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君は恥ずかしい存在なんかじゃない

もう15年程前になります。

私は当時、東京に住んでおり、事業に失敗して経済的にも精神的にも、どん底の状態にありました。

結果としては、この時のいわゆる、底打ち体験、があったから、自分と向き合うことが出来、

長く背負って歩いた、生きづらさ、を背中から降ろすことが出来た、と今は思っていますが、

当時は、苦しさの最中に在りました。

そんな時、同じく苦しみの最中でもがいている一人の男性と出会いました。

何かが引き合う様に、人がひしめき合う東京で、ひと月程度の短期間に偶然に何度もばったり出会いました。

東京で二度、そして、横浜に所用で出向いた時にもばったり出会いました。

どんな会い方をしたかは割愛しますが、流石に三度目は、お互いに驚きながら、「よくお会いしますね、こんなことって有るんですね」と声を掛け合い、

お昼時だったので、食事をご一緒する事になりました。

彼は、霞が関の官僚でした。

心身に不調を来して、内科と心療内科にかかっている、とのことでした。

言われてみれば、顔色が悪く、健康には見えないと思いました。

彼は、どこの誰かも知らない私に、堰を切った様に、身の上話しをし始めました。

私は、商売に失敗して、ひどく落ち込んでいましたから、自分の事は出来れば話したく無く、
また、国の中枢で働く彼に興味をそそられましたし、
話しが上手でしたので、惹き込まれる様に聞き入ってしまいました。

彼は、東大から官僚という絵に描いた様なエリートコースを歩みましたが、

官僚になってからは、周りが優秀なので、焦ってばかりの日々の末、

心身の調子を崩してしまった、とのことでした。

その日は、彼が一方的に話し、私は聞き役でした。

連絡先を交換して、別れました。


彼は多分、利害の絡まない友人、知人はいなかったのだと思います。

度々誘われ、何度か飲みにも行きました。

と、言いましても、彼は内科の検査の数値が悪く、酒は飲めないので、いつもウーロン茶を飲んでいました。

私も、底打ち体験、をした後で、心は乱れっぱなしの時期でしたので、

彼が話した事を、当時の私はどの程度理解出来たかは、甚だ疑問なのですが、

今思えば、彼の心身は限界をとうに越えていたのだと思います。

彼の独白を聞いた後私は、毎回どっと疲れてしまっていました。

彼はよく、
「今に見てろ」とか、「負けてたまるか」とか、話しの端々に出て来るのです。
そして、今の状態を、情けない、恥ずかしい、と言います。

彼の発する言葉は全て、怒りのエネルギー、を帯びていました。

そのエネルギーは、触れる者を疲れさせます。

彼の話しを聞いても、私は私で苦しみの最中にいましたから、意見などは殆ど口にしなかったのですが、彼が、

「今かかってる心療内科はダメだ、別のメンタルクリニックを見つけた、その先生が、霞が関で勝負したかったらウチに来い、って言ってくれた。」
「その先生に賭けよう、と思ってる」

そう言った時、思わず、
「身体より、生命より、仕事で勝つことが大事なのか?」
と私は言いました。

彼は、少し考えて、
「勝たんと、このまま負けたら俺は恥ずかしい」
と言いました。

その日が、彼と会ったのは最後です。


それから、彼からの連絡はパタッと無くなりました。

正直、彼と会った後の、気怠さを思うと、少し距離を置きたい、と思っていたので、こちらからは、連絡しませんでした。

そうやって、1年が過ぎ、私もどん底からは、抜け出した気がしていたので、

彼に連絡してみました。
携帯は繋がらず、自宅に掛けてみました。

彼は、独身で実家暮らしです。
彼の母親が出て、
彼が亡くなったことを聞きました。

日を置いて、私は彼の実家に伺いました。

仏壇に手を合わせた後、テーブルを挟んで彼の両親と初めて顔を合わせました。

話しをするうちに、不謹慎ですが、私は彼を不憫に思いました。

最後に会った日、彼は「負けたら恥ずかしい」と言いました。

向かい合った彼の父親は、話す中で何度も「恥ずかしい息子だ」と口にしました。

彼は自ら生命を絶ったそうです。

私はそれまで知らなかったのですが、大きく報道されてしまった様なので、彼の父親は私がニュースを見て全てを知った上で線香を上げに来たと思って、隠さなかったのかも知れませんし、

友人が線香を上げに来たのは、私が初めてだとのことだったので、対応に慣れていなかったからか、

なんだか、あけすけに父親は詳細を語りました。

その中で、「恥ずかしい奴」と、何度も言ってました。

批難する訳ではありませんが、私は何となく、彼の家庭の空気を垣間見た気がしました。

彼の育った環境は、あたたかく無い様な気がしました。

彼も、彼の両親も、いったい何処に向かって、誰に向かって、恥じているのか、

大事な何か、が欠け落ちた家に感じられました。


今にして思うと、私と出会った頃には、彼は断崖絶壁の一歩手前に居たのだと感じます。

心はこんがらがって、物事を順序立てて見ること、優先順位を付けることが出来なかった様に思います。

あの顔色で、心を怒りに乗っ取られ、それでも最優先事項は、勝つこと、だったのです。

彼は最後まで、自分、を持てなかったのだ、とも思います。

彼は「先生に賭ける」と言いました。
生命ぎりぎりの崖っぷちに立ちながら、他者に全てを委ねる程に、自分、が無かったのだと、今は思っています。

その時、彼がすべきは、他者に委ねることでは無く、
自分自身の心に目を向けること、ではなかったか、と思っています。

彼が生涯、自分、を持つことが叶わなかったのは、
自ら生命を絶った息子に対して、恥ずべき息子、と断罪する家庭の空気に原因が有る様に思います。

親は彼を、恥ずかしい、と責め、

責められた彼は、自分は恥ずべき存在、と位置づけてしまったのだと思っています。

彼の心の中には、親の、恥ずかしい奴だ、という声が鳴り響いていたのだと思います。

だから、心や身体を守るより、勝って自分の価値を証明したかったのだと思うのです。

彼と一度だけ、カラオケに行きました。
彼は、童謡と古いアニメソングしか知りませんでした。

きっと、自分の価値を証明するために、必死で勉強したのだと思います。
勉強しかしなかったのだと思います。
友も遊びも彼には無かったのだと思います。

だからアイドルを知らないし、
流行った歌も知りません。

彼の目には、聖子の姿は、映らなかっただろうし、
彼の耳には、明菜の歌声も、届かなかったのだと思うんです。

恥ずかしい奴、という声に追い立てられ、
全てを捨てて、怒りに巻かれて、走るしか無かったのだと思っています。

彼がおどけて、身振り手振りを入れて歌ったマジンガーZを、

たまに、ふと、思い出します。

読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。

伴走者ノゾム


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