見出し画像

心のことのたった一つの条件と、たった一つの例外


自分と向き合う方法がわからない、
自分と向き合えているのかわからない、

生きづらさに気がついて、生きづらさを手放したい、と願いながら、
そう感じる人も少なく無い様です。

生きづらさを手放す時、自分と向き合います。

心のこと、は自分と向き合うことが始まりで、自分と向き合うことが全部だと思っています。

たとえば、「私は男運が悪い」と言う女性がいた、とします。

ずっとろくでも無い男とばかり付き合って来た。
前の彼も、その前も、付き合ってみたら、ろくでも無かった。
今の彼と巡り会って、今度こそ幸せになれると思った。
でも、しばらく付き合って、この人もろくでなしだと判った。
やっぱり私は男運が悪い。

この女性は苦しんでいるのだと思います。

でも、自分と向き合うタイミングでは無い様に思うんです。

理由は、この女性にとって、苦しみの原因は外に在ります。

出逢った「ろくでも無い男達」が原因で苦しんでいる、と感じています。
それは、外です。

或いは、「男運の悪さ」が原因だと感じています。
運命も自分の内側ではありません。
外なのです。

つまり、様々な出来事の原因を外に求めている限り、自分と向き合うことが出来ません。

もっと言うと、自分と向き合うことを無意識に拒否しています。

この状態にあるならば、自分と向き合う準備が整っていません。

つまり、自分と向き合うタイミングでは無い、ということです。


自分は「男運が悪い」と思ったり、口にしたりするから、ろくでも無い男を引き寄せる、と言う人もいます。

半分ぐらい正解だと思います。

思うか思わないか、口にするか否か、の一つ前の段階で、気づく事が大切だと思います。

私達がコントロール出来るのは、自分の心だけであり、
外に起きる出来事も、他人の心もコントロールする事は出来ません。

コントロール不能な外の事を、コントロールしたがっているのですから、苦しくなるのは当然なのです。

抱える生きづらさに気がついて、
生きづらさを手放すことを願うなら、
誰でも、手放すことが出来ます。

ただ、たった一つだけ、準備が必要です。

それは、全ての答えは外に無く、自分の心の内にある、ということが腑に落ちること、です。


条件をクリアして、自分と向き合い、生きづらさの原因へと掘り進みます。

すると、生きづらさの根は過酷な幼少期へと伸びていることが判ります。


ここが矛盾している様で、混乱し易いところなのですが、生きづらさを手放す手順の肝なので、お話しすると、

前出の、たった一つの条件、全ての答えは自分の心の内にある、のたった一つの例外が、この過酷な幼少期にあるのです。

幼少期という本来、無条件に親から受け容れられるべき特別な季節に、
拒否され、否定され、傷だらけになった事だけは、
幼い自分には何の罪もありません。
あらゆる事象の中で唯一、外に原因があります。

傷だらけになって、自分には価値が無い、と思い込んだことの責任は、幼い自分には一切無い、ということです。


たった一つの条件をクリアして、自分と向き合って、
掘り進んでみると核心の部分は、たった一つの例外なのです。

心のことは「逆が真」のことが実に多い、と感じます。

逆でありながら、辿り着いてみれば、

辿り着く為に必要なことだったと、腹落ちするのですが、

進んでいる最中は実に難解でもあります。


幼少期に受ける虐待は、100%子供に非はありません。
それ程理不尽な仕打ちです。

結果、子供は傷だらけになり、生きづらさを抱えます。

しかし、生まれた時から責められ続けた人は、

生きづらさを手放そうとしている時に、一歩譲ってしまいます。

確かに親は虐待したが、あの頃の親には親の大変な事情があって仕方が無かった、という落とし所に逃げ込みがちです。

かつて、怒りも悲しみも、寂しさも、自分の感情を全部閉じ込めて、親が望む子供にならなければならなかった事が、生きづらさを創り出したのです。

そこは、譲ってはならないのです。


機能不全家庭は矛盾だらけの世界です。

その環境で生き抜いた事は、本当に尊いことです。

しかし、生き抜いた代償として、生きづらい人は家庭の矛盾を自分の中に取り込んでしまっています。

自分の中に原因を求めなければならない時に、外に原因を探し、

自分に原因は無く、親が原因である時に、仕方が無かった、で済ませます。

責任を取らなければならない時に他者を責め、
100%悪く無いのに責任を感じ、押し潰されます。

生きづらさを手放す過程は、自己矛盾を理解し腑に落とし、解放する道のりとも言えます。

だから、一見矛盾する様な事が必要だったりするのです。


生きづらさを手放して、見渡す事が出来た時、

矛盾も、わだかまりも、溶けて流れて、

全てが連なりを帯びるのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?