見出し画像

大人の悪知恵、脅しと比較

 教育業界の端っこにぶら下がってる。自作のブランコで。
ここから眺めていると、大人のいろいろな所業が目につく。私はどんな教育現場も尊いと思っているけど、子どもの目を通して見ると危険がいっぱい。

 皆さんもごぞんじの通り、子どもはいとも簡単に洗脳出来る。だって、最初は大人を信じているから。でも大人が子どもたちを洗脳出来たと思った時、子どもたちは本当は洗脳されたのではなく全部知った上で諦めているのだ。

大人が信じている手っ取り早い方法

 民間の小さな英語教室運営、という立場から教育業界を眺めていると、大人の欲がたくさん見える。例えばあそこの進学校、有名なあの塾。毎年〜高校何人合格!と出さなければいけないから、子どもたちが結果を出してくれないと困る。私立ならまだしも、公立もこぞって結果を欲しがる。さ、この数を大きくして自分たちの評価を上げるにはどうしたら良いか。数百人いる子どもたちに手っ取り早く結果を出させないといけない。しっかり言うことを聞く様に手懐けないといけない。
 さ、効率の良い方法は。

そんなの簡単。誰にでも簡単に思いつく。
①脅す/怖がらせる
②比べる
③洗脳する
暴力を振るえたらもっと簡単だけど、出来なくなったから

 
「そんなことじゃ、良い学校に行けない」
「このクラスが一番ビリ」
「みんなみたいに頑張ってみろ」
「お前だけだぞ、出来てないの」

 そんな言葉を毎日浴びせ、怖い現実と間違った自分の価値を植え付けられる。ひどい場合はこの洗脳が一生解けないことがある、そんなことを知ってか知らずか。ただ目の前の結果だけを求めるから子どもの未来なんて知ったこっちゃない。子どもが未来もずっと理由のわからない劣等感で苦しむことなんて、想像も出来ないんだ。

 子どもたちからよく聞く「大人から言われた言葉」に、耳を疑うことがある。それを毎日聞かされていたら…その子の根っこに呪いの言葉として注がれていってしまうじゃないか。

子どもたちは知っている

 子どもたちは素直で従順。それは正しい。自分を導いてくれるはずの大人を信じてついていこうとする。でも、同時に子どもたちは深いところで自分に向けられた愛を感じる感度も高い。この人は自分を大切に思っている、というセンサーは大人が思う以上だ。
「お前のことを思って」という言葉が大体嘘で、本当はこの人は自分のことを考えているな、というのを知っている。

 そういうのを、私は子どもたちの会話から知ってドキリとする。そして自分にもあるその大人の弱さと徹底的に向き合っていく覚悟を決める。
子どもの前に立つ時は、子どものためのこと以外はしない。自分の承認欲求を満たそう、なんて気持ちが微塵でもあったらそれを叩き潰して教壇に立つ。「いえ、自分にはそんな気持ちありません。生徒への愛だけです」という人がいたら信用ならない。私たちは大人であっても親であっても指導者であっても、人間である以上承認欲求を常に纏っている。それを自覚した上で、せめて子どもの前にいて子どもたちのために使う時間の中では、私はそれをしっかり脱いで隣に置いておこうと決めた。

 これは毎日自分に問うこと。毎日毎分しないと、すぐにその服は私にまとわりついてくる。情けないことだけど。私たち大人はその情けなさを自覚して向き合っていかなければいけない。

反則だらけの禁じ手フルコンボ

 クリティカルシンキングという言葉をご存知だろうか。簡単に言うと、まず疑ってかかるということ。そんな失礼なこと!と思うかもしれないが、学校の先生が言うことや親の言うことは全て正解ではない。子どもたちがそれを疑って分析するのはテスト用の勉強よりも大事な人生勉強だ。それを頭ごなしに「言う通りにしろ」「お前は黙って勉強してればいいんだ」と押さえつけてしまえば、子どもたちは大切なセンサーや思考力をオフにして二度と使わなくなるだろう。もっと良いアイデアが出てくるであろう頭脳もストップして空っぽにして、その中にテストに出そうな文言を詰め込むだろう。

 先生が脅す、親が人と比べる、不快感極まりないことだ。大人が考えた簡単に子どもを焦らせてやる気にする方法だ。自尊心が傷ついて、そこに愛があるのかどうか探すことも諦めて、頭を空っぽにして従おうと決める。生きるために。

 再度言うが、脅しや比較、洗脳は大人が楽をして子どもに結果を出させようと考え出した悪いアイデア。禁じ手のフルコンボだ。それでその場の結果を出させることは出来ても、子どもの根っこに注いだ言葉たちは子どもたちの中に残り燻り続ける。

 子どもたちが悲しそうに言う。
「○○ちゃん、テストの点数が悪くて、親に『お前は生きている価値がない』って言われたんだって」
 想像した。その子の親は、その時のその子の表情を見ていただろうか。泣きそうになりながら反撃したのか、苦笑いしてその場を離れたのか、いずれにしても悲しい。一番自分に「生きていて欲しい」と願っていると信じている存在からそんな言葉を聞くのは、酷だ。
 その言葉がその子の中から消えることはないだろうが、これ以上彼女が傷つく言葉を浴びなくて済みますように、と心の中で祈る。そして自分の命を軽視する未来がないように、と。
 命より心の健康より大切なものが、あるのだろうか。大人こそ周りの価値観に翻弄され続ける自分の価値観を疑ってみる必要がある。

 これ以上子どもたちを諦めさせないように。

読んでくださって、ありがとうございます。 もし気に入ってくださったら、投げ銭していただけると励みになります💜