見出し画像

【掌編】『2つの、ちょっといい話』

会社で、肩を叩かれた..

要はリストラ要員だ。
勤続28年、全力で尽くしてきたつもりだったが..
もちろん不況の影響もあるはずだ。
誰かが犠牲にならねばいけないのだろう。
仕方ない部分も確かにある。
だが、俺には家族がいる。
ひとり娘は、まだ高校2年だ。
この歳での再就職となると..
俺と話した上司は真摯な態度でこう告げた。
「御家族と話をしてくれないか?」
あやふやに頷くしかなかった。

会社からの帰り道、最寄り駅についた俺は、真っ直ぐ自宅に帰る気にはならず、家とは反対の出口へと足を向けた。
そして宛もなく歩いていると、今後に対する不安が波の様に押し寄せてきた。

気が付くと俺は、娘が通っていた小学校の側にいた。
娘の運動会の時の記憶が甦る。
まだ皆が若く、不安もなかった。
妻と娘にどう切り出すか..
俺は再び歩き出し、近くの小さな公園に足を踏み入れた。そしてベンチに座りこむ。
そのまま、ただ時間が過ぎるのを待った。
じき日が暮れる。
俺は覚悟を決め、家路へと向かった。

自宅のドアを開けるど、いつもより早い時間だったため、パートに出ている妻はまだ帰っていなかった。
春休み中の娘が、俺を出迎えてくれる。
「おかえり。早いね」
「ああ..ただいま..」
リビングのソファに座った俺は、妻より先に娘に伝えようと思い、娘を呼んだ。
「麻里、ちょっと来てくれる?」
「え、なに?」
娘が隣に座る。
「どうしたの?あらたまって」
いざとなると言葉につまる。
だが、それが長すぎると不安を煽る。
俺は単刀直入に伝えた。
「..お父さん、会社辞めるんだ」
それを聞いた娘の反応は..
拍子抜けするほど、あっさりしたものだった。「あ、そうなの?じゃあ、私、大学行けないかな。まあ別にいいや。早く働きたいし」
いつも通りの我が娘だ。
俺は苦笑しながら答えた。
「いや、大学は行っとかないとね..何とか頑張るから」
娘が笑顔になる。
「え、そうなの?じゃあ、頑張ってね、お父さん」
娘はそう言って立ち上がり、俺の後ろへに回ってから、こう続けた。
「いつも有り難うございます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします、お父さん!」

そして、久しぶりに娘が、

肩を叩いてくれた!

【後ろを向いた前向きな話】

本年度から社会人となった僕は、その3カ月後にニートとなった。
人間関係が嫌で会社から逃げたのだ。
元々、人付き合いが苦手だった事も影響してると思う。
その後、僕は実家に戻り、部屋でひたすら本を読んでいた。
だが..どうも体調が優れない。
不眠も影響しているのだろう。
両親は、

「もっと前向きになりなさい」

と僕に、精神科に行く事を勧めた。
心配なのはよく判る。世間体もあるだろう。
僕としても両親に迷惑はかけたくない。
僕は重い体にムチ打って、街の精神科の扉を開けた。
その医院の先生は精神科医のイメージにそぐわない、マッチョな体型の若さ溢れる男性だった。

「こんにちは。どうしました?」

快活そうな笑顔で聞かれた僕は、今の現状と自分の性格をなるべく簡潔にまとめて、
「何とか前向きになりたいんです」
と最後に伝えた。
すると先生は腕を組み、
「前向き、ですか」
と呟いてから、こう続けた。
「前向きが全ていいとは限りませんよ」
僕は少し驚いて、言葉の意味を尋ねた。
「それって、どういう意味ですか?」
先生は、軽くひとつ咳払いをしてから話を始めた。
「この話は、あまり他の人に言わないでもらいたんですが」
僕は、はい。と返事をして頷く。
「私は貧しい家庭に育ちましてね..」

お金の無い環境ながら精神科医を志していた先生は、大学時代に引っ越しのバイトをしていたという。
先生は僕に質問を投げた。
「引っ越しのバイトで一番ツラいのって何だと思います?」
「え?..ツラい、というと上下関係ですか?」僕の答えに先生は首を横にふった。
「いえ、トイレです。特に新居の場合、トイレを借りられない場合があるんですよ」
「あぁ..何となく判ります」
僕は聞いてみた。
「じゃあ、どうしてもトイレに行きたい時はどうするんですか?」
その問いに先生はニヤリと口の端を上げた。
「動物本来の姿に戻るんですよ」
「..つまり外で、って事ですか?」
先生は大きく頷く。
「そうです。こんな事がありました。引っ越しの作業員として、ある新築のマンションに行った時、自然の欲求に耐えられなくなった私は、近くの草むらで用を足しました」
僕は少し、何の話を聞かされてるのだろうか、という気分になりながらも先を促した。
「ああ、はい、で、どうしたんですか?」
すると先生は急に表情を引き締めた。
「はい。その時は何事も無かったんですが、後日、近所の住民が撮った私の赤裸々な写真がSNSに上がってたんですよ」
「え?マズイじゃないですか」
「ええ。ユニフォームでバレて、私は会社の本部に呼び出されました」
僕は一気に話に引きずりこまれた。
「それで?!」
「はい。私は会社の幹部にSNSの写真を突きつけられました。私のおケツが丸出しの写真です」
それは、恥ずかしいだろう。
僕はそのまま、口にした。
「それは、かなり恥ずかしいですね..」
先生は首を縦にふる。
「はい。幹部は賠償問題だと脅してきました。でも私はラッキーでした」
「どうしてですか?」
先生が僕の目を見る。
「それは私が、後ろ向き、だったからですよ!」

・・・・
・・・・

精神科からの帰り道、僕はさっきの先生の話を思いだしていた。

先生はおケツ丸出しの自分の姿を、これは自分ではないと否定し続けたらしい。
まさに強心臓だ。
多分、僕ならすぐに認めてしまうだろう。
先生は話をこう締めくくった。
「判って頂けましたか。そのまま賠償問題に発展していたら、恐らく私は精神科医になれなかったでしょう。つまり後ろ向きの姿勢が私を救ったんですよ」

どこか、釈然としない話だった。
僕はモヤモヤしたまま、歩き続けた。

そのまま駅前まで歩いた僕は、何となく近くにある珈琲店のガラスに目を向けた。

半透明で半笑いな僕が映っている..
僕は間違いなく笑っていた。
久しぶりに笑った気がする。

そして、ふと思った。

もしかしたら、さっきの話は先生の創作かも知れない..
気楽に行こうよ、というメッセージなんだろうか..
まさに気持ちの問題っていう事かな..

そういえば、この辺りもだいぶ変わったな..たまには散策してみるか..

そんな事を思いながら、僕は少し軽くなった足どりで、夕暮れに紅く染まる家路を辿った。

【おしまい】

サポートされたいなぁ..