあ、きゃっきゃいいながらむすめと写真は撮りまくったしユニフォームに背番号は入れてもらったし限定フードも存分に堪能したけれど。

うむ、「楽しむ」気持ちはいつだって大事だよな、と思う。

野球は勝ち負けがあるスポーツだ。好きなチームは、勝ったり負けたりする。ヤクルトに至っては、ここのところ基本的に大変よく負けている。この約一ヶ月の間に私が現地で見た勝ち試合は、たぶん横浜のじゅりの試合くらいだ。なんてことだ。いや本当に、なんということだ。

でもなんとか、その隙間にあるような、「楽しい」の欠片をつなぎあわせてくる日もくる日も負ける試合を乗り越える。修行なのだろうか。いや、娯楽だ。あくまでも、娯楽だ。負ける娯楽なのだ。

それでも時に、好きな選手の苦しみを、目の当たりにする。

いつも、ぐっちが打てなくなることがこわかった。去年も死球で離脱したり、少し打率が下がったり、しばらくヒットが出なかったりするたびに、このまま打てなくなったらどうしよう、と思った。でもその度にぐっちはそれを乗り越えてきた。いつだって、チームを引っ張ってくれた。

だけど今ぐっちはたぶん、とてもとても苦しんでいる。壁にぶちあたることを、その痛みを、苦しさを、知る人だからこそ一層、そのもどかしさに言いようのないものを感じるだろうな、と思う。いい時と、悪い時を、両方知る人だから、なおさらに。

好きな選手への賞賛は自分に向けられたものとはもちろん感じないのに、厳しい言葉にはつい、自分まで痛みを感じてしまいがちだ。

もしかするとそれは、自分にはどうしようもできない、自分が好きな誰かの痛みをなんとか消化するために、あえて心が痛みを掴み取ろうとしているのかもしれない。

だけどその人の痛みは、その人自身の痛みで、その人にとっての試練は、その人自身の試練だ。見ている方がどれだけ痛みを感じても、それが力になることは、まずないのだ。それがたぶん、辛いのだけれど。

ぐっちの痛みをとてもとても遠くから感じながら、今この瞬間ももしかしたら、悔しい気持ちを消化できずにいるかもしれないことを思いながら、私はただ、キーボードを叩いている。

だけど明日も試合がやってくるのであれば、見ている自分にできることは、また明日同じように、このチームを応援することだけなのだろう。また、「楽しい」の欠片を紡ぎ合わせながら。

だから痛みはそっと、胸にしまわなくちゃいけない。それは私の痛みじゃない。勝手に痛がってちゃいけない。

野球は負けるスポーツで、誰かを好きになるとその人が怪我をしてしまうかもしれなくて、そして調子が上がらず試合に出られなくなってしまうかもしれなくて、いつか、その人が引退する日を見なければいけない、そういう、そういうものなのだ。

でも、それでも、私はまた神宮へ行く。負けても、痛くても、切なくても、寂しくても、そこはいつか何かの終わりが来る場所でも、でもそれでも。

「まけたけど、たのしかったね!」と、むすめは今日も言う。「楽しい」と「かわいい」がたくさん詰まった今日の神宮で。「そうだよね、楽しかったよね」と、私はまた言う。

そこには、色とりどりの傘や、ボディーペイントや、おしゃれなフードや、ルーキーの好投や、戻ってきたベテランの活躍や、希望のかたまりみたいな19歳や、スターが放つHRや、そしてぐっちが見せてくれたファーストの好守や、そんな彩りが、「楽しい」が、それでもつまっているから。

そしてそこには、不屈の魂で再び挑むベテランが戻ってくる、そういう喜びだって、必ず待っているから。

限りあるそこに立つ日が、素晴らしいものであるように。また昨日の傘がたくさんたくさん咲くように。今、ここから。



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