短評:ヒーロー自身の罪とはなんだったのか 〜 「THE GUILTY/ギルティ」

下高井戸シネマ「THE GUILTY/ギルティ」原題:DEN SKYLDIGE グスタフ・モーラー 監督(デンマーク)、2018年作品。

警察のコールセンター、緊急通報司令室に勤務する、ワケアリらしき警察官のアスガー。かかってくる電話はほとんどがクソみたいな警察呼び出しでうんざりする。しかし、あるとき誘拐された女性からの電話が入る。スイッチの入ったアスガーはわずかな手がかりから、電話の向こうの誘拐事件を解決しようと奮闘する……というプロットである。

映像はほぼ司令室の中しかなく、見えないドラマが電話の先から聞こえてくる音声の中で進行してゆく。状況に極めて制限のかかったサスペンスである。

電話の向こう側を音声だけで描写する演出はみごとだ。各所の光景が目に浮かぶようである。映画でありながら、まるで小説を読んで情景を想像するときのような体験になる。

ところが、この誘拐事件に加えて、アスガー自身の物語がダブル・プロットとして同時進行してゆくのである。彼は直近にどうも職務上の過失を犯したらしく、裁判までの謹慎もかねつつ、一時的にコールセンターに配属されているらしい。

アスガー自身が抱えるこのトラブルについては、観終わってもはっきりしない部分が多いのだが、一つの予想として、デンマークの移民問題を背景にしたトラブルではないかと感じた。最近のデンマークでは難民排斥を訴える極右政党が台頭し、ポピュリズム的展開が生じていることが報道されている。

アスガー自身が説明する「自分の意志でやった」というセリフなどを考えると、ひょっとすると、彼は移民に対するヘイト・クライムに関わったということではないか(ネタバレ避けるためにややぼかして書く)。

とはいえ、いくつかひっかかるところがある。アスガーの古いつきあいの相棒である警官の名前はラシッドであり、明らかにイスラム系の名前である。アスガーはこの相棒に自分に有利な供述をさせようとしているのである。彼を自分のために利用している、ということになるのか?

また、アスガーが「オレは豚肉は食べない」と子どもに言うセリフがある。豚肉を食べないのはムスリムだがアスガーは明らかに白人であり、反移民の立場であることとは矛盾する。これは子どもに対するジョークなのだろうか?

(観終わったあとに気がついた点も多く、記憶をたどって書いているが、やや検証不足のところがある。デンマークの状況についてもさほど詳しくもない。機会があれば再見・再検証してみたく、またご指摘を乞う)

アスガーは電話の向こう側のかすかな情報を拾って、積極的に被害者を救おうとする。彼の正義感は強く、芯から努力していることは疑うべくもない。彼はまぎれもなくヒーローの立ち位置にいる。

しかし電話から得られる情報は断片的であり、彼は惑わされ、時には意図せず「犯人」に加担してしまうことすらある。これは、インターネット経由の情報で惑わされ、正しいことをしていると信じてしまい、正義感から誤った行為を行うというネット民のパターンに似ている。あるいは、まるでポピュリズムを支持する大衆の姿のようでもある。

ヒーローである主人公自身が自分の中に内在する差別意識や罪を認めてゆくという展開は、少し前にシネマヴェーラで観た「殺人者(ころし)を追え」(前田満州夫 監督、1962年)を思い出した。

この作品では、若い刑事が自分のガチガチの勧善懲悪で犯罪者を裁こうと奮闘する。また彼の中には男尊女卑の考え方がしみついている。しかし犯人逮捕までの経過の中で、徐々にそのことに気がついてゆく、という展開である。いずれもちょうど90分作品どうしであり、二本立てにすれば面白いかもしれない。