見出し画像

うどんについてぼくらが語ること

 別に大した用事はなかった。ただ無性にアイツに会いたくなっただけだ。女じゃなくてただのバカな悪友に過ぎないのに、こんなにアイツに会いたがるなんて自分でも不思議だ。プルースト的な瞬間?いわゆるマドレーヌってやつ?まぁ、そんなもんだと思う。道端のうどん屋の看板見たらいきなりアイツの顔が浮かんできて気づいたら電話をかけていた。

「今うどん屋の前にいるんだけど、よかったら一緒にうどんを食べないか?」

 僕は自分でも何言っているんだって思いながらこう言ってた。するとアイツもやっぱりうどん屋の事を覚えていて「それって〇〇駅前の通りの裏口にあるうどん屋だろ?近くにいるから今すぐ行くよ」と言ってすぐに電話を切った。僕はそのアイツにやっぱり昔からアイツとは波長が合うんだよなと感慨深く思った。

 それからいくらもしないうちにアイツはやってきた。アイツは挨拶もそこそこにうどん屋を看板を指差してぼろぼろじゃないかと軽口を言った。僕は奴を軽く嗜めてさぁ中に入ろうとその背中を押した。

 店に入ったら早速店の従業員がやってきて僕らにテーブル席を案内してきた。店員はどうやら学生のバイトのようだ。店内には他に誰もいないが、僕らは店員の案内に素直に従う。

 案内された席に座った僕らは早速メニュー表を見た。前と特に変わらないメニューだ。ヤツはあの爺さんまだ生きているのかなと呟く。爺さんとは昔この店に来ていた時のうどん屋の主人だ。ヤツは続けてもしかしたら死んだんじゃねえかと言ったが、その時ちょうど厨房からその爺さんが顔を出したので、僕は慌てて指を立ててヤツを黙らせた。

「お前もういい歳なんだからくだらない軽口はやめろよ」と僕はヤツに注意した。しかしヤツは笑って学生時代に僕がこのうどん屋で起こした大惨事について喋り出した。

「随分真面目になったもんだなお前。昔このうどん屋であんだけの騒ぎ起こしたのに」

「バカっ、それを今言うかよ!」

「あの時お前はあの爺さんが出してきたうどんに天かすと生姜と醤油をうどんにぶちまけたんだよな?えらい怒ったぜあの爺さん。顔真っ赤にしてそれ全部食うまで帰さねえって怒鳴ってさ」

「やめろ、声がでかいじゃないか!」

 僕がこうヤツを注意したと同時にいつの間にかいた爺さんが僕らを叱りつけた。

「アンタらいい加減うどん注文してくれんか。うちの店員はまだ学生なんでね、アンタらを注意するにも出来ないんだ。アンタらももういい大人なんだからわかるだろ。いつまでも学生じゃあるまいし」

 爺さんは、昔のまま相変わらず爺さんだった。それどころかその爺さんぶりにますます年季が入っていた。昔僕が爺さんがテーブルの横にいるのに気づかずうどんに天かすと生姜と醤油をぶちまけてとんでもなく大目玉食らったっけ。僕はあの時の事を思い出して叱られている最中にもかかわらず吹き出してしまった。

「人が話しているのに吹き出す奴があるか!いつまで悪たれ気分でいるんだ!」

 僕は頭を深く下げて爺さんに謝った。その僕を見ていたヤツの目は完全に笑っていた。

「で、どうするんだアンタ方早くこの子に注文しなよ。ずっと待ってんだからさ」

 爺さんがキツい調子で再度注文を催促してきた。顔を上げると爺さんの厳しい顔と、店員の女の子の少し不安げな表情が目に映った。どうやら彼女はこういう店のトラブルには慣れていないらしい。

「あっ、そういえば」と爺さんが声を出して僕の顔を覗き込んだ。

「アンタ天かす生姜醤油全部入りうどんって知らねえか?アンタが学生時代にイタズラしてた罰に俺が食わせたうどんにそっくりなんだけどな」

 爺さんはそう言っていわくありげな顔をした。

「最近の世の中は全くわからねえや。あんなゲロ……おっと食い物屋で言っちゃまずかっな。その天かすと生姜と醤油をただぶっ込んだだけのうどんがこんなに流行るなんてよ。ものは試しだ。一回食って見ねえか?」

 爺さんのいきなりの勧めてくるのに僕は戸惑ってしまった。当たり前だが普通のうどんを食いに入ってきたのに、なんで昔の悪さを思い出させるような天かす生姜醤油全部入りうどんなんて訳のわからないもの出してくんだ?おかしいだろ?これじゃ思い出巡りが台無しじゃないか。ただ僕はあの時爺さんに無理矢理食わされたうどんを別にまずいとは思わなかった。それどころか通常のうどんよりずっと美味いんじゃいかと思ってさえいた。食べ終わった瞬間錯覚だって思ってすぐに忘れてしまったけれど。

「あ、あの」とさっきまで全く喋らなかった店員が突然僕に喋りかけてきた。

「天かす生姜醤油全部入りうどんって今若い子の間ですごい流行っているんですよ。よくホットペッパーなんかに今流行りの天かす生姜醤油全部入りうどんはここが美味いって毎週特集されてるんです!私もプライベートで天かす生姜醤油全部入りうどん食べに行くんですけど、その店のものより遥かにオーナーの作る天かす生姜醤油全部入りうどんは美味しいんですよ!是非食べてください!」

 これまた物凄い勧誘であった。彼女は熱に浮かされたように天かす生姜醤油全部入りうどんを語っていた。僕はこの新興宗教めいた勧誘に戸惑い、なんとも答えられなかったが、ヤツはその僕に向かって食え食えと言って囃し立て始めた。

「うどん屋のオーナーや店員さんからこんだけ勧められたら食わねえわけにいかないだろ?さっさと注文しちまえよ」

 しかしそこに爺さんが入ってきて奴にこう言った。

「じゃあ、アンタもな。ほらもう書いちまえ。天かす生姜醤油全部入りうどん二つってな!」

 店員は笑顔で爺さんに頷いてすぐに伝票にメモを取った。

「おいちょっと待ってくれよ!俺は普通のうどんだろ?なんで俺でコイツに付き合ってそんなゲテモノうどん食わなきゃいけないんだ?」

「黙れ!お前はさっきのこの子の話聞いてなかったのか?天かす生姜醤油全部入りうどんは今流行っているんだぞ!それにお前もコイツが天かすと生姜と醤油ぶっかけたの見て大笑いしていただろうが!だからお前も同罪だ!」 

 爺さんにいきなりお前にコイツ呼ばわりされて僕らは完全に黙らされてしまった。店員の女の子は注文を書き留めると元気よく「天かす生姜醤油全部入りうどんですね!」と注文を復唱してすぐお作りします!とお辞儀を言って爺さんと一緒に厨房に行った。

 全くもういい年なのにここまで悪ガキ扱いされるとは。そういえばあの頃迷惑系YouTuberなんてのが広まっていて、僕らも彼らの真似してバズるためにあの時の悪さをそのまま動画にアップしていたらどうなっていただろうと思った。あの頃の僕らだったらその場のノリで確実にやりかねなかったからだ。


 爺さんと店員が厨房に行ったのを見て早速ヤツが話しかけてきた。

「そういや俺ってこういう普通のうどん屋ってのに入ったの久しぶりだな。お前はどうなんだ?」

「いや、俺もそうだよ。いつもははなまるとか丸亀みたいなチェーン店で済ましている。だけど今日はさ。久しぶりにこの店の看板見たら無性に食いたくなったんだよね」

「なんか偶然だな。俺も今日は何故かこの店のことずっと考えてた。あそこ今どうなっているんだろうってね」

「昔からだけどお前とは妙に波長が合うんだよな。いつも同じ事を同じタイミングで考えているんだからさ」

「じゃあ今から結婚すっか!」

「おいおい気持ち悪い事言うなよ!大体俺はもう結婚してんだぜ。お前だってそうだろうがよ!」

「ギャハハハ!そりゃそうだ!この国じゃ重婚は認められないからな!」

 その時突然テーブルを小突いた音がしたので僕とヤツは話を止めて声の方を向いた。また爺さんと店員である。二人ともうどんと、恐らく天かすと生姜と醤油を乗せた盆を持っていた。

「あの、喋るのはかまわんが、もういい年なんだから周りに少しは注意したらどうなんだ」

「そうですよ。早く食べないとせっかく作ったうどんが伸びちゃいますよ」

 この爺さんの小言に釣られてか、店員の女の子がさっきと打って変わってドヤ顔で僕らを叱りだした。僕らは完全にかたなしだった。

 テーブルの僕とヤツの席にうどんを置いた爺さんと店員は伝票をテーブルに残して僕らの元から離れた。すると早速ヤツがうどんを指差して僕に言う。

「おい、マジでこの山盛りの天かすと生姜かけんのか?それに醤油なんかかけたらぐちゃぐちゃで食えたもんじゃなくなるぜ?うどんだけ食って他残すってのは出来ねえのかよ」

「食えって言われたんだからしょうがないだろ?あの時俺ここに乗っかってるのよりずっと多く天かすと生姜と醤油ぶっかけて食ったけど、意外に美味かったぞ。ほら、盆に『天かす生姜醤油全部入りうどんの美味しい食べ方』って紙っぺら載ってるじゃねえか。ほらここにはこう書いてある。天かすはどんぶりに山盛りになるように入れること。生姜は大さじ一杯。醤油は五回まわしって。ちゃんとしたうどん屋のメニューなんだからまずいわけねえんだよ。ほら食ってみろ」

「いや、ダメだ。胸がむかつきそうだ。なぁ、そんなに食べたきゃ俺の分お前が食べろよ。大体俺はお前と違ってこんなもの一回も食ったことねえんだよ」

「ふざけた事言うなよ。試しでも食わなきゃ爺さん怒るぞ」

「じゃあ、お前がまず食えよ。そしたら考える」

 流石にこれ以上の押し問答はまずいと思った。だから僕は「じゃあ今から食ってやるよ」とヤツに宣言して紙っぺら通りうどんのどんぶりに山盛りの天かすと、大さじ一杯の生姜と、そして醤油を五回まわしで入れた。

 ヤツは僕の作った天かす生姜醤油全部入りうどんを見て「なんじゃこりゃ!」と松田優作みたいな顔で呟いたが、僕はヤツを相手にせず割り箸を割って天かす生姜醤油全部入りうどんを啜った。

 一口食べた瞬間、懐かしさが口の中に溢れ出してそれが一気に頭の中の記憶を開いた。ヤバいぐらいのマドレーヌ効果だった。セピア色になりかけたあの頃の思い出が逆回しの映像のように瑞々しいカラーに戻ってゆく。そうだよ。あの時食べたのはこの味だよ。僕は麺を啜り終えると、さらに箸でうどんを掴んだ。僕は橋の間でぶら下がっているうどんの麺を見た。うどんには天かすと生姜と醤油がついているが、僕はあの頃同じようにこれを見てまるでゲロだと口を押さえた。だけどこうやって今見るとこの麺は僕らの愚かしくも無邪気でありえた青春の象徴であるようにも見えてくる。天かすや生姜はニキビであり膿である。そして醤油は汗である。食い物をそんな汚いものに例えるなって自分でも突っ込みたくなるが、本当にそう思ったんだから仕方がない。大人になった僕はその愚かしくも無邪気な青春時代の自分をこうして食べるのだ。うまい、どうしようもなく、涙が出るぐらいうまい。こんなに素直にうどんがうまいなんてあの頃は絶対に思わなかっただろう。

「うまい、これマジでうまいよ!」

 僕は知らず知らずのうちにこう叫んでいた。ヤツはその僕を驚いた顔で見てそして言った。

「俺やっぱり食うよ。お前の無邪気な顔で天かす生姜醤油全部入りうどん食ってる姿見たら食わなきゃいけねぇって思ったよ。でも不味かったら全部お前の奢りだからな!」

「おう、お前が不味いっていったら全部俺の奢りでいいよ。だけどうどんなもらうからな!」

「マジかよ。箸つけてんだぜ!」

 ヤツは自分の盆の紙っぺらを見て恐る恐る天かすと生姜をうどんに入れ、そして最後に醤油を五回まわしでかけた。

「さぁ、食うぞ!」

 とヤツは割り箸を割って箸でうどんを掴んで啜り出した。しかしヤツは啜り終わると無言で黙ったまま動かなくなってしまった。僕は慌てて声をかけようとしたが、その時突然ヤツが顔を上げて目をキラキラさせながら言ったのだ。

「マジでうまいじゃないか!だけど妙に懐かしい味がする。染み込んだ天かすや生姜は俺たちの汚ねえニキビや膿みてえだ。そして醤油は俺たちの汗そのものだ。やべえ、あの頃の思い出が浮かんで泣きそうになってくるよ。ああ!懐かしいなぁ!」

 やっぱり俺たちはどっか波長が合うんだと僕は思った。なんでお前たちはそんなに波長が合うのかって聞かれたらやっぱり友達だからとしか答えられない。こういう関係は女とじゃ結べない。カミさんですらダメだ。やっぱり男同士でしか分かり合えないものはあるんだ。

 互いにうどんを空にしてから僕らは互いの近況を話した。

「まぁ、実はもうすぐ父親になるんだよ。この間カミさんと一緒に婦人科行ったんだけどそこで医者から妊娠三カ月だって言われたんだよ」

「偶然だな。俺もそうなんだよ。この間相方と病院に行ったんだけどやっぱり三カ月だって」

「ってなんで俺たちこんなに波長があってるんだ?いくらなんでもタイミング合いすぎだろ?」

「だから言ってるだろ?俺たちは結婚したらいいって」 

「うるさい!」

 ヤツがまた僕をからかい始めた。そのうちまた爺さんがこっちにくるぞ。大体いつまでもこんなふざけてられないんだ。僕は何故か寂しくなってヤツに言った。

「もうすぐ子供も出来るし、いつまでもこんなふざけてるわけにはいかないんだよな。カミさんなんかやっぱ妊娠してから急に母親っぽくなってきたし、俺もそろそろ父親になるための準備をしないと」

 この僕の話にヤツも真面目な顔になって言った。

「うちもおんなじだよ。相方の奴がうちの母ちゃんみたいになり出して急に小言が多くなってきたしさ。でも、いくら父親の自覚持てったって言ったってさ、男は実際に子供が出て来なきゃ自覚のしようがないと思うんだよね」

「まぁ、そりゃそうだよな。お前とこうしてうどんなんか食いながらバカ話なんてもうできなくなるのかな」

 そこでまたテーブルを小突く音が聞こえた。僕はどうせ爺さんが早く帰れと注意しに来たんだろうと思って振り向いた。したら何故か爺さんが焼酎の瓶を持っているではないか。

「あの、天かす生姜醤油全部入りうどん食べてもらってありがとな。今出したやつ今度本格的にメニューに入れるつもりなんだ。そういうわけで昔散々迷惑をかけられたお前さん方に試食してもらったのさ。無理矢理食わせたようで悪かったけど、昔の罪滅ぼしとでも思えばいいだろ?」

「はぁ?」本当にはぁであった。もしかしたら僕らが店に入ってきた時から、その新メニューの天かす生姜醤油全部入りうどんを食わせるつもりだったのか?

「でもまぁそれは置いといて。お前さん方さ、積もる話があるんならコイツが必要だろ?うち実は酒も出してるんだ。まぁコイツで一杯やって行きなよ。値段はリーズナブルだからさ」

 何がリーズナブルだ。うどん屋なのに酒まで勧めてきて。でも僕はこの堅物爺さんの意外な面が見れて嬉しかった。いや、この爺さんにまた会えた事自体が嬉しくなってきた。

「ハッハッハ!親父さんやられたよ。俺たちの完敗だ。飲みますよ私は、なぁお前ものむだろ?」

 ヤツが大笑いしてこう僕に尋ねてくる。僕は勿論大丈夫だ。

「僕も飲みますよ。親父さん」

「そりゃありがてえな。じゃあ早速焼酎を運んでもらうよ。おい、コイツを開けるからコップ二個持ってきてくれ!」

 爺さんはカウンターの店員にコップを頼んだ。そして僕らにこう言った。

「もしうどんがまた食べたくなったらいつでも注文してくれ。だけど今度は普通のかけうどんだけだ。酒飲んで天かす生姜醤油全部入りうどん食べたんじゃ流石にキツいからな」




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?