見出し画像

優しい人を遠ざけ、傷つける人を引き寄せるから不幸になる

転校しても転職しても、住む場所を変えても、
何故かいつも同じ様なタイプの人が現れて、その人が原因で悩みや苦しみを抱え込んでしまう、ということは無いでしょうか。

環境を変えた時ばかりでは無く、

仲良くなる友人、付き合う異性と最初は良い関係だったのに、最終的にはトラブルになってしまう、といった事を繰り返してはいないでしょうか。

誰しもが人間関係に悩みます。

心理学者アルフレッド・アドラーの言葉を借りるまでも無く、
人の悩みの殆どは人間関係の悩み、と言えるでしょう。

だからこそ、いつも人間関係がおかしくなってしまうなら、運が悪い、で終わらせるのでは無く、

自分の中に原因は無いか、という視点を持つことは、人生を歩む上で大きな助けになる、と思うのです。

人と良い関係性を作れない自分は駄目だ、と自罰的になるのでは無く、
アイツが許せない、周りが悪い、と他罰的になるのでも無く、

どうしていつも、こうなってしまうのだろう、
原因はなんだろう、
抜け出す方法は無いだろうか、と立ち止まって考えることが必要な時、なのかも知れません。

いつも同じ様な自分の足を引っ張る人が現れる、のでは無く、
自分がその種類の人を引き寄せている、ということは無いでしょうか。

必ず人間関係がこじれる、のでは無く、
関係がこじれる様な人を自分が選び、こじれる人間関係を自分から作っている、ということは無いでしょうか。

小、中、高といじめにあった、でも家庭は良い家庭だった、

良い家庭だったのでしょうか。

学生時代いじめられた、家庭も何かとゴタついたが、親にも事情が有って仕方が無かった、

親には事情が有って仕方が無かったのでしょうか。

本当にそうでしょうか。


子供は生まれた時から人間関係を構築する術を持っている訳ではありません。

子供は生まれてから、親との関わりから人間関係の雛形を創り出します。

子供がこれから人生を歩む上での人間関係の雛形は、親子関係なのです。

親の心が健やかで、その子に充分な愛情を注ぎ、その子を尊重し、その子を肯定的に扱ったなら、

その子の人間関係の雛形は、愛や尊重、肯定的な姿勢に溢れたものになります。


親が心に重大な無価値感を抱え、生きづらさでいっぱいだったなら、親は無価値感から目を逸らし、生きづらさから逃れる事に必死です。

愛、尊重、肯定とは縁遠い親子関係になります。

生きづらいその親も、かつて愛、尊重、肯定と縁遠い親子関係の下、育っています。

親は愛の無い親子関係を愛情に溢れている、と思い、
尊重と思い、支配します。
肯定しているつもりで、否定します。

そんな愛と真逆の親子関係を、子供は人間関係の雛形にしてしまいます。

親は、お前の為を思って、と口にしながら、自分の事しか考えられません。
生きづらさから逃れる事に必死だからです。

親は、与えている、と言い張り、子供から奪います。

親は、冷え冷えとした家庭を、暖かい、と言うのです。

そんな逆さまな人間関係の雛形を持たされて、人生を歩けば、幸せとは逆方向に歩いてしまいます。

奪う人を与える人と思い、
冷たい関係を暖かいと信じます。

そして、人間関係の雛形は親の都合、で出来ています。

だから、その雛形に適合する人は、親と同種の、他者を使って自分の無価値感から目を逸らす人、
他者を生きづらさから逃れる道具、に使う人なのです。

その人の人生にも、優しい人は現れますが、逆さまの雛形に適合しません。

したがって、その人は優しくて暖かい人を遠ざけ、
自分を傷つける冷たい人ばかりを招き入れる事になるのです。


その人は、無意識に親からもらった人間関係の雛形を使って、
傷つける人を選び、不幸の方向に歩いています。

もしも、人間関係に行き詰まったなら、

それは、大きなチャンスです。

他者のせいではありませんが、

自分を責めるのも違っています。

原因は、親からもらった人間関係の雛形です。

勇気を持って立ち止まり、

見つめて欲しく思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?