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【映画感想文】同性愛が病気扱いされていた時代をゲイとして、詩人として、孤独に生き抜いた長谷忠さん - 『94歳のゲイ』監督:吉川元基

 何年か前にYouTubeで見て、印象に残ったドキュメンタリーがあった。

 同性愛が病気扱いされていた時代をゲイとして、詩人として、孤独に生き抜き、90代となった長谷忠さんの現在を撮影した作品だった。これまで語られてこなかった理不尽の数々に強い憤りを覚えた。

 そして、このドキュメンタリーが映画となって、昨日、公開された。『94歳のゲイ』というタイトルで、追加の映像もあるらしい。

 早速、見てきた。ポレポレ東中野は満員だった。

 前半はテレビ版と同じだったが、改めて、日本で同性愛が病気扱いされてきた歴史の説明を聞き、あまりの酷さに胸が痛んだ。

 なんでも、1913年(大正2年)にドイツの精神科医クラフト・エビングが記した『変態性慾心理』が翻訳されたことに端を発しているらしい。

 この本は大正デモクラシーの空気に合致し、変態性欲ブームを巻き起こしている。日本のアダルトコンテンツを意味する言葉として、いまやHENTAIは世界中で通じる言葉になっているが、その起源はこのクラフト・エヴィングの大ヒットまで遡れるのである。

 そして、そんなバイブル的存在の本の中で、同性愛は精神疾患に分類されていたのだ。

 この本を参考に医学的根拠があるという形で、同性愛は病気扱いされるようになった。治療法として、運動や催眠術、異性と結婚することなどが本気で推奨されてきた。

 ちなみに、こんな風に振り返るとクラフト・エビングが悪いように聞こえるけれど、その後、彼は自説を撤回している。この本を出版した後、多くの同性愛者たちと交流し、性的指向は精神的なものではなく、脳のあり方によるもので、同性愛は病気ではないという結論に達した。

 しかし、その頃にはジークムント・フロイトの精神分析が圧倒的な支持を集めていたので、その修正が世間に広まることはなかった。また、西欧の価値観において、同性愛を病気扱いすることはキリスト教的に都合がよかったこともあり、長いこと、その認識は改められなかった。

 WHOが同性愛を国際疾病分類から除外したのは1990年のこと。それまで、間違った考え方が公的な決まりにおいても残り続けてしまったのだ。

 そう考えると、1929年生まれの長谷忠さんがどれほど苦しい時代をいきぬいてきたか、想像に難くないだろう。

 同性を好きになったとき、まず、自分はおかしいんじゃないかと思わなくてはいけない。なにせ、広辞苑にも同性愛は異常な病気と書いてあるのだ。まわりにバレたら、どうなってしまうのか。

 前提として、当時は精神疾患に対する偏見も強かったことを忘れてはいけない。江戸時代までは「きつねつき」と呼び、祟りや呪いの一種として処理していたのだ。その後、西洋医学の知識が入ってきたからといって、恐れる気持ちがすぐに消えるわけじゃない。

 息子が精神異常となれば、親は慌てふためくに決まっていた。友だちだって、これまで通り接してはくれない。長谷忠さんはなんとかしなきゃと焦ったはずだ。

 だが、なにをどうしたって、同性愛が治ることはない。当然だ。本当は病気じゃないんだもの。

 こうして、誰にも相談できないまま、長谷忠さんは「やっぱり俺はおかしいんだ」という後ろめたさを抱いたまま、孤独に生きる決意を固める。

 頭のおかしいやつが身内にいたら迷惑をかけるだろう。そう考えて、家族とは疎遠になってしまった。職場に馴染めず、何回も転職を繰り返した。上司や同僚から結婚の話題を振られるたび、うまく答えることができなくて、人間関係に悩まざるを得なかった。それもこれも同性愛者であることを隠すため。誰にも相談できなかった。

 そんな長谷忠さんが本当の気持ちを吐き出せたのは、唯一、詩を書くときだった。1963年、34歳のとき、第4回現代詩手帖賞を受賞している。翌年、処女詩集『母系家族』を出版し、谷川俊太郎や田村隆一に評価された。

 文学って、そういうことだよなぁ、とわたしは思った。表立っては言えないけれど、言わずにはいられない言葉を言うために、人はわざわざ文学をする。その許されざる表現が他者に伝わり、少しずつ人々の価値観に入り込んでいくことで、いつしか、言えなかったことが表立って言えるようになる。

 現に長谷忠さんは秘めてきた思いをカメラの前で語ることができている。映画館にたくさんの人が集まり、感動している。長谷忠さんが病気であると思う人はもういない。

 むしろ、長谷忠さんの話を聞きたいと言う方が何人もいる。というのも、ゲイの老後が語られことはこれまであまりなかったからだ。

 作中、ゲイ当事者の方々が自分の老後が不安と口にしていた。メディアで目にするゲイはみんな若々しく、元気にあふれているため、老いた姿を想像できないというのだ。そんな中、94歳で一人、年金暮らしをしてる長谷忠さんの姿は求めていたロールモデルそのものなんだとか。

 なるほど、LGBTQ運動の高まりによって、空気はかなり変わったように感じられるけれど、まだまだ偏見は残っていると気づかされる。ゲイとして生きることが可視化された一方で、ゲイとして死ぬことについては暗いところに置いたままである。

 大学の授業で、長谷忠さんのドキュメンタリー(テレビ版)を見た学生の感想が紹介されていた。

「高齢者にLGBTQはいないと思っていたのでビックリした」

 これを無知の一言で終わらせるわけにはいかない。わたしだって、長谷忠さんのドキュメンタリーを見るまで、理論上は存在しているとわかっていても、具体的なイメージを抱くことはできないでいた。たぶん、ゲイ当事者の人たちにしたって、自分の未来は真っ暗だったのではなかろうか。

 見えないものは存在しないに等しい。だから、スクリーンに映し出された長谷忠さんが「生きていてよかった」と微笑む姿はなによりも尊く、光り輝いていた。




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