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巫女伝承「旭神子」を解く

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名取老女にはもうひとつの顔をもつ「旭神子(あさひみこ)」がいます。なぜ、熊野の名取老女はアサヒと融合したのか?旭神子の伝承を紐解く民俗学の世界へ。
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長谷釜集落の塩の釜

長谷釜集落の塩の釜

岩沼の昔話に「おすずひめ」というのがあります。
いつ頃の話しかは不明ですが、古くから斎宮の言い伝えがあるように、
斎姓・斎藤姓が多い集落と言われています。

このあたり一帯は製塩法が伝わっていたとされ、
藤原実方が多賀城へ赴任した時に名取の道祖神で亡くなっている話などは、
塩と砂金の交易のためであり、(39号線は塩の道と言われていた)
塩と深い関わりをもっていた藤原家がみえてきます。

塩の名取郡

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【伝説】福島県伊達市の熊野神社と修験者が伝える歴史伝承

【伝説】福島県伊達市の熊野神社と修験者が伝える歴史伝承

福島県伊達市は、鎌倉時代に伊達郡の領地を与えられたために伊達氏と
改姓したのが発祥の地域。

「名取老女」の別名:旭神子を記す鐘が残されている
大聖寺(桑折町)がある所です。

伊達一帯は、水田や養蚕を主とする農家が多く、
出羽へ続く小坂峠があります。
江戸時代には養蚕が発展。

また、塚野目古墳群が前方後円墳と推定され、
大阪の陶邑窯跡群と同じ形状の須恵器が出土されています。

全長約43mの前

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【信仰】朝日出和歌神子と山形県の「オナカマサマ」

【信仰】朝日出和歌神子と山形県の「オナカマサマ」

名取老女は、別名「アサヒ」と呼ばれていた地域があります。

福島県 明王山 大聖寺では、一説に名取老女旭がこの地に草堂を結んだ。

その旭(朝日)神子と山形のオナカマサマとの関わりがありました。

山形県山辺町にある十八夜観音堂。

ここで使われた大量の巫女の道具が
中山町民俗資料館に文化財として保管されています。

村山地方一円から納められた数多くの
「オナカマ」の道具や絵馬など合計951点が、

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【信仰】「あさひ」が伝える英雄語り

【信仰】「あさひ」が伝える英雄語り

名取老女の別名を「あさひ」とよぶ伝承は、福島県伊達市(桑折町)地区で「貝田」と「旭」和歌巫女によるものです。

多くは、「旭」の漢字を用いますが、
「朝日」の場合もあります。

「あさひ」の名をもつ娘や巫女の伝承は、各地に広まっています。

名取老女がなぜ「旭」と呼ばれ、また名取老女と旭が結びつけられた理由は、まだわかっていません。
アサヒは、福島県桑折町の大聖寺の縁起によりますが、盲人の巫女(盲

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【信仰】岩手県一関の貝田和歌神子と旭神子

【信仰】岩手県一関の貝田和歌神子と旭神子

高清水に伝わる葛西氏の娘「朝日姫」は、
盲巫の始祖伝承を伝えるもので、
『梓神子の由来』(八戸市)に記録されています。

梓神子の由来

『人王八十二代御鳥羽院の御治世、源頼朝公の御時、
高清水に比久太郎という人がいた。
元は源家の侍であったが、民家に下った。
富貴に暮らしていて一人の娘が生まれ、正月元旦に朝日を受けて
誕生したので朝日と名づけた。
聡明であったが十六歳の春、盲人となり、両親は神社

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【伝説】葛西氏の朝日盲巫伝承

【伝説】葛西氏の朝日盲巫伝承

貝田和歌神子(福島県梁川)と
旭神子(宮城県北部~一関)の口寄せの口承を
広めたのは、口シアの民俗学者ネフスキ―によるものでした。

オシラサマ研究で初の東北の巫女を取り上げたとされ、
この口承に「栗原郡(高清水)の旭神子」のことがありました。

高清水の旭神子
登米の寺池城を本拠としていた葛西氏に、朝日という姫君がいた。
朝日姫は葛西氏の家臣で志津川城主の千葉大膳太夫の妻と
なったが、葛西氏が滅

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【神社】指導者だった「アサヒ」の朝日神社

【神社】指導者だった「アサヒ」の朝日神社

ヘレンケラーも訪れた盲学校
仙台市上杉(視覚支援学校:宮教育幼児教育機関)の
視覚支援学校のすぐ裏手にあります。

旧:宮城県立盲学校です。ここに朝日神社があります。

旭神子が盲巫だったことに由来し、
支援学校のそばに建てられたそうです。

視覚支援学校の歴史は、昭和8年、口話教育法を採用。
昭和10年、東9番丁第二女学校として成立。

ここに、ヘレンケラーが二度も訪れています。

※宮城県立視

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【信仰】岩蔵寺は女性を主とした霊場地

【信仰】岩蔵寺は女性を主とした霊場地

広い霊場地だった志賀の岩蔵寺
名取老女(旭神子)の生誕地が、
岩沼の志賀の岩蔵寺と地元では伝わっている。

この場所は、大きな霊場地だったことがわかりました。

志賀は「江州志賀」の名称がそのまま志賀になったため、
滋賀県が由来。

本堂はなく薬師堂のみ残し、薬師堂内は平安後期の如来坐像との事。

広い複合施設があり、岩沼と川崎を結ぶ街道にあり、
入口の地名が「鳥居原」でした。

山王権現社、不動

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気仙沼:補陀寺の旭神子

気仙沼:補陀寺の旭神子

旭神子開山の補陀寺補陀寺は、寺伝によると寛平2年(890年)、
天台宗の補陀寺と号して赤坂小沢田に開かれたと伝えられている。
保安4(1123年)、名取の老女(旭神子)が、名取郡に熊野三所権現を勧請し、奥州を巡礼して三十三ヶ所の観音堂を建立、補陀落寺を三十番札所と定めたという。

『その後、廃絶したのを葛西家臣で細浦館主熊谷直元公が文亀元(1501年)正法寺九世虚窓良巴禅師を招いて細浦に曹洞宗補陀

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【伝説】岩沼の斎宮『おすずひめ』物語

【伝説】岩沼の斎宮『おすずひめ』物語

宮城県南にある岩沼市に「斎宮伝説」が伝わります。
名取老女伝承の守家の遠祖が、藤原叙用で斎藤姓(斎宮(※1)の管理監督の役職)を、名乗る由縁があると考えれば、岩沼の斎宮伝承は、豊穣をつかさどる「ケ」の巫女が存在していたことと繋がります。

地元に伝わる「おすずひめ」物語について。

おすずひめ (岩沼物語より)ある時、村に、おすずという一人の女性がやってきて、屋敷で女中仕事がないか、と探していた。

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