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「孤独との向き合い方」

朝目がさめて、誰もいないことにきづく。誰もいないことが心地よく思えるのだけど、誰かといっしょにいたいと思うこともある。

ひとといっしょにいることが、疲れるなら、離れてみるのもいい。もし離れてみて、またいっしょになりたいなと思うのなら、近づいてみるのもいい。

他人と比べようとするから、自分の無力さにきづいてしまう。「自分ってダメだな~」って。

「ひとりでいたいと思うんです。でも、ひとりじゃ寂しいから、ひとといっしょになることを求めて、歩み寄ってみるんですけど、こんどは、ひとといっしょになることが"しんどく"思えて、またひとりになりたくなるんです。」そんな悩みをもってくるひとがいた。

あいてに期待しすぎだ!と思うだろうか。
むしろ、その考え方じたいが、危険なんじゃないかなとさえ思う。そもそも、「期待しないひと」といっしょにいることの方が稀であり、多くの場合は、パートナーが期待してしまう存在になっているから、衝突が発生するのだとおもう。

そのひとが、どこまでなら「安心できる」と思えるのか。「ここまでだったら大丈夫だ」って思える、そんな重圧に自分だったら、どこまで耐えることができるのかどうか。それだけなんじゃないかなとおもう。

仕事をしていれば、嫌でも誰かには必ずあうので、そこで満足できるのか、それとも、もっと深い関係性がほしいのか、あなたはどうだろうか。じぶんは、どちらかというと、引きこもりがちな体質なので、誰かと何かをするってことよりも、ひとりでなにかをするってことの方が多くて、ひとと全く喋らずに一日が終わってしまうってこともザラにあるんですよね。そんな生活をグルグルまわしてみると、ときおり「誰かとあいたいな」と思うことがある。ストレスが全くない生活を送ってると、それじたいが、ストレスになっていくので、たまに人がやりたくないような「仕事」をやってみて、周りからヒドイあつかいをうけたり、大きな負荷をかけることによって、中和できるのかなっておもう。

ひとになにかを求めることよりも、自分からみつけていったほうが、解決できるものってたくさんあるし、ひとに合わせようとするから、よけい”しんどくなる”のかなって思った。

ひとりでいることが好きなのはわかる。でも、どこまでだったら、じぶんはひとりでいられるのかどうか、そこを知るってことが重要なんよね。本当にそれって、誰かといっしょにいなければいけないのことなのか。それはべつに、恋人である必要はなくて、友達でも家族であってもいいとおもう。それって本当に必要ですか?

たとえ、いっしょに歩んでいくパートナーが異性でなかったとしても、一生、独身である生き方を否定されたとしても、自分なりの幸せなカタチってものがあれば十分なのかなって思う。

あやうく一生懸命に他人の人生を生きるところだった。

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