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心のなかを言葉で伝えるーー〈現実界〉の到来を避けつつ

話しながら書くということについては、様々な事情からやめたいと思います。自分自身で意識を集中させて(または時折小声で書いている文章をなぞりながら)書いていきたいと思います。

私のブログは私の病理に関する記述が中心でしたが、自分自身、このところ良いニュースもあり、少し精神的に落ち着くことができました。

自分自身、解離の問題について書いてきたけれど、同時に問題視していたのは、統合失調症系の症状も生じていたことで、要するにジャック・ラカンが言うところの神経症の範囲に自分が収まっていなかったことです(と思われます。)
自分自身、神経症または精神病発病以前の前精神病的な状況に戻りたいと思って、色々としてきましたが、最近した決断としては自分の「健康を害さない」範囲でしか研究はしないと決めたことです。

昔研究を始めてから間もなくして精神科に通い始め、そしてそれからもう11年以上精神科に通っています。精神の健康を悪化させる仕方で研究をしていたのではないかと思いました。
それは自分の病について考える時にどうも自分の思考が亢進する仕方でその自分の病という対象(また同時に自分が主体として生きているものであった)を考えてしまうことで、かなり特異な思考が進行してしまい、またそれを何らかの研究成果にせねばならないというところにプレッシャーもあり、自分もかなり自分に知らず知らずのうちに高い負荷をかけていました。
それは当事者研究でもあったのですが、それについても研究成果を残そうというプレッシャーは外して、自分の健康をまず維持して、その健康を壊さない範囲で研究しようと思いました。
自分の思考が亢進しすぎないように(言葉を選んでいるのですが伝わるでしょうか)注意をしたいと思います。
その思考が誰にも伝わらないものになってしまうとたぶん辛いです。
もちろんそれでも伝わる相手はいるのでしょうが、一般的な社会生活を送るうえではそこまで思考するともはや自分がすっごく特異な人間になったようでさらに生きづらい感じになってしまうので、それはやめようと思います。

以前、主人格と基本人格について紹介しました。

自分でその主人格と基本人格について仮にですが、名前をつけることにしました。主人格はアルタという名前にします。また、基本人格は莉子という名前にします。アルタの由来は、昔自分が所属していたサークルで本当に「アルタくん」と言われていたからです。音楽系のサークルで僕はミュージカルで照明をしたり、合唱ではテノールをしたり、またバンドではギター、キーボード、また少しながら歌い手もしました。莉子という名前は、今少し読んでいた小説『探偵の鑑定Ⅰ』に出てくる女性の名前です。

どうして『探偵の鑑定』というシリーズの女性かというと、自分自身、自分の特異性と向き合うことに披露しているので、せめて正義側(と思われる、最後まで読んでいないけど、話としてはそうだと思う)のキャラクターの名前にしようと思いました。自分のなかに人に言えないようなそうした主観的空間があるのではないかという感覚を持っていた自分が、同じく特異性の強いキャラクターを参照してしまうと、社会生活を送るうえで困難を覚えるかもしれないと思ったので、女性の名前もヒロインの方から取ることにしました。

これまで、アルタと莉子は心の中で喧嘩をしてきました。それにより、noteの記事の言葉もああ言えばこう言う的な内容になり申し訳なかったですが(自分で自分の吐いた言葉が回収できなくなってくる)、自分も「まなざし」の問題に苦しむし、特に誰が見てるわけではないにしても、まったりと続いていくようなそうしたニュアンスの効いたnoteにしていきたいと思います。できるだけ言葉も選ぼうと思います。

これまでアルタとして書いた記事もあれば、莉子として書いた記事もあります。自分自身、ちょっと身体を女性的にしようと思ったのは莉子の意識が強くなってきているからだと思います。
どちらの自分を好きになってくださったかは分かりませんが、まずは目標としては神経症に戻るということを考えたいです。(戻れないなら、前精神病の状態に戻るということを考えたいです。)

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480439154/

https://honto.jp/netstore/pd-book_32739825.html

神経症や精神病については上の本を参照すればとても分かりやすく書いてあります。私もnoteは仕事ではないので、そういう仕方でリファーすることで終えたいこともあります。
また今ではネットの記事もありますし、私の方から厳密ではない説明をすることはこの場では控えるべきかと思いました。

ただ世の中の大体のいわゆる葛藤を抱えている人は神経症の人で、そうではないタイプの人は精神病ないし確か発達障害と言われるタイプの人なのだったと思います。神経症/精神病/発達障害という風に分けているのがラカン派だったと私は記憶しています。

私自身非常に特異な精神構造をしていたなと思いますし、一時期たぶん思考のし過ぎでその状態が加速していましたが、精神的に落ち着いてきたので、少し自分に対して過剰に自己対象化してそれについて思考するのではない仕方で、経験的な仕方で思考していきたいと思います。

私はここまで自分というものを経験的な次元ではつまり「存在者としての私」の次元ではアルタが書いていて、それをぼんやりと「眼差しとしての私」の次元では莉子が見ているという形態で書いてきました。
「存在者としての私」、「眼差しとしての私」については次をご覧ください。

こうしてぼんやりと二つの意識が介在されながら書いてきた文章ですが、このところ良いニュースがありました。
最初に書いた良かったこと…なのですが、L'Arc~en~Cielという日本のロックバンド(1991年に大阪で結成されたバンド)の歌い手のHYDEさんがオーストリア観光大使に就任しました!
そのことが子どもの時から彼を見ていた自分としては幸せなことだったと思います。
これは個人的な発言で私的な発言ですが、そう最後に言葉が必要な気がしたので、言明しておきます。

自分自身も彼の音楽活動がこうして海外の公的機関に認められるというのは嬉しいです。もうファンとは言えないけど、どこかで彼をフォローしていきたいです。

また最近自分が以前から憧れていた方のサインをもらうことができました。
嬉しかった。サインは載せないけど。(これでもらうのはたぶん第三回目かなと思います。)

思考の亢進を抑えたいと思います。また研究についても実際に健康を害さない範囲にしたいと思います。

精神分析には〈現実界〉という言葉があり、これも、先ほど挙げたラカンの本にも書いていますが、斎藤環さんがネットの記事でも言葉にされています。

この〈現実界〉が私の場合でも問題になっていて、だから統合失調系と解離があるような状態になったのかなと思います。

私の記事で不安定な思いをされた方もいるかもしれませんが、精神のあり方については気をつけていきましょう。

壊れた心は元通りにはならないかもしれないけど、少しでも毎日が生きやすくなるように心の底から祈っています。アルタ

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