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「理想化」と「こき下ろし」に揺れる人

この人は私を受け入れてくれる、と思ったら、相手の全てが正しい、全部が素晴らしい、と心酔し、理想化する人は少なくありません。

そして後に、その理想化した相手が、思った程自分を受け入れていない、分かってくれていない、と思ったら、今度は、相手をこき下ろします。

時々報道される、洗脳騒動などは、悪質なカルト宗教の教祖や呪術師の様な人が、あたかも恐ろしい魔術でも使って、その人の心を奪ったかの様な伝え方が目立ちますが、

個人的には、冒頭に触れた、理想化とこき下ろしの心理が、洗脳される側にある、と思っています。

洗脳する側に、コントロールする意図があり、多少のテクニックやトリックがあったにしろ、

される側に、相手を理想化する心理が無くては、成り立たない、と思うのです。

むしろ、理想化する心理を色濃く持つターゲットを見極めることが、洗脳のキモだと思います。

メディアは、魔力、と謳った方がセンセーショナルで人々の関心を集めることが出来るので、

より一層、恐ろしいものとして報道しがちですが、

ターゲッティングありきの騙しのテクニックと解釈すれば、詐欺と同じ、と言えます。

洗脳にしろ、詐欺にしろ、理想化する心理を色濃く持つ人、つまり信じ込み易い人、が、信じ込んでいる間に、根こそぎ奪います。

なにも事件性のある様なことに限らず、理想化とこき下ろしの間を行き来する人は、人間関係全般が、そうなります。

白と黒、善と悪、100と0、両極端を行ったり来たりする生き方になります。

一番顕著なのが人間関係ですが、その人は世の中を、白と黒に分けて捉えるので、すべからく極端な思考に陥ります。

では、どうして、そんな極端な捉え方になってしまうのでしょうか。


心のこと、をお話しする時、切り口が違えば見え方も違ったものになります。

一つの入口から入ったものが、幾つにも分かれて見えたり、
別の入口から入っても、進むと同じ結論に至ったりします。

なので、取り挙げるのは、一例であり、典型例です。

この、理想化とこき下ろしの心理、についても、一例であり典型例です。

幾つもの要因が重なり合っている、と考えますが、大きな括りでお話しすると、二点あります。

一つに、理想化とこき下ろしを行き来する人は、心が凍りついたまま、成長の歩みを停めてしまっている、と考えます。

同じ赤ちゃん、同じ母親であるのに、母乳が出る時と、母乳が出ない時は、同じ母親の同じ乳房でありながら、赤ちゃんの感じ方は、

母乳が出れば良い乳房、母乳が出なければ悪い乳房、なのです。

良いと悪い、しかない、
白と黒、しかない世界は、赤ん坊が見ている世界です。

乳幼児期を含めた幼少早期は、母子が一つに溶け合う、蜜月、愛着の特別な季節です。

この時期に、充分な愛情を注がれない赤ん坊は、種だけあって、水分も養分も与えられない状態になり、

芽吹くことが出来ません。

赤ん坊にとっての芽吹きとは、心の成長、発育を指します。

未消化の幼児的願望が生きづらさに大きな関わりがあることは、いつもお話ししていますが、

心の芽吹きは、幼児的願望を持つ段階の一つ前の段階、と言えます。

つまり乳幼児期に充分な愛情を注がれなかった人は、心に、芽吹く前に成長を止めてしまった、種のまま、の部分を持っている、ということです。

だから、立派な大人になっても、理想化とこき下ろし、の感情に自分自身が翻弄されます。
それは、良い乳房と悪い乳房、白と黒の感覚です。

二つ目は、優れていることと、劣っていることの両方を求められる環境に育ち、心が二つに裂けてしまっています。

こういった環境を創り出す親は、かつて心が成長の歩み止めてしまう環境に育った人です。

見た目は立派な大人でも、心には多分に幼児性を残しています。

自分には価値が無い、という強固な思い込みを抱えており、

親という圧倒的に強い立ち場に立つと、湧き上がる、無価値感、から逃れる為に、無意識に子供を利用してしまいます。

子供に対して、対外的には、優れた子、であることを求めます。

優れた子の親、として世間にほめられたい、という極めて幼児的な願望に衝き動かされているのですが、親は子供のことを思ってのこと、と信じ込んでいます。

しかし、家庭内では、子供が優れていてはならないのです。
子供は自分より劣った存在でなければ、自分が無価値な存在に感じられるからです。

だから、子供を貶めます。

子供を貶めることで、相対的に自分の価値が上がった様に錯覚し、無価値感から逃れることが出来ます。

優れていることと、劣っていることの両方を求められ続けるうちに、その子は自分がわからなくなり、優れた自分と、劣った自分に、裂けてしまいます。

色んな要因が絡まり合って、理想化とこき下ろしの心理が現れますが、

挙げた、心が成長の歩みを止めてしまっていることと、
心が二つに裂けていることは、大きな要因だと思っています。

世の中を白と黒で見ます。

他人を善と悪に分けます。

自分を100か0かで裁きます。

生きづらくない筈がありません。

自分を受け容れてくれるこの人は理想の人、は、
母乳がよく出る、良い乳房、です。

生きづらい人が、自分が生きづらい、ということに気がつくことが、とても難しいのですが、

理想化と、こき下ろしによって、苦しむ人は多くいますし、

気がつき易い、とも思っています。

自分の判断が、白か黒かの二択になりがちではないか、

注意深く見ることが、気づきのきっかけになるかも知れません。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム











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