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怒りにものまれず、死の恐怖にものまれない。

容姿端麗。

人誑しの素質あり。

動物誑しの素質もある。


だーれだ。



怒りや憎しみの制御力が凄い。
と毎度思う。

傾いていない。
傾き掛けても、いつも見つめるのは真ん中である。
すごいバランス力だけれど、それって実はどっちも傷つける。
けれど、実はそれが平和の在り方で、少しずつ傷を負担し合うのがいいのかもしれない。

わかるよ。
もどかしいよね。  

だって、そこには愛もあれば善意もある。

けれど愛や、善意ならなんでもいいわけじゃないよね。

よく、わかるよ。


生と死は表裏一体。
力をどうかけるかで変わる。  
生きて死ぬのは自然の摂理。
流れそのもの。

けれど、それを認めることは難しい時があるのだろう。

怒りや憎しみは、奪うばかり。悲鳴ばかり。だから苦しい。だから辛い。
強すぎる正義も同じこと。


自我を保つ事は、当たり前のようで難しいんだよ。
特に怖い事の前で怯えた心はあっという間におちてしまう。
自我を保ちながら、あるべきものを見続けるなんてのは、相当の精神力が必要だよ。


そういや、怒りに満ちても、割と一瞬で納めるのよなぁ。あの、力の抜き方よ。あれは、よい。
『その物事』に怒り、考え、行動してるんだよね。
だから、全部にしない。全部とは考えない。
罪は憎むが、人は憎まない。
よく観て、聴こうとする。
そういうのは伝わるから、人から慕われ、動物に許されるのだろうよ。


同じような心は持てど、私は表には出ないし、あそこまで真っすぐは生きれないなぁ。無理。

現代だからか?
そうかもしれぬ。
いや、ただ単に私が精神力足りないだけ。笑 


現代であれは難しいと思うよね。
あのこじんまりした世界でさえ、あぁなのだから。

きっと現代に来たら心が壊れてしまうことだろう。清くていい空気の人間。



似たような争いは続いている。
わかったようなことを言いながらあちら側を気取る人間に苛立つのが私。
出来る事、少しずつする人は好き。
全部じゃなく、その事ごとに、ものを考える人も好き。
善意だとか、悪意だとか、どっちも同じ事。
過ぎれば毒になり、それは争いの種になる。


"わからぬ"
"だが共に生きることは出来る"

きっとこれ以上に真ん中の答えはない気がする。
救おうだとか、完璧にしてしまおうだとか、全て理解するだとか、そんな事は出来ないよ。

共に生きることが一番長くて、難しいが、その中で芽生え育まれるものの尊さよ。 


そんな事考えるのよ。
観ると。
本当はもっと色々なんだが、言葉にしきるには多すぎるので、こんな感じでまとめ。


私は、あの、湿気をまとった森が好きだ。

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