善と悪とは何なのだろう、そしてそれと解離の問題(主人格からの視点)
最近僕は心のなかで色々な人格があることに気づいていた。そしてその人格のなかで自分の存在というのはどのようなものかということは考えていた。これは分人主義的に捉えられることではないか。
そして、この分人主義的に捉えられるなかで、結局のところ、適切な仕方でその都度、自己を分人的に自己呈示していくこと、これはアーヴィング・ゴフマンの言うところの「表局域」における自己呈示ということになるだろう。
いわば、自分を盛るという仕方でその都度、自己呈示していくのだが、そこでやはり私たちは仮面を