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【映画感想文】保守とリベラルがねじれた未来 - 『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』監督:デヴィッド・クローネンバーグ

 先日、映画『バービー』が見たくて新宿へ出かけた。総武線に乗りながら、どの映画館に行こうかなぁとスマホで探していたのだが、運悪く、直近の上映は二時間以上先と判明。もちろん、事前に調べていなかった自分が悪いのだけど、お昼は家で食べてしまったし、お茶をするには長過ぎるし……。不覚にも困ってしまった。

 そんなとき、久々にバルト9のホームページでクローネンバーグの名前を見つけた。

『ザ・フライ』
『ヴィデオドローム』
『裸のランチ』

 いずれも我が青春のフィルムである。思春期のドス黒い流動的な悶々をあの悍ましく加工された肉感的な映像を見ることで発散していた日々が懐かしい。成長を遂げる自らの身体の中に別の生命体が蠢いているかのような苦しみをクローネンバーグは誰よりもリアルに作り上げた。そして、その可視化された世界に幾度となくわたしは救われた。

 いつしか大人になり、気づけば、思い出は遠くなり果てぬ。そういう映画を何年も見ていなかった。ウィキペディアで調べたところ、今年、クローネンバーグは80歳を迎えたらしい。恐るべき健康力! 加えて、新作はカンヌ映画祭で途中退出者が続出したという触れ込みじゃないか。

 折よく、次の上映は20分後。『バービー』には申し訳ないけれど、計画を変更せざるを得なかった。

 結論、めちゃくちゃ変な映画だった。舞台は人類が進化し、痛みを感じなくなった近未来。主人公は新しい臓器ができてしまう体質の人間で、それを公開手術で切除することをアートと称し、既存の人間のままであり続けようとしている。そこにプラスチックを消化する臓器を持った少年の遺体が父親の手で運び込まれ、「変わらないために変わり続ける生き方」と「変わるために変わらない生き方」、どちらがより人間らしかを問う物語が展開していく。

 なんて、真面目にあらすじを書いてみたけど、たぶん、見ていない人には意味がさっぱりわからないよね笑

 でも、これはめちゃくちゃ現代的で風刺的な物語。というのも、新しい臓器を否定する人々は本能に抗う存在として描かれ、新しい臓器を肯定する人々は本能に従う存在として描かれているから。

 もう少し詳しくまとめ直そう。

 この世界では、変わろうとするものが保守として、変わろうとしないものがリベラルとして存在している。普通、保守は変わらないこと、リベラルは変わることを意味する立場のはずなのに真逆のイメージが提示されているのだ。

 ここにこの映画の肝がある。

 クローネンバーグと言えば、内臓を思わせるねっとり湿ったグロテスクな映像を得意とし、社会に対峙する中で個人が内側からいかに変革していくか、その躍動とリアリズムにこだわってきた監督である。本作もまた触手まみれの揺りカゴだったり、全身に無数の耳があしらわれた男だったり、お約束かつ期待値マックスなビジュアルがふんだんに登場。往年のファンとしてはそれだけで幸せなのだが、物語の対象が個人を超えた社会構造に及ぶとき、我々はクローネンバーグ自身の進化を目の当たりにし、「こんなものを見ることができるとは……」と息を漏らす。

 一般的に人は年を取れば取るほど保守化しやすいと言われている。『なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか』(シェルドン・ソロモン)によれば、人はこれまで通りが続くことに永遠を感じる傾向にあり、その反動として変化に死を感じてしまうためなんだとか。

 環境問題や戦争、政治的分断など、どこもかしこも不穏だらけの二十一世紀。インターネットの普及に伴う変化だらけの情報化社会。そんな過酷な世界で80歳のクローネンバーグはむかしに留まろうとせず、プラスチックをモシャモシャ嚙み砕き、人類の進化に意地でも食らいついてやるぜと野心的だ。

 さあ、こっちだって負けてられない。次こそはちゃんと『バービー』を見なくっちゃ。







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