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喧嘩潜水士

にらみ合う二人を前にして、私はおろおろしているばかりだった。研究所の門の前で、西先輩と境井さかい先輩の大喧嘩が始まってしまったのだ。とりあえず、人目を避けるために2人を引っ張って移動した。落ち着け、と自分に言い聞かせながら。


団地の屋上で秋空を見上げる。ちょっと寒い。握り締めたスマホを確認してみるが、まだ先輩たちからの連絡はない。あの大喧嘩からしばらく経った。まだ2人は冷戦状態らしい。次元潜水という独自の新技術で異次元研究をしている西先輩。そんな西先輩の助手をしている境井先輩。そして私は2人に助けられて、助手見習いになった。

貯水タンクに背中を預ける。背中が冷たい。まさにここで落ち込んでいた時に先輩たちと出会った。あれから3人一緒に色々と珍妙でスリル満点な経験をした。本当に楽しかった。

またスマホを見るが、やはりメールも電話もない。解散。脳裏を過った言葉で苦しくなり、深呼吸しようとした時だった。

「あの、もしかして三次元の私、ですか?」

横から私と瓜二つの顔が覗き込んできた。驚いてスマホを落としそうになる。

「驚かせてすみません。私、五次元の加納です。覚えて、ますか?」

「うん!うん!もちろん覚えてる!わぁ、三次元に来てたんだね!久しぶり!」

不安そうだった五次元の私が、笑ってくれた。彼女も加納で、私も加納。彼女は五次元で、別の時間軸を生きている私自身だ。以前、一緒に次元潜水をした。五次元での次元研究調査を指揮しているのは、彼女なのだ。以前はかっこいいパンツスーツ姿だったが、今回はボーイッシュな私服姿。私の私服と似ている。

「ふふふ、本当に遊びに来ちゃいました。手に持ってジャンプするだけで、目的地まで移動できる魔法の地図を使ったんです」

五次元の私が差し出した、美しい地図。見覚えがある。

「ああ!その地図!私たちも持ってるよ!あなたも五次元で地図描き師のリンさんとイアさんに描いてもらったの?」

「はい。まさかご存知だとは。人の縁というのは面白いですね。西さんと境井さんはお元気ですか?」

2人の名前が出てきて、一瞬、言葉が詰まる。

「……あのね、元気なんだけど……先輩たちが大喧嘩しちゃって……」

「喧嘩?あの2人が?」

五次元の私は目を丸くした。私だって驚いた。こんなことになるとは。目に涙が溜まっていく。黙った私に五次元の私は色々と察してくれた様子だった。

「いいことを思いつきました。これから五次元に行きましょう。そして五次元の2人と会うんです。何かアドバイスをくれるかも。この地図なら一瞬で着きます」

思いがけない提案に涙が引っ込む。そういえば、五次元にも別の時間軸の先輩たちがいる。

「……うん、そうだね!行こう!あ、でも2人に連絡しておかなきゃ」

スマホを操作しようとすると、五次元の私が悪戯っぽい顔をして私のスマホを掴んだ。そして少し操作してから、私に返してきた。

「え?なになに?」

「ふふふ。”仲直りしないなら五次元に帰らせていただきます”と送信しておきました。さ、行きますよ」

「え、えー!」

動揺しながらも、五次元の私と手を繋いでジャンプした。


小さなカフェのテラス席で、五次元の私と先輩たちとお茶をしている。考えてみると、なんとややこしい状況だろう。

「いやー、久しぶりだね三次元の加納ちゃん!五次元の加納ちゃんは初めまして、だね!元気だったかい?」

五次元の西先輩は、私の知っている西先輩そのままだ。隣で静かにココアを飲んでいる境井先輩は、三次元の境井先輩よりも無口。2人は色々な楽器を使って路上演奏をしている。以前に五次元へ潜水した時、一緒に路上パフォーマンスをした。その時は三次元の先輩たちも一緒で。

「元気……と言いたいのですが……今は問題があって落ち込んでます。お話してもいいですか?」

切り出してみた。先輩たちが身を乗り出してきて、ちょっとびっくりする。

「……三次元の西先輩は、元々は立派な研究所で異次元研究をしていたんですが、色々あってフリーの研究員になって。でもその後も、研究費を工面するために、データを研究所に送ったり、元同僚の人の研究を手伝ったりしてたみたいで。それで最近、西先輩の功績が評価されて、その研究所から戻ってきたらどうかって誘われたらしいんです」

「やっぱり三次元でも僕がトラブルメーカーなんだね……ごめんよ加納ちゃん」

落ち込んだ西先輩の横で、境井さんが頷いている。こちらでも色々あるらしい。

「いえ、西先輩が悪いというわけでは……西先輩は、私と境井先輩も研究員として雇うなら研究所に戻ると答えたみたいで。それである日、西先輩が私と境井先輩を研究所に連れていってくれたんです。そこで初めて、私たちは説明を受けました。そこで境井先輩が、見返りを求めて助手をしてたわけじゃないって怒ってしまって。でも西先輩も、私たちの負担や将来を考えて決断したんだって言い返してしまって。私がなだめて一度は落ち着いたんですけど、ぞれからずっと険悪な状態で」

ああ、涙声になってしまう。沈黙の後、五次元の境井先輩が口を開いた。

「想いが深ければ深いほど、大事にしたい相手のこと置いてけぼりにしちゃいがちだよね。でも、やり直せる。もし相手を置いていってしまったら、すぐに迎えに戻ればいい。そうだよね、西君」

「「うん」」

西先輩の声が二重に聞こえた。横を見れば三次元の先輩たちが気まずそうに立っていた。どこへもワープできる地図を抱えて。

「あんなメールが来たから、僕たち急いで仲直りして来たんだ。ごめんね加納ちゃん。研究所の誘いは断った。僕が勝手すぎた。まだ助手でいてくれる?」

「本当にごめん、加納ちゃん。どうか帰ってきて。もう不安にさせないから」

三次元の先輩たちが抱きしめてくれた。頷くたびに涙がこぼれる。次元潜水士トリオは解散なんてしないのだ。




★このお話は次元潜水士シリーズ5作目「揺らぐ海と次元」の続きっぽくなっております。
次のお話→「エウロパの海へ潜降」
次元潜水士シリーズの最初のお話はこちら


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