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自己紹介 Airについて

初めに


こんにちは。Airと言います。
初めましての方はよろしくお願いします。

色々仕事をやっていました。
子どもに関する記事がありますが、その記事は学童で働いていた時のものです。辞めてからまだ数年ですが、とても思い出に残っています。あの子たちにとっては当時の私は思い出なのか、現在なのかわかりませんが、私の子どもの頃の話を参考にすると、忘れてしまえるくらい昔のことか印象が深すぎて忘れられない人(=現在)のどちらかでしょう。どちらにしても、仕合わせなものだと思っています。私の思い出の場合はそんな子どもたちの心情の想像も含めた思い出です。
だから、縁が繋がっているのを感じられるし、彼らの明日を祝福できる。
そういう意味では、私には思い出はないのかもしれません。

古事記には「中今」という言葉があります。
「中今」とは、今という瞬間を実感している状態のことです。
詳しくは割愛しますが、今とは「いとゐの間」という語源があり、日本の神話に出てくるイザナギとヰザナミの間、つまり生と死、始まりと終わりの間という意味があります。つまり、出会いも別れも今=中今に含まれる訳です。

劇場で公開している「君たちはどう生きるか」もそうですが、先述したような話は魔術や神話にある程度明るくないと繋がりがわからない、まとまりのない文章に感じるでしょう。その辺りはご容赦ください。ちゃんと繋がってはいますが、繋がりが見えにくいだけです。
そういう意味では子どもの話を聞く時と似ているでしょう。
彼/彼女の視点は常にその小さな体の眼がついている位置まで屈まないと見えないものです。
そういう未知との出会いが文章の楽しみです。

私の今後のnoteでの活動について

「初めに」で読むのを止めた方はそれなりにいるのではないでしょうか。
まだ、私の文章を読んでいる方はきっと始めたら終わりまで行うような真面目な方か変わったものが好きな好奇心旺盛な方かと思います。
もしくは、私の文章がお眼鏡になかったのでしょうか。

さて、私がnoteで行うことは、性と愛の濫用を解体して整えることです。そればっかりではないと思いますが、メインは性と愛になります。今の予定なので、明日のには違うことを言っているかもしれません。私は生むのは好きですが、その後は必要なサポートのみに徹して成長を見守りたいタイプなので、明日違うことを言っていたら、その件はある程度調停されたものと判断していただきたいです。
これは気まぐれとかではなくて、状況を直感したことが気まぐれとして現れるという現象なので、私にはどうすることもできません。なので、一貫していることは、生み育てるため見守っている、という私の母性の部分だけでしょう。もっとも、カタルシスという言葉もあるように時には崩しにかかる時もあるのですが。

終わりに

ここまで楽しんでいただけたでしょうか。
活動については結構まじめな話になっていましたけど、基本的には哲学っぽい談笑をしに来たいなと思っています。それはまじめな話じゃないのか?、という声が聞こえてきそうですが、私にとっては哲学はまじめな話ではないので「まじめな話じゃないです」と回答差し上げます。
気付いていない方も多いですが、人生には命が懸かっています。貴方の命や私の命が、です。ユダヤ教の教えに「今日を最後の一日として生きる」というニュアンスのものがあります。私は教徒ではないですが、ある程度は共感できる教えです。私は人生において命を懸けて常にやりたいことをしていると自覚して生きてきました。これからもそうです。それを止めた時私は死ぬでしょう。そういう意味では私は体が滅びても死なないのだと確信しております。貴方はどうでしょうか?と、こんな風に常に問いかけられるような記事をこれから書いていきたいと考えています。


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