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私を辿る③堕ちる〜紹介と思いの機織り〜

同じ道を辿っていたようで、兄や姉ほど勉強はできなかった。二人への劣等感は常にあり続けた。大人になっても、手に職を持ち、自分を活かした仕事をしている二人に、つい最近までそれはあった。まだ、残骸はあるかも。

🌙社会人?なのか?
就職活動はほんの少し。大学を卒業し、私は大好きだった劇団に入った。
ここでまた、箱入り娘で綺麗事の中で育って来た私は、痛い目に遭う。数多の劇団の中でも相当な、どすどすブラックだったと思うけど、不条理極まりない世界。自分が否定された感覚。道端のカエルのように踏み潰された感覚。でも私は、あの叙情的かつ情熱漲る舞台の一員になりたかった。なりたかったけど、小さな役はやったし、たくさん関わったし、一生懸命やったけど、、やっぱり辛すぎて、逃げた。決め手は、唯一、信じられるような気がしていた座長が不条理な考えを言い放ったことだった。もうダメだ。「魚が陸で生きるように呼吸が苦しかった」と座長に手紙を送り、実家に避難した。たった、2年程だった、大好きだったはずの劇団にいたのは。めちゃくちゃ濃厚だったけど。

劇団をやめたら、途端にイイうんち💩が出て驚いた。思えば、しばらく便秘か下痢のどちらかだったと気が付いた。そして、アトピーが消え始めた。身体を掻く意味が分からなくなった。やっぱり、ストレスだったんだね。
学生の頃のアトピーは、よくわからないけど…。今分析するなら、やっと自分の人生を歩み始めた、その不安、心細さだったのかもしれない。赤ちゃんが生まれる時と同種の。

🌙結婚へ
そんな私をずっと見守ってくれていた彼と結婚の流れが来た。彼が泣きながら「結婚してください」と言ってくれたこと、両親への挨拶で許されると「バンザーイ‼」と両手を挙げて後ろへ倒れたこと、神社での結婚式で「誓いの言葉」を晴々しい声で響かせたこと…とてもとても嬉しかった。披露宴は夫自身に司会をやらせ、大評判の楽しい宴だった。
私達は、いいカップルだった。初めて自分からsexをしたいと思った。

その後、劇団時代の先輩から、新しい劇団の旗揚げに誘われ、またアトピーが出るのでは?と迷ったが、参加した。厳しさ大変さはもちろんあるけど、不条理は無かったので、アトピーは大丈夫だった。ちゃんと、呼吸できていた。いい役もやらせてもらった。ただ、何故だろう?逃げたい自分がいたと思う…新居のマンションを探すから、という理由で休団した。派遣の仕事をしながら土日にマンションを探す、それは本当のこと、余裕無いのも本当、、でも逃げた感覚があった。声のコンプレックスのせいか、芝居の、役を掴むまでの辛い道のりに自信が無かったのか、、その両方かもしれない。あぁ、私はまた2年で逃げた…と心の端っこで感じていた。役を掴んだ時の惜しみない表現の、そして本番の集中力で更に役が深まって行くことの、更には、芝居中に役を通して相手役の人と通じ合う稀な瞬間の、快感も、知っているのに!

🌙子育て
そのうち子供ができ、私は専業主婦となった。子供は欲しいと思っていた。また劇団は遠のいた。
新居の未知の土地で、未知の赤ちゃんとの生活。この、子供が産まれてからの特に最初の一年は、私にとってとても辛く苦しい日々となった。
私の起業への最初の出発点はここにある。

私が旦那さんへ…あれ?と感じ初めたのは、妊娠期だった。大きなお腹の私を気遣う感じが無かった。それはあまり気に留めないようにした。
だが、なぜ最初の一年が辛かったかと言うと、その一年で、彼が私の中でエラい勢いで墜ちて行ったからだ。簡単に言えば、子育てに協力してもらえなかった。話を聞いてもらえなかった。ということ。
知らない土地、知り合いいない、気楽な話し相手いない、慣れない子育ての独特な不安の中…彼の存在が頼りだったのに。そして、子育てを楽しめない自分に自己嫌悪が拍車をかける。あんなに、世間の虐待の話は信じられなかったのに、虐待しかねない自分を見た。紙一重で立ち止まった。ショックと、虐待は誰にでも起こりうることを知った。

私の起業は、そんな孤独と不安のベールに包まれたお母さんの話を聞いてあげたい、「大丈夫だよ」と言ってあげたい、というのが原点だ。
私が話を聞いてもらいたかったから。「大丈夫だよ」の一言に救われたから。

私なりに、赤ちゃんの歌を作詞作曲したり、自分を励まし、明るく過ごす工夫をしながらなんとかやっていたが、一年経った頃、これでは自分が壊れると、なんとかしないと、という思いに迫られ、自分の感情を表現できる芝居をまたしよう、と決めた。
劇団の座長にその意思を受け入れてもらい、また、稽古の時間赤ちゃんを預ける手はず、旦那さん、義母への協力依頼、保育園探しをした。
そうして、皆の協力を得て、なんと主役をもらい、舞台を成し遂げた。ひょっこり劇団に戻っていきなり主役なのは、周りの劇団員は嫌だったと思う…そういう雰囲気を感じた…でも自分のできる精一杯はやったつもり、それが途中から皆に伝わったような気もした。役の台詞を通して、私は、自分の中に溜め込んだ感情を、外に出せた。皆に感謝した。またこれから、(赤ちゃんとの生活を)やって行けそうだと思えた。
でも、義母への気遣いやら、実際大変だったから、本当にこれが、私の芝居出演の最後になった。私31才、娘1才。娘は現在21才。私はまたいつか、死ぬまでに、お芝居をしたいと思っている。

続く

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