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『中華人民共和国史』(岩波新書).1

色々と不思議な国、中国。

先日もweb広告で、使いやすそうな収納ロッカーをみつけ、それを購入するにはtemuというECアプリをインストールしなければならないというのでインストールしたら、どの品物も異常に安い。一桁違うだろ、というくらい安い。
あわててネットでtemuを検索すると、「中国のヤバいアプリ」「注文しても届かない」「個人情報を盗まれる」等々の注意喚起の文言が。ホントかウソかわからなけど、あわててアプリを削除した。

そんなこともあって、ちょっとでも中国を理解できたらと思い、『中華人民共和国』(天児慧・岩波新書)を読んでみた。

20世紀は戦争の世紀&革命の世紀

20世紀は、世界各地で共産主義運動が始まり、ソ連や中国といった社会主義国が次々と誕生して社会主義陣営を形成し、やがて資本主義陣営と対立する冷戦の時代が続いた。
だが20世紀の終わりのソ連崩壊を皮切りに、社会主義国家は次々と崩壊して共産党組織も解党し、革命は失われた。
しかし中国だけは毎年中国共産党の党員を増やし続けている。


「中華民族の偉大な復興」というスローガン

現在の中国の膨張の原動力となっているのが「中華民族の偉大な復興」というスローガンである。だがこの「中華民族」という概念、意外と歴史は浅い。
18世紀末、アヘン戦争などの列強の侵略を受けながら、王朝体制から脱却しようともがいていた清朝末期、改革の指導者・梁啓趙が、清朝図版内に住む人々を1つにまとめようとしてつくった言葉。
つまり「中華民族」という言葉は、近代国家を目指しながら、国内のバラバラな種族間の対立や内乱、対外的な侵略を余儀なくされている民族の危機の中で生まれた言葉なのである。

1840年から1945年まで

1840年 アヘン戦争
ご存知、卑怯なイギリスと清朝(中国)の戦争で、清朝、ボロ負け。

1850年 太平天国の乱
「減満興漢」(満州人が立てた清朝を倒し、漢人が立とう、というような意味)
「天朝田畝制」(土地をほんの一握りの有力者が独占し、大部分の民は奴隷のような状態だったので、天から与えられた土地を人々に分け与えろ、というような意味)
しかし清朝の将軍・李鴻章・曽国藩らによって弾圧される。

1856年 アロー戦争

1879年 清朝と日本に両属していた琉球、清朝の冊封から切り離され、日本の沖縄県に。

1884年 清仏戦争。
フランスが勝利し、清朝の属国・ベトナムを植民地に。

1884−95年 日清戦争。
日本が勝利し、冊封(朝貢)体制、崩壊。
清朝の属国・朝鮮独立。
台湾、日本に。

清朝の、イギリス・フランス・ロシア・ドイツ・アメリカ・日本による半植民地化、すすむ。

1898年 戊戌の変法。
清朝の光緒帝、康有為・梁啓超ら改革派と近代化をすすめる。
だが保守派の西太后が弾圧。

1900年 義和団事件
「扶清滅洋」を叫ぶ反キリスト教の宗教的秘密結社・義和拳教による排外運動。
西太后もこれを支持し、欧米各国に宣戦布告。
八カ国連合軍が北京に進出し、清朝窮地に。

1904年 日露戦争

1908年 宣統帝(愛新覚羅溥儀)即位

1911年 孫文、「民主・民権・民生」を掲げ辛亥革命。華中・華南中心に独立。
中国史上初の共和国・中華民国が南京で暫定的に成立。孫文は臨時大統領。

1912年 清朝滅亡。中華民国成立。
袁世凱が二代大統領に。

1914年 第一次世界大戦

1916年 袁世凱、死去。
中華民国、混沌とした状態に。

1917年 ロシア革命。
世界初の社会主義国家誕生。孫文もソ連に接近。

1919年 ベルサイユ講和条約
中国がドイツに奪われていた利権は中国に戻されず、日本に割譲。
反日愛国運動が起きる。

1921年 コミンテルン(国際共産主義運動の指導組織)の援助で中国共産党、結成

1924年 孫文の中国国民党もコミンテルンの援助を受ける。
「連ソ、容共、農労扶助」「反帝、反封建」を掲げる。
中国国民党、少数派どった中国共産党と、第一次国共合作

孫文、死去。
国民党、右派と左派で分裂し。
蒋介石が実権を握り、北伐(北京を目指す)へ。

1927年 蒋介石、共産党を弾圧。(4.12クーデター)
共産党、農村の辺境地帯に撤退。国民党と内戦状態に。

1928年 蒋介石、北京を占領し、全国統一。

1919年 世界大恐慌
ドイツでヒットラー、イタリアでムッソリーニ、日本も金融恐慌や不況に苦しみ、中国大陸侵攻を強める。

1921年 陳独秀、中国共産党を結成、初代総書記に

1929年 蒋介石、反蒋勢力を征伐

1931年 満州事変(日本、中国東北・内蒙古へ武力侵攻)

1931年 共産党の毛沢東、瑞金で中華ソヴィエト政府を樹立。
    柳条湖事件から満州事変へ。

1932年 上海事変(日本、上海で中国軍と衝突)
1933年 熱河占領(日本、熱河省(現在の河北省)に侵攻)

南京国民党、政治体制を強化。幣制改革実施、民族資本主義的な経済発展、「近代的統一国民国家」建設に向けて大きな一歩。
華南農村地帯で勢力を拡張していた、毛沢東率いる共産党を迫害。

毛沢東・・・コミンテルンが都市の労働運動を重視するのに対し、農村を根拠地とし農民運動を重視。地主などの当時の支配者を打倒し、土地財産を没収。貧民に分配して革命勢力に取り込むやり方で、勢力を拡大。

1934年
蒋介石、最高指導者に。
共産党を迫害。共産党は長征へ。

1936年
張学良(漢人の馬賊で爆殺された張作霖の息子)、蒋介石に一致抗日を迫る(西安事件)、内戦停止。
第二次国共合作。

1937年 盧溝橋事件
抗日戦争は全面戦争へ。日中戦争。
日本軍、破竹の勢いで進撃。しかし広範囲で執拗な民族抵抗は続き、抗日ゲリラに悩まされ、膠着状態へ。

1939年 ドイツ、ポーランドに侵攻、第二次世界大戦

蒋介石、国共合作の中でも、中共を迫害。
中共も、反毛沢東グループを粛清。
さらに抗日の旗を掲げることで学生・青年・知識人を取り込む。

※日本を利用。さらに、南京虐殺事件などの国民党や中共が行った残虐行為を、日本軍のしわざだと捏造。

毛沢東、軍事戦略論の「持久戦論」を設定
(戦争の性格、戦争を取り巻く国内外の情勢・敵・味方の戦力比較を分析。1.敵の侵攻、2.味方の反撃の段階、3.前線の膠着な段階の3つの段階にわけ、それぞれの特徴と任務、予測を設定)

日本、太平洋でアメリカと全面対決、本土攻撃も受け、戦力低下。

1943年 カイロ会議(中華民国・蒋介石、アメリカ・ルーズベルト、イギリス・チャーチル、蒋介石)

1941年 日本、ハワイ真珠湾攻撃

1945年 ヤルタ会談(上に加え、ソ連のスターリン)。日ソ中立条約破棄が約束される。

ソ連、対日参戦
広島・長崎原爆投下
日本、ポツダム宣言受理、無条件降伏

終戦





























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