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愛と欲 谷崎潤一郎『卍』

人妻園子と年下の学友光子の恋愛を中心に、グルグルと渦巻いてゆく人間模様を描いた谷崎潤一郎の作品です。物語は筆者の元へやってきた園子の告白から始まり、全編を通して園子の言葉で語られます。


初めはただの痴話喧嘩の話かと微笑ましく読んでいたのですが、さすが谷崎潤一郎。ラストの数十ページでどんどん狂気が増していきます。

人間を支配したい欲望、支配されていると分かっていても抜け出せない関係、そして支配されることの心地良さ。人間関係がもつれ合い、騙し合い、駆け引きし、嫉妬に燃え上がる心。誰も信じることができずキリキリと蝕まれていく人間性。落ちていくとわかっているのに抗うことのできない恋焦がれる情熱。
日常生活では決して他人に見せることのない、人間の心の奥深くにある愛情と憎しみを読者に盗み見させてくれる、これこそまさに小説による小説らしい愉しみを存分に味わわせてくれる一冊でした。
とんでもない物語なのですが、これだけ引き込まれるのは谷崎潤一郎の人物描写の巧みさゆえ。それぞれの人物造形に説得力があり嘘を感じないからこその没入感があります。

同じく関西弁で書かれた『細雪』に比べると『卍』の関西弁は読みづらさがあります。慣れるまで少し時間がかかるかもしれません。でも標準語にはない抜けや間があって、次第に耳に心地よく響いてきます。
改行がほとんどなく、段落ごとに一文字下げることもないため、文字がギュッと詰まっているところも癖があります。でもそのお陰で、一息に喋り続ける園子の勢いと彼女の性格がよく表れています。

新潮文庫版の解説には”変態性欲”だとか”園子のような異常な女性”などと書かれていますが、これは時代錯誤な評でしょう。
生き生きとした女性像は今の時代に読んでも新鮮で、園子のわがままで身勝手な部分すら彼女の持つ素直さと合わさってとても魅力的です。美貌を盾に他人を利用して悪びれず、イナゴの大群のように愛情を貪り尽くす光子のファムファタルっぷりも天晴れでした。
決して変態性とか異常性のような、特殊な人間の性を描いた作品ではなく、もっともっと人間の普遍的な部分に触れている小説です。


今作の主題のひとつは同性愛。谷崎潤一郎の時代に同性愛は果たしてどのように描かれるのか。世代間格差や差別意識を感じる物語だったら、筆者のファンだけに残念だなあと恐る恐る手に取ったのですが、杞憂でした。
当事者の方がどう感じるかはわかりません。が、少なくとも私には、時代錯誤な常識に足を取られて読み進められなくなる小説ではありませんでした。むしろこの小説の中では同性の愛がサラリと受け入れられ、ことさら強調されることなくサッパリ描かれているところに好感を持ちました。

映画も小説も、古典的名作が好きなのですが、古い作品にあたる難しいところは、現代の倫理観では受け入れられないような当時の常識が反映されていることがあるところ。そのような作品を読むときには「きっとこの作者が特別に女性蔑視だった訳ではなくて、この当時としては当然の振る舞いだったのだろうなあ」などと脳内で補正しなければならないので要らぬエネルギーを消耗することになります。常識の違いで作品の良し悪しを判断することは出来ません。が、作品世界に入り込む上でノイズになることは確かです。その辺りが気になる方にも『卍』は読みやすい小説だと思いました。


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