万にひとつ、花はひらく
いつも、心のことをお話しさせて頂いてます。
生きづらさを手放すこと、が中心になります。
記事の中で、
「生きづらさに気がついて、生きづらさを手放したい、と願うなら」
と、結構な長さの注釈を入れて話しをさせて頂くことが度々あります。
生きづらさを抱えていることに、
気がつく人もいれば、気がつかない人もいて、
気づくことから目を逸らす人もいるから、です。
生きづらさに気がついても、手放すことを願わない人もいるからです。
生きづらい人は皆、気づきましょう。
生きづらい人は皆、手放しましょう。
と言っているのでは有りません。
また、気づくこと、手放すことが良いことで、
気づかない、手放さない選択をしたら悪い、ということでは有りません。
気づくことを望むのも、望まないのも、
手放すことを願うも、願わないも、
その人の自由です。
そこにあるのは選択の自由だけ、です。
生き方に良いも悪いも無い、と思っています。
生きづらさに気がついて下さい、と強制するつもりも、
生きづらさを手放して下さい、と啓蒙するつもりも、有りません。
生きていて、何故か苦しく、苦しみから解き放たれたい、と願う人に、気がつく為のきっかけのひとつになれば、と思っています。
生きづらさに気がついていて、それを手放したい、と願う人に手放す為の少しの助けになれば、そう思っています。
そもそも、第三者がどれだけ力説しても、取り組むことも、気づくことも、手放すことも、今生きづらい、その人にしか出来ないこと、です。
タイミングだってあります。
いつか気がつく人であっても、
いつか手放す人であっても、
今は気づきたく無く、
今は手放したく無いタイミング、かも知れません。
だから万にひとつ、必要とする人に、必要なタイミングで、必要なことを拾って頂ける様に、
日々、きっかけの種をバラ撒いています。
万にひとつ、芽が出ると信じています。
万にひとつ、花がひらくと信じます。
万にひとつ、届くといいな、
そう、思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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