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人間社会と虚構と信頼

人間社会は概ね信頼から成り立っている。

これはサピエンス全史を読んで学んだことだ。

形ないものを大勢の人が信じることで、
複雑な社会が構成されている。


例えば、自然界に法律は存在しない。

そのためライオンがシマウマを食べても
なんの罪にも問われないし、
法律家がそれを裁くこともない。

なぜなら
法律が存在しないからだ。

存在しないものを信じることはできない。

働きアリが休まず働いたからといって
労働基準法で女王アリを訴えることもない。

彼らは本能で動いているため、
労働組合を作って
労働者の権利を主張することもないだろう。

そもそも権利というものも
自然界には存在しないため
主張することもない。

自然にあるのは
役割や摂理といった
誰かが決めていないものだけだ。


法律のように、
多数の人間が信じることによって
あたかも存在しているように見えるものは
私たち人間社会の中には多く含まれている。

通貨、宗教、国、文化・・・

これらのような巨大なものも
信じなければ存在しないも同義だ。

通貨などはわかりやすい例がある。

仮想通貨などはデジタルの世界にしか存在しないが、
多くの人が信じることによって
価値を与えている。

仮に仮想通貨に価値がないと思っている人に
何か売買を持ちかけたとしても難しいだろう。

仮想通貨に対して
共通の価値観を持っていないからだ。

そう考えると、
私たちは虚構の上で生活しているのと
等しいと言えるのではないか。


サピエンス全史には、
ホモ・サピエンスがここまで発展した理由に
虚構が重要なキーワードとして書かれている。

想像上の何か=虚構を信じることによって
大勢で協力ができた。


思えば、
現在の生活も協力で成り立っている。

存在しないはずの法律を信じて
皆が安全に暮らせるように協力している。

通貨の価値を信頼して、
見知らぬ人とも商売をする。


私たちがこの現代社会を営むことにおいて
虚構を信じることと協力することは
常に行われている。

この虚構を信じるという力が
私たちがここまで発展した原動力であり、
他の生物と一線を画す部分だ。

虚構の上で発展を続け、
協力をし続ける私たち。

歴史に習うのであれば、
いつまでも同じ虚構を信じ続けるとは限らない。

今までの人類史において、
数多もの虚構が生まれ、消えていった。

人が完璧なものでない以上、
その人が作り出した虚構も完璧でない。

そのため、
この先の未来では今の虚構が崩壊し、
別の虚構が信じられることは十分あり得る。

だが、
その虚構を作り出し、信じるのは
私たちであり、それは虚構ではない。

いつの時代でも
虚構に対して決定権を持っているのは
私たちなのだ。

だからこそ、
いつの時代においても
虚構に踊らされることなく
生きていきたいものだ。

ということを考えたとしても、
この思想自体も虚構にすぎないだろうが。

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