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反復と継続

 生活においても、仕事においても、基本は反復と継続だと思っている。

 繰り返し、繰り返し、続けていくことで流れとなり、土台となる。

 それは、重度の障がいをお持ちの方にも大切なことで、まずは土台を形作らなければ、応用もできない。

 基本として立ち返る場所がない、というのは、足場のないところにいるようなもので、そこにあるのは不安でしかない。

 まずは土台作りから、そこから、少しずつの変化を加えていく。そうでないと、相手も受け入れられずにかえって不安を与えてしまう。

 そうやって少しずつ少しずつ、年単位で考えていく中で、確実によい変化につながった方を見てきている。

 反復と継続

 生活において大切なことのイメージとして、私はミニマルミュージックを例にしたことがある。

 同じ小節の繰り返しの中で、少しずつ音の変化が見られるその様子に、生活においてもこれが大切ではないか、と感じたものである。


 私は小学生のころから、お風呂上がりのストレッチを続けている。にもかかわらず、いっこうに体が柔らかくならないのだけれど、もうかれこれ何十年続けているかしら。

 ただ、思うのは、これまでずっと続けてきていたからこそ、今この状態に落ちついているのではなかろうか、ということだ。

 きっと、続けてきていなかったら、私の体はもっとカチコチしていたであろうし、その分怪我もたくさんしていたかもしれない。

 たしかにもの凄く柔らかくはならなかったけれど、今の状態を少しでも維持してこられたのかもしれない。

 反復と継続

 それは、自分ではなかなか実感できないことだけれど、改めて考えるときっと、あぁ、だからこうしてこられたのだ、ということが多いのだと思う。

 例えば、個別支援計画書に目標を書くさい、身体機能の維持、ではなく、身体機能の保持、と記載して、身体の方には運動を取り組んでいる。

 維持、というのは、実際にはかなり難しいことだと思う。年を重ねるごとに緩やかに落ちていく、機能。
 ほんの少しでも、機能が衰えてしまうのを防ぐ、そのための運動。ゆえに、保持。
 だから、私のもどちらかと言えば、保持なのだけれど。

 反復と継続

 毎日の習慣、と言い換えてもいい。

 土台がしっかりできているからこそ、仮にその日に予想外のことが起きて外れたとしても、そこに立ち返ることができる。戻ってこられる。

 何も土台がなければ、立ち返ることもできず、ただ流されるだけになってしまう。

 その成果は自分ではなかなかわからないものだし、続けていくことはつらいときもあるけれど、それはたしかに積み重なり、自分の糧となっている。

 安心を 信頼を 安定を 信用を

 積み重ねている。

 だから、迷わず、続けていこう、と。

 私は、そう、思えている。

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