見出し画像

かつて読書好きだった社会人たちへ ~『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』~

本屋を歩いていると集英社の新刊がふと目にとまりました。
タイトルは『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆著)。

今回はこの本の感想を書いていきたいと思います。

"ノイズ"はいらない

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

この悩みをもつ人は少なくないはずです。

「帰宅後ダラダラとYoutubeばかり見てしまう」
「本を開く気力がなく意味もなくスマホを手に取ってしまう」
「学生の頃はあんなに読書が好きだったのにどうして…」

"元"読書好きの社会人であれば
だれもが感じたことがあるのではないでしょうか?

この本の著者である三宅さんも
例に漏れずその一人だったそうです。
この本は、著者が身をもって感じたこの悩みに対し、
日本の読書史、労働史をひもときながら
真っ正面から向き合った本です。

言い換えれば、この本に描かれているのは
「日本のサラリーマンはどのように読書してきたか?」
であるとも言えます。

さて、さっそく本題ですが
なぜ私たちは働きだすと
読書をやめてしまうのでしょう?
この問いに対し著者は
"ノイズ"というキーワードを使って説明しています。

たとえば、あなたが仕事でなかなか成果を出せず
悩んでいるとしましょう。

自分はどうすれば仕事で成果を出せるだろう?
そんな思いを抱えながら本屋へぶらりと入ります。

小説のコーナーには実に多くの本が並んでいて、
その一つ一つに悩みや葛藤を抱える主人公が描かれています。

たしかに小説を読めば主人公に自分を重ねて心が軽くなるかもしれない。
でもなんとなく小説には手が伸びない。
そんなもの読んでも役に立たない、仕方ないという気がする。
そして資格本のコーナーへ移動し
簿記2級の本を手に取る…

さて、上に書いた行動の中で
どうして小説を手に取ることがためらわれたのでしょう?
その答えが"ノイズ"です。

ノイズとは
"他者の文脈"であり"他者の歴史"である
著者はといいます。

これだけだと少しわかりづらいですね。
詳しくは本を読んでほしいのですが、
かなりざっくりいえば
「ほしい情報の周辺にある、不必要な重み」
であるといえるでしょう。

日々の仕事で疲れている私たちには
とにかく余裕がありません。

時間がないから、気力がないから、
私たちはとにかくほしい情報だけを求めます。
そうしてその周辺にある"ノイズ"は
ムダ以外の何物でもなく
消し去ってしまいたいと感じてしまいます。

今ほしいものだけを手軽に求め、
"ノイズ"に耳を傾ける余裕がない状態。
この状態こそ私たちを読書から遠ざけているものの正体なのです。

知の長距離走

ここからが私の感想です。

いきなりですが、
知には二種類あります。

「短期的な知」「長期的な知」です。

短期的な知とは
今、目の前のことのために役立つ知であり
即効性がある=すぐに結果に結びつくような
知のことです。

たとえば
TOEICや簿記のような資格であったり
ビジネス書やオンラインサロンなどがあたります。

こうした知は比較的すぐ「結果」に結びつきます。
仕事での評価が上がったり、
給料が上がったり、といった感じです。

一方、長期的な知はとても遠回りなものです。
それがすぐに結果に結びつくことはありません。
一見ムダなものに見えることもあるでしょう。

たとえば文学を嗜んだり、
美術館に行って芸術に触れてみたり、
旅に出てみたりといったことです。

こうしたことは一見して
役に立たないものに思えるでしょう。

しかし、このような長期的な知は
人生の中で確実にあなたの心の栄養となり
あなたという人間の地盤を固めてくれる
ものです。

たとえすぐに変化は出ずとも
それは時間をかけて確実にあなたの底のほうに沈殿し
豊かな精神を築く礎となることでしょう。

資格の勉強をしたり、仕事に必要な情報を拾ったり、
これらは例えるならば炭水化物です。
摂取すればすぐにエネルギーに変わり
目の前の活動の役に立ってくれます。

一方で、芸術、文化といったものは
例えるならばタンパク質、ビタミンやミネラルです。
すぐにエネルギーに変化してくれはしませんが、
それらはあなたの血となり肉となり、
長期的にあなたの体を形成してくれるものなのです。

もちろん目の前のことを
ひたすらに頑張ることも大切です。
ただしその一方で、
人生という長距離走をはしるために
文化芸術という栄養を取り入れることも
忘れないでほしいなと思います。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?