嫌いという気持ちは、あっていい。『シャネル哲学 ココ・シャネルという生き方』
山口路子さんの『シャネル哲学 ココ・シャネルという生き方』を読んだ。
シャネルが特に好きなわけではない。
ハイブランドに限らず、このブランドがすごく好き、というのが特にない。ブランドだから好き、ではなく、このアイテムが好き、というタイプ。
そういえば数年前、リサイクルショップでシャネルの黒のワンピースを買ったことがある。アシンメトリーのドレープが入っているノースリーブのワンピースで、一目ぼれだった。
季節の良い時期に数回着て、冬を越えて、さぁまた着ようと思ったら、ファスナーが…あがらなくなって…
ああぁぁぁ。あの時の悲しみは今でも忘れられない。
そして買った店に売りに行った。お店のお兄さんから、「売っちゃうんですか~、いい服なのに~」って言われて、つい「いや、サイズがちょっと合わなくなっちゃって…」って本音を漏らしてしまった後の気まずさと言ったら。
ああぁぁぁ。あの時の悔しさは今でも忘れられない。
とまぁそんな切ない思い出もあるが、シャネルについては香水とキルティングバッグとツイードスーツのイメージくらいしかない私。ココ・シャネルがどんな人なのかも、もちろん知らなかった。
この本は、「ファッション大好き!シャネル!やふぅ!」な人向けではなく、シャネルの生き方すごいからそのエッセンスをおすそ分けしますよーっていうもの。
だから、ファッションとかブランドとか別に興味なくても楽しめます。
彼女は、壮絶な人生歩んでいた。不遇な生まれから「自由」を熱望して、常に「自分が着たいもの」をつくって、ガンガン行こうぜスタイルで。多くの男性と恋愛しながらも、最後まで結婚せずに仕事第一だった人。
こんな言葉があった。
コルセットして大きな帽子をかぶっている上流階級の女性の恰好が嫌で、小さな帽子を作ったり、ゆったりしたシルエットの服をつくったり。
高価な宝石で競い合う女性たちが嫌で、イミテーション・ジュエリー(本物の素材に見せかけたやつ)をつくったり。
自分が「嫌」だと思ったから、その「嫌」を排除して、自分が欲しいものを生み出す。それが皆にも受け入れられ求められていった。
負の感情を抱くのは悪いことだと思っていた。「嫌なところばっかり見ないで、良いところに目を向けましょう」とよく言われるし、否定的な考えはあまり持たないようにしよう気を付けてきた。
しかしどうやら、負の感情をエネルギーにすることで前に進むこともできるようだ。
ところで。
今日、大掃除をした。
私は大掃除が嫌いだ。ふつうの掃除も億劫だ。だから汚れがみるみるうちに溜まって、大掃除が大変なことになる。
毎年嫌だなーと思いつつもなんとかやっている。
掃除が嫌いな私はなんて怠惰な人間なんだと自己嫌悪に陥りながら。
今年は、「何が嫌なんだろう」と考えてみた。
掃除を終えてきれいになると、すっきりして気持ちがよい。その感覚はいつもある。汚れが落ちていくのも結構楽しい。
では何が嫌かというと、「手が荒れる」ことと、「汚れが素手に触れたときに感触」が嫌なんだということに気づいた。
そこで今年は、ゴム手袋を購入した。
過去に使ったこともあるけれど、粉?が気持ち悪くて、手も使いづらくなるしで、以降はずっと使っていなかった。
でも技術の進歩なのだろうか。手にフィットして細かい動きも楽々だし、ゴム手袋をはめたときの不快感もほとんどなかった。
手荒れと汚れの付着の心配がなくなった今年の掃除は、めちゃくちゃ楽しい。どんどん捗るし、毎年見て見ぬふりをしていたところまで掃除してしまった。
「嫌」を解消するために、たった百何十円のゴム手袋を投入しただけで、「嫌い」が「楽しい」に変わってしまった。
シャネルとのスケール感は月とスッポンだが、要は、負の感情を抱くのがよくないのではなく、抱いてそのままにしておくのがダメだということ。負をなくすためにどうすればいいのか、という次のステップにつなげることが大事なんだと。この本とゴム手袋から学んだ。
負の感情を抱いてもいい。それだけでも、ちょっと許されたような感じがする。何でも前向きに考えなきゃ!というしがらみから解放された気がする。
年の終わりに、良い発見をしたものだ。
ではまた~。
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