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迷宮小説

 読んでいるといつの間にか迷路の中に迷い込んでしまったような錯覚を覚える小説というものがある。代表的なのはジョイスの作品だろうが、他にもナボコフやボルヘスのいくつかの小説、あるいは彼ら以降に出てきたヌーヴォー・ロマンやラテン文学の小説がそれに当てはまるだろう。また一部の推理小説もその中にはいるかもしれない。我々はそういう類の小説を読んでいると自分がふと今どこを読んでいるのかわからなくなり、慌てて前のページを読み返すのだが、それでもわからなくなってしまう事がたびたびある。そうなったら完全に小説の迷路にはまってしまったようなもので、あらためて小説の内容を知りたければ結局のところ最初から読み直さなければならなくなる羽目になる。しかしそういった小説でも最初から注意深く、いや途中からでも要点を押さえて読めば我々は小説の迷路にはまらずに終いまで読み終えることは可能なのだ。だが、それさえ不可能なほどの複雑極まる迷路小説というものが世界にはあるのだ。それがどれぐらい難物かというと、このイスタンブールで発見されたこの小説は十九世紀の初頭に書かれたにも関わらずヨーロッパ中のあらゆる言語を駆使して書かれており、ストーリーも非常に込み入って訳のわからぬものであるが、しかしそれにも増して凄まじいのはこの小説はどんな博識な人間が読んでも決して最終ページにたどりつけない代物なのだ。実際に文献学者総動員でこの小説の解析をおこなったが誰も途中で立ち止まってしまった。二十世紀の初頭に誰かこの小説を最後まで読み解けるものはいないかと解読者を公募してあのジェイムズ・ジョイスの所にも依頼したようだが、残念ながらジョイスはその時最後の大作『フィネガンズ・ウェイク』を執筆中であり、時間がないと断ったようである。こうして一向に解読が進まぬ中、今日も世界中から集められた文献学者たちは必死にこの小説の解読作業を行なっていた。この小説自体非常に難解なものであるが今日の学問の基準においては決して読めないものではない。上で少し触れたようにいくら迷宮のような小説といえど注意深く読めば迷うことなど決してないのだ。しかしどんな博識な学者でさえ途中のこの文章で立ち止まってしまうだろう。

『ハイヤーム師は語る。この先の道を生きたくば、キッチンの炎でこの世界の裏側を火で炙れ。さすれば黒き暗闇は粉となり黒き霧は粉となるであろう』

 本はこの一節を最後に数十ページに渡って黒いページで覆われている。このこの黒き空白のあとで再び文章が現れるのだが、それはもはや文章というより文字の羅列であり、その書き出しにはこう書かれてあるのが確認できる。

『再びハイヤーム師語る。黒き霧開けるまでこの先の道進むべからず』

 文献学者は三世紀の間この黒きページの解読をしていた。しかし本にいくら問うても答えなど却ってくるはずもない。彼らは今日も本を相手に答えのない問いを試みていたが、ある時一人の若手文献学者が立ち上がって皆に言った。

「もうこのハイヤームさんのいうとおりキッチンで黒いページ炙って見ましょうよ。そしたら黒いインクは粉になって文字が見えるんじゃないんですか?」

 若手学者の意見を聞いてみなうなずいた。そうだ最初からそうすればよかったのだ。火で炙ってしまえ、本に書いてあるんだから火で炙れば文字が浮き出てくるだろう。彼らは台所のキッチンへ向かうとコンロに火をつけて早速黒いページをかざして炙った。

 日で炙った途端本は一瞬で燃えてしまった。しかもそれどころではなく本から出る煙でその場にいた人間はみんな死んでしまった。



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