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PJ05-ナナメの存在とプロセスデザインの話

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プロジェクトが拡がり、関わる人が増えてくることによって生まれてくる「プロジェクトの組織化」。多様性を良しとしてきたプロジェクトにも関わらず、次第に序列を作り出そうとする流れが生まれる。もちろん、プロジェクトやチームが安定していく必要はあるが、仕組みや構造が先行し、硬直化することや内輪化する流れをうせぐためのコツとして「プロジェクトは中心を二つにする、中心を二つにしたチームをカタチ作る」ということを伝えてきた前回のコラム「プロジェクト型チームを作るコツと注意点」

今回のコラムでは最初から立ち上げる際の注意点ではなく、既存の組織やチームの中に合流していくような関わり方や、風を吹き込む役としてピンポイントでの関わり方、プロジェクトのリニューアルを担う時に、考えておきたい関係性の構造について語っていきたい。既存の組織やチームをどう見つめるか、という視点に加え、多様な人が混ざる場もしくは関係性がまぜこぜになる方法について語っていきたい。むしろここからは徐々にファシリテーターとして場の関係性をどう捉え、どう動くか、という視点で語りたい。ここでのポイントは「ナナメの関係」をどう作るか。

・対立や対話拒否に近い関係の場合

ファシリテーターの仕事をしていると、行政が主導であるはずなのに「市民主体の発議にして動いていきたい」という案件がある。奇妙に感じるかもしれないが、それを言ったら一向に行政と市民が協働でモノゴトを進める、なんていうことはできない。行政は行政のモノゴトの進め方があり、市民は市民で進めたい気持ちや気分がある。

それはさておき、行政と市民というのは、距離が近い部分もあるが、十中八九、対立関係にならざる得ない関係性を持っている。悲しくなるが、なぜかそうなる。むしろ「個人と組織」という関係性であると、対立してしまいがちだ。それが嫌でなるべく市民との対話の場を持たずに、でも対話をしているように見せていく事例もある。かつての市民運動盛りの時期を過ごしているからだろうか。なので、見せかける方にスイッチが入ると、ますます行政と市民の関係は悪化していく。「勝手に話を進めやがって。アリバイづくりの対話ばかりだろ」と。以下の図のような関係性である。

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 この状態でプロジェクトを進めたり、対話の場を持つ、というのは本当に難しい。しかし、わかっておいて欲しいことは、衝突するぐらいのエネルギーがここにはある、ということだ。私は案件ごとに領域も地域も異なる状況に遭遇するのだが、いつも探るのは「この案件(プロジェクト未満のこともあるので、こう表現する)のエネルギーはどこにある?」だ。どんなプロジェクトにおいても、プレイヤー探しが一番になるのだが、衝突しがちな場面においては、すでにエネルギーがぶつかり合っているので、その方向の向きを変えることだけに意識するだけでいい(それはそれで修羅場な現場なのだが)。


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こういう場面はズバリ、ファシリテーターの出番である。しかし、ファシリテーターが入ったからと言って、対立や衝突がゼロになることはない。むしろ、こういう関係性の場合は、思っていることをちゃんと吐き出せる安心感が大事だ。言うことによって、誰かの心にトラウマや周囲に誤解されるようなことがあってはならない。一見すると「場が荒れている」になるのだが、「そういうことを言っても受け止めてもらっている」という気持ちや「行政(組織)の筋書き通りにはなるもんか」「アリバイづくりの場じゃないだろうな」という不信感を払拭してもらうためには、やはり衝突は恐れてはならない。言うことは言える。必要以上の衝突はしない。ただ、これだけだ。

そのため、スタートアップの場合は、場をホールドしているものとして、それぞれの言い分を整理し、具体的なアクションに進めていくことが第一ミッションとなる。

ここでのコツは

1、話し合いにおいて「発散」と「収束」は混ぜない。
2、「そもそもさん」と「とりあえずさん」の位置付けを整理する
3、意見の棚上げと棚卸し
4、一度は荒れる。
5、想定内容を全部変える勇気をもつ
6、全体像とプロセスを丁寧に伝える
7、模造紙と付箋に頼りすぎない
8、デザインの力に頼る
9、「楽しい」と「マジメ」の二階建て
10、テーブルファシリテーターは答えを出さない
11、単発的ナナメの存在をたまに入れる
12、参加者は色んな人と喋れるようにする。

ざっと12項目を羅列してみたが、それぞれに説明していきたい。

1、話し合いにおいて「発散」と「収束」は混ぜない。

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話し合いのプロセスは発散と収束を繰り返しながらモノゴトは進んでいく。発散と収束が混ざっている場がどういうことかというと、対話のやりとりに「でも」「しかし」「だけど」が混じり始めるときである。この接続詞が出てくる時は、「発散」と「収束」が混ざっていると理解し、一旦「発散」タイムとして意見を出し切るように伝えよう。ちなみにファシリテーターにとって、場の反応を見る際、自分自身の中で様々な合図を持っている。


2、「そもそもさん」と「とりあえずさん」の位置付けを整理する

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発散と収束が混ざるのは大抵「そもそもさん」と「とりあえずさん」が言い合っている時だ。なんでも良いのでどんどん意見を発散させましょう、と言うと「とりあえずさん」はどんどん言ってくれる。しかし、「そもそもさん」は「でも、それってどういう意味があるの?」「しかし、そもそもの意義が見えない」「だけど、〜なことが起こったらどうするの?」と、ついつい言ってしまい、場の雰囲気は悪化する。本来、どちらもプロジェクトには必要な存在だし、誰でも「とりあえずさん」と「そもそもさん」は同居していることも理解しておきたい。この状況を回避するため、よく「話し合いのルールはこうです」と定めることもあるが、個人的にはファシリテーターとしてルールをあらかじめ定めて制限する、というやり方は好きではない。言いたい時に言いたいことを言う。これが原則だと思うからだ。

3、意見の棚上げと棚卸し

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ではどうするのか、ということだが、僕はここでよくやるのが、「意見の棚上げと棚卸し」である。「そもそもさん」は、あらかじめ想定されるリスクの心配と見通しのつかないプロジェクトの不安さから意見が出てくる。しかし、プロジェクトというのは正解が見えないわけだから、あまり語り合っても全く進まないし、最悪「どうしたって、やらない理由を探しているだけじゃない」なんてチーム内の不信感や参加意欲が削がれることがある。そのため、「そもそもさん」と「とりあえずさん」の言い合いになっているようであれば、それぞれの意見の構造や判断の分岐点を見える化し、「なるほど、そもそもさんはやった時のリスクの心配や目的について確認したいと言っているんですね。でもやらないことにはわからない、楽しいことがしたいというとりあえずさんの意見もありますので、ここでは一旦、そもそもさんの意見は棚上げして、やったあと、棚卸しして、しっかりどうだったかを振り返りましょう。きっとやった後の今後の方向性を考える際に、「そもそもさん」の意見は大きな道しるべになりそうですね」と伝える。そういう風に位置付けを整理してやると「そうやねん、俺は何も反対しているわけじゃないねん」「やめろとは言ってないんやで」と「そもそもさん」の顔もたつというわけである。
発散と収束が大切、というが、この収束をどうデザインするかがファシリテーターの腕の見せ所でもある。グラフィッカーは話し合いの意見の機微を描いたイラストを発散し尽くしたところで、全員に「気になるイラストに色をつけて」と問いかけ収束の道しるべを作るやり方をしたり、ホワイトボードミーティング(R)のファシリテーターであれば、全ての意見を文字化し尽くして、問いかけから階層を深めて赤字・青字と色分けしていくやり方。私はそもそもな意見ととりあえずの意見の場所を整理して、どちらの意見も出し切る。そして実行し、振り返りの時も反省点を思い切り出し切ってもらい、即座に整理する。次のビジョン形成や目標設定を決めるミーティングも改善点を出し切り、場があったまったものを決定事項にしていく。フェーズが違っても常にドライブ感を優先してブレイクスルーしていく「発散型収束」状態を作る。

4、一度は荒れる。

組織と個人の集まりにおける対話のワークショップでは、どうしても対立の力学が働く。どれだけ準備をして楽しい雰囲気やプログラムを作ったって「騙されてなるものか」「子どもじゃないんだから」「サークルメンバーの代表で来ている手前、言うことは言わなきゃ」と言った心理状態の参加者がいるのは当然だ。だから進行していると、突然「ちょっと良いですか」と手をあげて語り始める人がいる。この反応が出た時に「うわ〜、出たよ」と思うようではいけない。多分、一人が言うということは、一定数「実は私も…」と思っている。そんな時こそ、受け止め、その気持ちを出し切ってもらうことを心がける(これも発散の時間として重要)。
というか、ファシリテーターとしてワークショップの進行準備や構成を考えている際、どれだけクライアントにヒアリングしても「そんな協力的な参加者いるかなあ?」「全然、当日の様子が頭に思い描けない」なんてことがある。これも経験的な合図の話だが、こう言う時ほど、自分が場にチューニングできていないと心に戒めている(一歩突っ込んで言うと、クライアントも見えていないからこそ、伝え方がズレていたりする)。だからこそ、あえてこの違和感のまま当日を迎えることで「さあ、どこで見誤っていた?」「どこで荒れる?」なんて思いながら進行する。昔は3回目で荒れることが多かったのだが、最近は初回にそう言うことになる。参加者によるこの手のワークショップへの不信感が当たり前になってきたのか(それはそれで皮肉だが)、自分自身がちゃんと素直に恐れず場の違和感に向き合えるようになってきたのかはわからない。

5、想定内容を全部変える勇気をもつ

だからこそ、そういうタイミングになったら、流れの構成そのものを現場で変える。下手したら、数ヶ月前から打ち合わせや考えてきた一連の流れそのものさえも変えてしまう時がある。経験の浅いファシリテーターや「自分でできる」と思ってファシリテーター役をやる依頼者ほど、考えてきたプログラムや進行表にしがみつこうとする。しかし、すでに違和感が場から表明されたのであるなら、そこから創り上げることがファシリテーターにとっては重要なのだ。ワークショップないしは対話や共創の場においては、参加者とのやりとりから紡がれることが重要である。ここからプロジェクトがスタートする、話し合いの場が設定される、と言う状況ほど、リアルタイムで紡がれるドライブ感が重要だ。僕はこの状況を「自分の芸の場」だと自覚しているところもある。

6、全体像とプロセスを丁寧に伝える

このため、僕が手がけるプロジェクトの最初の一年ぐらいは荒波状態をみんなで「今日もなんかわからんかったけど、なんか乗り切った!なんか楽しかった!」な状況が続く。これは僕の性格上のこともあると思うが、こっちの方が断然楽しい。しかし、これを3回ほど続けていると「そもそも、何を目指していたっけ?」な状況になる。なので、僕はこの状況の時ほど、最初の「そもそもさん」の意見を持ち出したり、「このプロジェクトの目的はこうで、今回はこれが目的で、次回はこう」見たいな全体像を伝えることを心がけている。俯瞰的に伝えることで「は!そうだった、そうだった」と関わる人たちが我に返る時を大事にしている。

7、模造紙と付箋に頼りすぎない

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この一年目の落差感をガッタンガッタンしながら進む魅力を最大限に活用するため、僕は模造紙と付箋を多用するワークショップはなるべく避けるようにしている。既視感の高い形式的なものはワクワクしないし、何より最近の経験値から導き出した仮説なのだが、「発想や着眼点は思考の使い方ではなく、ツールの使い方で変わる」と言うものである。模造紙に付箋を多用するワークショップは、KJ法をベースにしていると思うのだが、KJ法は一朝一夕でできるものではないし、KJ法がもっともやってはいけない大分類からまとめていくことが多く、本来、「小分類や中分類同士の関係性から仮説を見つける発想法」であるKJ法の魅力が全然発揮されておらず、ただの分類法や整理法になっており、ハッとするアイデアに飛ぶようなことはとても少ない。もちろん、適正な訓練を受けたテーブルファシリテーターがそれぞれに配置されており、KJ法も理解できており、他のテーブルメンバーの考えや想いを引き出す訊く力や観る力が一定以上あることや、参加者の声を言い換えて「こういうことですか?」「そう、そういうことや!」と発想や着眼を転じさせる力を持っているならば、全く問題はない。

8、デザインの力に頼る

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荒れることを受け入れて、ライブな変更も重ねていくことも受け入れて、付箋と模造紙に頼りすぎない構成も考えて、、、としていると、ファシリテーターが一人で頑張りすぎている気がして「もっと自然体に場の声に耳を傾けながら、場を促進させられることってないのかな?」と思うことがあった。だから最近は自分一人が頑張りすぎず、ワークショップやファシリテーションに理解のあるデザイナーやグラフィッカーと共に手がけることが増えてきた。単にワークショップで使うアイテムをデザインしてもらう、というものばかりではない。3回ぐらい重ねていると方向性が見えなくなってくる時がある。ちょっと先回りしてロゴや試作品のデザインをお願いして、パイロット版として提案する。プロジェクトのフラッグ的な位置付けで方向性を示唆するものとなり、一つ、またギアが上がる。ワークショップの意見発散のためのツール開発もしてもらうこともある。最近はグラフィックファシリテーターと組むことで、違う角度の発想を促すことも行なっている。

9、「楽しい」と「マジメ」の二階建て

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話し合いのツールやプロセスデザインの重要性を説いているが、ワークショップというのは、一見するとすると遊びのように思われる。もちろん、ワークショップは、ただの話し合いではないところから創造性を発揮していくことが狙いなので、もちろん問題はない。しかし、「私たちはマジメに話し合いたいのだ」と言う参加者の気持ちはもちろんあるし、地域づくりやコミュニティの活動に参加してくれる人は、基本的には根がマジメな人が多い。もっと言えば、「楽しく活動したい」とマジメに考えている。そのため、「楽しくやりながら、モノゴトが決まっていく」というやり方も悪くはないのだが、キッチリと楽しむ時間とマジメに話し合う時間を分けて会議の2〜3時間を構成する方が、満足度は高くなる。さらに言えば「マジメに話した」という気分が生まれるのは、楽しい時間への罪悪感(僕のプロセスは先行きが見えにくいので、楽しい時間から紡がれる本質的なヒントなどは中々当日には気づきにくい)がなくなる。この狙いは、僕だからこそのコツであるのだが、多くの話し合いはマジメな時間が多すぎる。「正しさ」や「マジメさ」だけで構成してしまうと、絶対次までにテンションが続かない。徐々に参加者が少なくなるワークショップの問題点は、こういうところにもある。ちなみに画像の「北条を「食べる」会」は、加西市で行われた食をキーにした旧家活用とマーケットイベントを組み合わせた「イチガタツ」の準備会議の告知チラシである。本番に向けマジメに話し合うことと、「イチガタツ」出店に向けて、移住者のチャレンジを背中押すようにここで実験的に作ってもらう、という”楽しさ×テスト”を掛け合わせたものだ。


10、テーブルファシリテーターは答えを出さない

1〜9までのことを心がけて進めていけば、大抵のことはうまくいくのだが、注意点として、この項目について少し記述しておきたい。全体のプログラム構成や会議の進行についてはメインファシリテーターが勤めるが、グループごとのテーブルファシリテーターは人員の問題や予算の関係から、依頼者側が兼ねることがある(特に行政関係)。本来は歓迎すべきことなのだが、時折、グループワークで意見を発散してもらう時間に一つ一つの質問に答える質疑応答のようになる場合がある。質疑応答という形式は微々たる発散と収束のラリーとも言え、どんどん細かな枝葉な話題になっていくことや、それ故に対立構造に陥る場合が多い。スタッフ自身が当事者意識を持っているからこそ、一つ一つに答えていると思うのだが、テーブルファシリテーターという存在は、メインファシリテーターが一人では場の意見を全て出してもらったり拾うのが困難な状況だからこそ、小さい島で、なるべく多くの意見を抽出し(そしてそれを大枠すぎず小枠すぎない程よさで束ねる)、そして多くの人に発言を促すことで満足感や場をあたためるために配置しているのだから、質疑応答のようなやりとりはここでは期待されていない。「テーブルファシリテーターぐらいならできる」と思うかもしれないが、基礎的なスキルと知識は必ず求められる。


11、単発的ナナメの存在をたまに入れる

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そして番外的に気をつけておきたいのは、メインファシリテーターであっても、回数を重ねると当事者気分になってきたり、当事者扱いを受けるようになり、自分のナナメ効果が落ちていくということだ。「そうならないためにも、ファシリテーターは中立公平に」という考えもあるが、私のファシリテーター観では「一人の人間である以上、中立公平は絶対無理」である。それぐらい自分自身についても疑いを持っているからこそ、場を見つめ続けることができると思う。そのため、時折、会議にナチュラルなファシリテーター的役割を発揮する学生を参加させたり、サイドワーカー的に隠れてファシリテーションを発揮してくれる人に頼ったり、そもそもちょっと会議のシチュエーションを変えてみるなど、自分の代わりにナナメ効果を発揮してくれる”何か”を盛り込むことは重要だ。


12、参加者は色んな人と喋れるようにする。

色々とツラツラ書いてきたが、最終的にはここが一番重要なのである。ワークショップを通して、同じ志を持った人たちが出会い、対話し、知り合うキッカケになった、というのを本当に大切にしたい。なので、「話したのがテーブルに一緒になった人たちだけ」というのは避けたい。もっと言えば「たった一言でもいいから、全員の前で自己紹介する」「どんな人がこの場にいるのか全員が知れる」というのを目指したい。プロジェクトがたとえ続かなかったとしても、参加した人たちが「何か持って帰るものがあった」という手応えは最低限確保したい。

以上が「対立や対話拒否に近い関係の場合」におけるナナメの存在の作り方とプロセスデザインのコツである。多くの文字数を割いたが、ワークショップが求められる現場、もしくはワークショップの可能性がある現場は、こういった対立関係になりがちな場であり、そこでいかに前進させるかがファシリテーターのミッションであり、醍醐味であり、冥利に尽きるというものだ。

私は今回、このコラムに書くにあたって、主に行政と市民が政策について話し合うワーキンググループの場を想定した李、行政と市民が協働して進めていくプロジェクトである。一方、事例として出していないが、実は「あかし市民図書館」における「市民による夢の図書館プロジェクト」での進め方がこれに当たる。

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あかし市民図書館の「市民による夢の図書館プロジェクト」は、今回のコラムのコツに書いたことがほぼ全て行った。初回のワークショップで「こんなことをするために来たんじゃない」と荒れ、その場に真剣に向き合い、即興的にプログラムを組み直したのは良い思い出だ。あれから、参加のみなさんは、私の進行に対して、違和感があればすぐに言ってくれるようになったし、全部が全部前向きなエネルギーのもと、ここならではのコミュニティがいくつか生まれ、交流が進んでいる。

図書館というのは歴史が長いため、構造を変えようとするには大きな抵抗が予想されたが、今はすっかり市民協働の図書館になっている。

そして、そのように変化してきたとき、あかし市民図書館では市民と図書館という関係のプロセスではなく、今度は館長の指示ではなく自発的に職員が進めていく内部変革のプロセスデザインに着手することとなった。それはまた別のナナメの関係のデザインが求められる。次回のコラムでは、まさにそこに触れていきたい。

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今までのnote記事
<プロジェクトのHOWTO もしくはAtoZ>

・はじめに
「平成」という時代とファシリテーター、ワークショップデザイナーに至るまで

・プロジェクトが始まる前に気をつけたいこと
プロジェクト型チームの危険性と心構え

・さあ!スタート!そんな時に
【コトの立ち上げ方、進め方】

・プロジェクト、少し慣れた頃の次のステップ
【プロジェクトが拡がるコツとチームづくりの一歩】

・プロジェクトを拡げるにはチームづくりから!
【プロジェクト型チームを作るコツと注意点】

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今までのnote記事
<ワークショップの記録と振り返り>

「HOW TO or NOT HOW TO」(アイデア創出系)

「ツレヅレ市場弁当」(価値の変換、疑い系。出かけるコンテンツ)

「ワイルド午後ティー」(価値の変換、疑い系。出かけるコンテンツ)

「いつも何度でも(ワークショップデザイナーver)」(学びなおし系(メタ認知促進型))

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