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優しさと稚さ

優しい人は、目の前の困っている人に自分は何をしてあげられるだろう、と考え、

精神的に稚い人は、目の前の困っている人に自分はどんな言葉をかけるか、を考えます。

優しい人は、人を助けよう、と思ったなら、行動します。

勿論、助けを求める人に言葉が必要ならば、励ましや労わりの言葉をかけることも、行動の中に含まれます。

稚い人は、優し気な言葉、を探します。
それを投げかけることが優しさだと思っています。

稚い人は、本当に優しくされたこと、が殆どありません。

本当の優しさが欠けている場所に生まれ育ったからです。

本当の優しさが欠けた場所には、優し気な言葉は飛び交っています。

「お前のためを思って」
「親子じゃないか」

しかし、本当の優しさが欠けている場所の優し気な言動は、本当の優しさとは、動機が違っています。

親が子を繋ぎ止める為の言葉だったり、コントロールする為、或いは、周囲からの賞賛を求めての言動です。

本人は無自覚なのですが、動機は、自分のため、なのです。

親もかつて幼い頃、愛の無い場所で、利用される立ち場に置かれていた為、

本当の優しさに触れた経験が殆どありません。

そんな環境に育った親の心は無価値感でいっぱいです。

だから、無価値感から逃れることで手一杯で、子供を慮る余裕がありません。

親も子も、優し気な言葉、は知っていますが、優しさ、を知らないのです。

親も子も、無価値感に追い立てられます。


そんな環境で育った人は、

時に、優れた自分を誇らずにはいられません。
時に、優しい自分をアピールしないではいられません。
心の中では自分は無価値だ、と感じていますから、
その無価値感から目を逸らす為に、優れた自分を誇り、優しい自分をアピールするのです。

つまり、動機はいつも、無価値感から目を逸らす為であり、自分の為、なのです。

稚い人は、心に湧き上がる無価値感にいつも追い立てられて、余裕がありません。

その余裕の無さは、他人を慮ることを邪魔します。
他人の痛みや苦しみを感じることが出来ません。

感じることが出来ないままに、幼い頃に育った環境に飛び交っていた、優し気な言葉、を投げかけます。

「心配したよ」「大丈夫?」

でも、優し気な言葉を投げかけて、稚い人の優しい行動は、そこで完結します。

本当は、無価値感に追い立てられて、他人を慮る余裕はありませんから、他人の為に横のものを縦にすることすら嫌なのです。

結果として、優し気な言葉と相反する冷たい行動が際立ち、周囲の人達からは、言行不一致な人、口だけの人、と思われがちです。

時に、言葉だけでは無く、行動で人を助けなければならない局面を迎えると、自分は犠牲になってその人を助けた、とアピールしないではいられません。

たとえば、学校に提出するレポートを二人で手分けして仕上げたとすると、自分がやってあげた、という気持ちになり、言葉の端々にその気持ちが現れます。

もうひとりの共同制作者からしてみれば、立ち場はフィフティ・フィフティな筈なのに、

とても恩着せがましく思えるのは当然です。

その恩着せがましさに嫌気がさして、共同制作者が不満を表したりしたら、今度は恨みます。

稚い人は、心に余裕が無い中、レポートを仕上げた時点で、相手に大変な益をもたらした気持ちになります。

たとえ仕事配分は等分であっても、相手が得をして、自分が損をした心持ちになるのです。

相手からしてみれば、恩着せがましく、恨みがましい事この上ないのですが、

稚い人は、そういう世界に生きています。


このことは、共同作業やチームプレーを困難にするばかりに留まらず、生きる上で大きな足かせになります。

生きづらさに直面するのは、孤立した時が多いのではないか、と思います。


ひとりになること、が良く無い訳では無い、と思っています。

望んで全てを受け容れた上で、ひとり生きる人もいます。

意図して、選び取って、そうする人も在ります。


社会の中で孤立して苦しみを味わっている人は、選び取った訳ではありません。

その人は混沌の中に在ります。

自分の成り立ちが腑に落ちず、

自分の存在に懐疑的で、

何故苦しいのか、

どうしてひとりなのか、

分からないまま生きています。


優しい言葉を配っているのに、誰も彼も恩知らずの礼儀知らずばかりだ、と感じてはいないでしょうか。

そう感じることが多いなら、

見渡せば、恩知らずで礼を尽くせない人ばかりなのは、

自分の心がその人達を創り出していないか、立ち止まって考えてみる時期かも知れません。

先に触れた様に、そうなったのは、優しさの無い環境に育ったから、です。

幼子に非はありません。

今、苦しむ自分を責めないで欲しく思います。

ただ今の自分を、ありのまま受け容れて、

恐れず手繰ってみて欲しいのです。

絡んだ糸はきっと、解かれます。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





 


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