「この事については」と思える人と、存在が危うくなる人
失敗してしまった時に、失敗は失敗、自分の価値とは無関係、と思える人と、
失敗をいつまでも引きずったり、受け容れる事が出来なくて言い逃れたりするタイプの人がある、と思うのです。
言うまでも無く、失敗を認めながらも、自分の価値とは別問題である、という解釈が出来る人は、前向き、と言えます。
こう思えることが、どれ程自分を楽にするでしょうか。
いわゆる、プレッシャーに強い、とか、逆境に強い、などと形容される人は、
押し並べて、この解釈が身に付いている人です。
この解釈が出来ることは、自分だけでなく周囲をも救いますし、人間関係が円滑に機能します。
例えば会社のプロジェクトのメンバーに、失敗に深く落ち込み、挙句の果てに、言い逃れをする人が居たら、
どれだけ大きなマイナス要因になるか、ということです。
その人に悪気は無くても、プロジェクト内の人間関係はささくれ立ちます。
失敗と、自分の価値をきちんと、切り分けて捉えることが出来る人は、
自分という存在に疑念がありません。
自分という存在に安心感があるのです。
それは、一朝一夕に手に入るものでは無く、心がまだ白く柔らかな幼少期に、
愛情を注がれ、肯定的に受け容れられ、一人の人間として尊重される環境に抱かれる中で、育まれたのです。
自分は存在するだけで価値が有る、という感覚は、愛情溢れる家庭から外に出ても、既に自分の心の中に根付いているので、
学校生活でも、社会に出てからも、失敗は単に失敗した、という出来事に過ぎず、
失敗しても尚、自分には変わらず価値が有る、と感じます。
だから、必要以上に焦りません。
動揺し難く、取り乱すことが少ない訳です。
そんな人が、プレッシャーや逆境に強い人の典型例と言えます。
失敗に、自分の価値がストレートに脅かされる人も、また居るのです。
幼い日、親から都合よく扱われました。
否定しながら、肯定している、と言う親に、
拒絶しながら、尊重しているフリの親に、
いい様に扱われました。
だから心に、自分の存在に対する安心感は育ちませんでした。
自分の存在に拭いきれない疑いを持ってしまいました。
自分は無価値だ、と感じています。
だから、学校生活での、社会生活での失敗が自分の価値を脅かします。
この人にとって失敗は、出来事では無く、自分の存在価値の否定なのです。
心の中に、自分という存在に対する安心感が無いから、です。
心の中は、無価値感でいっぱいだから、です。
無価値感は、ネガティブな感情の中でも最も認め難い感情です。
失敗すれば、無価値な自分を認めることになります。
だから、深く落ち込みます。
やっぱり自分には価値が無い、と。
だから、言い逃れてしまいます。
失敗してなんかない、自分には価値が有るんだ、と。
勿論、価値が無い生命など無く、無価値は思い込みに過ぎないのですが、
この人は、強く思い込み、無価値を感じることからの逃避が、人生の目的になってしまいます。
人生を歩めば、物事に挑戦すれば、スンナリ成功する事など殆ど無く、
失敗を重ねる中から、成功への足掛かりを掴むことが、大半だと思います。
しかし、心に重大な無価値感を抱える限り、挑戦し、成功の足掛かりを掴むことよりも、
失敗を回避して、無価値感から逃れることが重要になってしまいます。
掴みに行くことを諦めて、
逃げる人生を選んだなら、
心が軽くなることは難しい、と感じます。
失敗が許されないなんて、首元に刃が当たっている様な生き方です。
その首元は自分の首元、刃を当てているのも自分自身です。
幼い日、存在を否定し続けたのは親です。
親は肯定も尊重も知らない人だったのです。
親もまた、重大な無価値感を抱えた人だったから、子供に無価値な扱いしか出来なかったのです。
その環境に育ったら、無価値な自分、と思い込むのは当然です。
でも、気がついたなら、手放せます。
気がつくことが難しいんです。
単なる思い込みなんて、手放せます。
生き方に良いも、悪いもありませんが、
気がついたなら、手放して、
軽い気持ちで生きるのも、悪くない、
そう思いませんか。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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