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完璧に生きるな、それは妄想だ!

統合失調症を発症する前。

中学生の頃の私のあだ名は「模範生」。

とにかく何事も真面目に完璧に行わなければ気が済まない。

先生の言うことは絶対守る。

宿題は忘れない。

歩く時は背筋を伸ばしてキリキリ歩き、まるで軍人だった。

とにかく「完璧」を目指して日夜頑張っていた。

でも、「完璧」にはなれなかった。

勉強をいくら頑張っても成績は伸びない。

英語や数学は壊滅的で、先生から「他の教科はいいのに・・・」と残念な評価をもらうばかり。

運動はからっきしで「ノロマ」だの「役立たず」だの罵声を浴びせられた。

生徒会長の選挙も推薦されても結局、落選。

何より、同級生からは「真面目腐ったつまらない奴」「先生にばかり媚を売る変なやつ」そんなことを言われ、いじめられてばかり。

それでも「完璧な努力をすれば完璧な成果が出る」そう思い、ただ日々を過ごした。

そして、結果は・・・。

統合失調症になり、すぐ精神病棟に入院して中学校生活を終えた。

中学3年の後半は学校に通えず、志望校に行くことは叶うことはなかった。

完璧な中学校生活は送れなかった。

というか、完璧に失敗している。

なぜ、失敗したのか?

そもそも、「完璧な努力をすれば完璧な成果が出る」という考えがすでに破綻している。

「完璧な努力?」

いったいどんな努力なのか?どこをどうすれば完璧な努力なんてできるのか?

「完璧な成果?」

そんな成果を出せたら神様だってびっくり!この世にそんなものはないだろう。

とどのつまり、わたしは間違えた方向に向かって頑張り、上手くいかずストレスを溜めて、病気になるというなんとも、模範的な失敗、見事な転落をしている。

そこだけは完璧だというのは皮肉な話だ。

そう、「完璧」なんてものを追い求めた時点で「完璧」に間違えている。

「完璧」なんて求めず、ほどほどに頑張り自分の好きなことや得意なことに熱中していれば、こんな無様な顛末にはならなかっただろう。

でも、当時の自分は視野が狭かった。

「世の中には絶対的な答えがある」
「努力は報われる」
「頑張れば必ず成功する」

そんな世間知らずな私だったから病気になって大変な目にあったのだろう。

「お前はもっとひどい世の中を知るべきだ」「ちょっと地獄を見て来い」

そう神様が考えて病気にしたのかも・・・なんて妄想してしまう。

まあ、今となっては「病気になって良かった・・と認めたくはないがあの頃のひどい体験があったから今の自分がいる」程度に考えている。

話はそれたが、要は「完璧」なんてものを求めるのは世間を知らず、井の中の蛙状態だからだ。

この世の中がそんな単純なわけがない。

理不尽なこと、不条理なことそんなことばかりだ。

それを知らないから「完璧」なんてものに憧れる。

まあ、完璧ってかっこいい感じはする。

でも、実体のない幽霊みたいなもの。

そんなものは追う価値はない。

だから、もしこの記事を読んでいるあなたが「完璧」を求めているなら、悪いことは言わない、諦めてしまえ!

そんなものより、今の完璧ではない生活の中に「楽しい」とか「ワクワクする」とか「幸せ」だと思えるものを見いだせ。

その見い出したものにあなたの大事なものが眠っている。

その大事なものを呼び起こせば「完璧」なんてものは要らなくなる。

完璧なんてさっさと捨てることをお勧めする!!!


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