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やさしく読める作曲家の物語 シューマンとブラームス 36
第四楽章 ブラームスの物語
6、ドイツ・レクイエム
「ハハキトク、スグカエレ」
1865年の2月。
弟・フリッツからウイーンのブラームスのもとに電報が届きました。
「どうしてこんな急に・・・。もう生きているお母さんには会えないのだろか」
そんな不安を抱いたまま、彼は真冬の道をハンブルクへと急ぎます。
この前の年の春、ジングアカデミーの仕事をやめたブラームスは、一時ハンブルクに帰っていまし
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第四楽章 ブラームスの物語
5、バーデンの夏
一方、クララもまた変わらず演奏旅行を続けていました。クララ・シューマンの名は、名ピアニストとしてますます高まり、同時にクララの努力の甲斐あって、シューマンの音楽も広く知られるようになっていました。
ハードなスケジュールをこなすクララは、時に手を痛め苦しむこともありましたが、同じようにピアニストになった長女のマリエが演奏旅行について来て助けて
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第四楽章 ブラームスの物語
4、 ウイーンへ
「先生、今年こそウイーンへいらっしゃいませんか?」
1863年の夏、相変わらず決まった仕事もないまま、ハンブルクで作曲を続けるブラームスに、そんな言葉をかけたのは、ハンブルク合唱団のメンバーの一人・ペルタです。ウイーン育ちのペルタは以前からウイーンの自慢話をしていました。
「音楽の都と言えばやはりウイーンですよ。ベートーヴェンやシューベルトが
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第三楽章 シューマン、ブラームス...そしてクララの物語
3.別れ・・・そして
クリスマスが近づき、クララは途中まで迎えにきてくれたブラームス共に懐かしい我が家に帰ってきました。
「お母さま、お帰りなさい!」
家にたどり着き、子どもたちの笑顔を見ると、クララは旅の疲れも苦労も吹き飛ぶ思いがしました。
「ぼく、こんなに大きくなったよ」
「字が書けるようになったの」
「ヘル・ブラームスがお
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第三楽章 シューマン、ブラームス…そしてクララの物語
2、運命
ブラームスが去って火が消えたように寂しくなったシューマン家ですが、実はブラームスと過ごした楽しい日々の裏側で、音楽協会とシューマンの間は、とんでもない事態になっていました。
と言うのは、シューマンが指揮をした10月半ばの教会での演奏会が大失敗で、怒った合唱団はもうシューマンの指揮では歌わないと言いだしたのです。シューマンは自
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第一楽章 シューマンの物語
20、ドレスデン
シューマン一家が越してきたドイツの都市ドレスデンは「北のフィレンツエ」と呼ばれる美しい街です。
街にはエルベ川ゆったりとながれ、そのほとりに見事な建築の教会や宮殿が立ち並んでいます。学問のさかんなライプチヒとはまた違う大都会ですが、この街でも貴族や教会を中心に音楽が愛されていました。
引っ越してしばらくすると、環境を変えたことでシューマン