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「どこにいって誰と"はなす"かについて」

ひとりでよくあるくことがある。誰もいないような薄暗いところを、ひとりしずかに。グチャグチャになった思いがある日も、「これからどうしていこうか」って将来について深くなやんでいるときも、誰かと一緒にいようとせず、あえてひとりでいることが多い。さて、これからどこにいこうか。なるべく遠いところがいい。「そうだ、ここにいってみよう」かな。お金はなくてもいい。誰もいないような暗さがあって、ときに、月の明るい光にてらされて、どこかわからないようなところをあるいてみると、そこにひとり、またひとりと、人がいるという当たり前な事実に気づく。ひとりでは「入りたくないな~」って思う店にも、「よし、はいってみよう!」って扉を開けてみると、なかなか出会えないようなタイプのひとと出会える。そこではなし、「こんなことがあったんですよね。」と思いを共有してみると、「そうか、なるほど、こうすればいいのか」ってストンと、納得できる選択がみつかったりもする。自分のことをよく知ってるようで、じつはなにも知らないんです。ひとりで旅をすることは、とてもたのしい。誰かに気を遣わなくてすむから。誰かと何かをするのが苦手な自分にとって、知らない街にでかけ、知らない人とはなしてみて、感じることってたくさんある。「そういえば、こんなことあったよね」って、ふかい悲しみにひたりながらひとり自分と向き合ってみる。ひとと出会えることはうれしい。けど、深いつながりをもちたいと思うことはなかった。だから、どんな人でも、「一回は、はなしてみたいな」っておもうし、逆に、この人じゃないとダメみたいな、つよいこだわりもなくて、とくべつ好きになることも、「その人と二度ともう会いたくない」って拒絶するぐらい大嫌いになることも、すくなかった。

ひとはよく生きてると、他人と比較してしまい、「自分って全然ダメだな~」「あの人は周りからとても評価されていて、羨ましい。嫉妬しちゃう」ってへこむときってあると思うんです。でも、なぜ多くの人は、ひとから評価されたいって強くおもうのか、なぜそんなに過剰に「気にする」のか、不思議でしょうがないんですよね。じぶんは、心のなかで、他人からどう評価されようと、かまわないって思ってるところがあるから、なおさら、興味がわかないってのはある。ワンパンで死んじゃうはずなのに、まったく傷がつかないときもあって、でも、「なんでそんなこと、気にするの」ってことですら、いまだに気にしていたりもして、傷跡が深くのこりつづけ、思い出すたびに、チクッとトゲのように突き刺さることがある。

ひととあわせなくてもいい。じぶんが「これなら、ちょっとずつだけど、できそうだ」って思えるぐらいスローペースであってもいい。ひとと違うってのは、どこかさびしく、ときに、悲しいものかもしれないが、自分の幸せのカタチって他人が決めることではなく、自分で決めるものだからさ。あせらずに、自分が心地いいとおもえる居場所、いつかみつけられたらいいよね。

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